閑話 ありし日の思い出(前)
ハイファンタジージャンルで『どうも! こちらメイド・サーヴァント派遣業ヴァーラスキャールヴにございます!~仕事人間な冒険者の元へ、メイドになったヴァルキリアが押しかけるとこうなるらしい~』というお話を始めてみました。基本、こちら優先ですので不定期になるかと思いますが、そちらもぜひお楽しみくださいませ。
† † †
ああ、これは夢だ。そう、“彼女”は思った。
小雨の降る灰色の空と建物。その火葬場の煙突から煙が上がっていく。必要だなんて思っていなかったから買ったばかりの真新しい喪服が濡れるのにも構わず“彼女”はその煙を見上げいた。
『人は死ぬ、死なない人間なんていない』
不意に背後からビニール傘を“彼女”の頭上に差した陰気な男の、陰気な言葉がする。傘なんて差すな、と文句を言ってやりたかった。だって、泣き顔なんてこの男に見せたくなかったから。
それでも“彼女”の涙は止まらなかった。一九歳の彼女にとって、ほんの一年ほどしか関わらなかった恩師とその妻が突然亡くなり、今は燃やされ灰になっている……きっとあの煙になってしまったのだと思うと、なぜか胸が締め付けられてたまらなかったのだ。
振り返った“彼女”は男を見る。普段は白衣姿の癖に、今は黒い背広に身を包んだ男。陰気な表情は、今はどことなく憂いを帯びているように見えるのは……なにかの錯覚だろうか?
『……もっと、別の言葉はねぇのかよ』
そう、ようやく出せた“彼女”の言葉に、男は小さく目を瞠る。驚き、それほど普段見せる“彼女”と遠い姿だったのだろう。
男は傘を差し出したまま、自分が濡れながら――長考してから、陰気な声にわずかな熱を帯びされて言った。
『大事な人が亡くなったんだ。泣いても誰も笑いやしない……俺が、ああ……俺がさせない』
† † †
「……最悪な目覚めだな、おい」
アルゲバル・ゲームスプロデューサー安西里奈は、低く唸った。リアルの自身の部屋、ベッドではなく硬いソファに寝転がっていたことに気づき、そりゃあ夢見も悪いわ……と気怠げに立ち上がる。
「……あん?」
安西は携帯端末に珍しい相手からのメッセージが届いていることに気づき、顔をしかめた。どうやら、夢はこの予兆だったのかもしれない、そう思いながら。
† † †
すっきりするために熱いシャワーを浴びて、安西はこざっぱりした気分で指定された喫茶店にリアルの足で向かっていた。なんでもオンラインですむ時代、だからこそリアルで客商売が「現実の絆を忘れないために」などと持て囃されて、成り立っているのだ。
「こっちだよ、義叔母さん」
「――その呼び方は止めろって言ったろうが」
安西が呼ばれ、苦虫を噛み殺したような顔で声を方を見る。そこにいたのは、城ヶ崎菜摘だった。
「なんで? 私にとっては義叔母さんはいつまでたっても義叔母さんなんだけど――」
「一時の気の迷いだ、お前ぐらいの時のな。一年も保たず離婚したじゃねぇか」
そう、世には知られていないが安西里奈は結婚経験がある。その相手が城ヶ崎克樹であることは、本当に極々一部の人間しか知らない。菜摘はその数少ないひとりなのである。
菜摘の向かい側の席に腰掛け、安西は唸るように吐き捨てた。
「なんか、こう流れで盛り上がって絆されて結婚はしたが、お互い会わなくてもなんとも思わねぇし。結婚する意味あったんかって思って、サクっと離婚しても変わんねぇし。なんだ、お前の叔父さん、やっぱおかしいぞ」
「それはお互い様じゃないかな?」
「うるせぇ」
少なくとも安西と菜摘は、そんな軽口が叩けるぐらいには良好な関係が続いていた。菜摘も心得たもので、本当に安西が切れるラインは決して越えて来ない。共感覚ってのは便利だな、と思うが、安西も彼女がそれで苦労しているのを知っているため冗談や嫌味でも口にはしなかった。
「んで? 珍しいじゃねぇか。直接会いたいなんて」
「……実は、少し聞きたいことがあってさ」
菜摘が、思いつめたような真剣な表情で安西は黙る。この飄々としたリトル城ヶ崎とも言うべき義理の姪が思いつめた――“女”の顔を見せたのが初めてだったからだ。
「――小泉丈一郎って人のことが、聞きたいんだ」
その名前に、安西は思わず動きが止まった。心臓が止まりそうな、まさかの人物から出るとは思わなかった名前を聞いて、安西は思った。
(……やっぱ、夢の予兆ってのはあんのかね?)
