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閑話 “彼女”の髪を結う

   †  †  †


 エステル・ブランソンは、自室にある姿見の前に座って髪を弄っていた。


「……上手くいかないや」


 ずっと