† † †
菜摘は、この義理の叔母がここまで絶句したのを初めて見た。
(……正直、私も知った時は目を疑ったがね)
菜摘は普段は傍観者でいることを好む。だが、気になることは徹底的に知らないと気がすまない質なのだ。だから、本気で調べた……“彼”の過去を。
「……どうして、お前がその名前を知ってる?」
「私の知人……の、関係者でね」
それ以上は秘密にさせてほしい、と正直に言うと、安西は珍しく綻ぶ笑みを見せた。その笑みの意味がわからないが……彼女の色は優しい揺らぎを見せた。
(相変わらずだな、この人は……)
安西里奈という人間の色は、『黒』だ。ただ墨のような、闇のような黒ではない。まるで豪勢な絵の具のさまざまな色を混ぜ合わせたかのような、すべての色を含んだ『黒』なのだ。それは彼女が今まで多くの人と関わり、その色を少しずつ少しずつ自分に馴染ませていった……度量の広さが生んだ『黒』なのだ。
「そうか。なら、ひとつ聞かせろよ」
「なんだい?」
「――その知人って、九郎って言わねぇか?」
「……ッ」
今度は、菜摘の方が驚く番だ。その反応で充分だ、と笑った安西は注文を取りに来たウェイトレスからメニューを受け取って、菜摘に一冊差し出した。
「ほら。奢ってやるから、なにか頼め」
「……義叔母さん?」
「話すと長くなるって言ってんだよ」
安西なりの了承の意見に、菜摘はメニューを受け取った。
† † †
――小泉丈一郎は、高等学校時代に一年間だけ教わった歴史担当の教師である。飛び級飛び級で駆け上がった安西には、あまり教師には思い出がない。それでも、小泉先生だけは恩師だと、今でも胸を張って言える人だった
『安西君、安西君』
『……なんです?』
ひょろりと高い一八〇後半の長身。だというのに顔は人畜無害を絵に書いたような、笑顔以外が思い出せない人だった。特にVR関係で授業の単位を取っていた安西にとって、そちら方面に強い――なんでも親友夫婦が、IT関係の仕事をしているのだという――教師として、VR教室で顔を合わせることが多かった。
『歴史上の人物で、どんな人が好きかアンケートを取っていいかい?』
『ハンニバル・バルカとアレクサンドロス三世』
『……ごめん。日本の偉人限定でいい?』
ええ、面倒くせえ、と一〇歳の少女が言っても嫌な顔ひとつしなかった。そんな小泉に、安西は考え込む。
『そうだな、源義経とか織田信長とか?』
『義経、信長……うーん、ちょっと露骨かな……あ、でも九郎判官の九郎はいいかなぁ』
『……ひとりで勝手に納得しないで、いい加減アンケートの理由教えてくれないッスか?』
一〇歳の少女に半眼され、小泉は『ごめんごめん』と素直に謝ると、あっさりと爆弾発言をした。
『いや、実は今度子供が生まれるんだけど。男の子は先生が名前をつけることになってて――』
『――そういうことは先に言ってくんねぇかな!?』
いきなり子供の名前の参考にしようとしたアンケートでした、と言われて安西は悲鳴に近い批難の声を上げる。そんな文句はどこ吹く風で、『あははは』と小泉は笑うだけだ。
『ハンニバルとかアレクサンドロスとか、馬鹿みたいじゃないですか! そりゃあないわ! そんな名前つけられたら親ぁ、一生恨みますよ、日本人なんだから!』
『小泉ハンニバルと小泉アレクサンドロス……小泉イスカンダルは響きは面白いなぁ』
『止めろぉ、子供に恨まれたくねぇ!』
安西の叫びに、小泉は小さく笑う。その笑いの意味は、まだわからないけれど――なんとなく、初めて会った頃から変わったな、とかそんなニュアンスだったんだと思う。
『でも、ほら。小泉九郎っていうのは響きも悪くないだろう?』
『まぁ……そうッスね』
少なくとも子供が将来グレることはなさそうッスね、と疲れたように言う安西に、小泉は楽しそうに笑った。
一事が万事この調子、小泉丈一郎とはそういう“恩師”だった。
† † †
実は、アルゲバス・ゲームスのインディーズ時代のゲームが九郎さんの家になぜあったのか? とか、そのあたりから温めていたネタでした。
気に入っていただけましたら、ブックマーク、下欄にある☆☆☆☆☆をタップして評価をお聞かせください! よろしくお願いします。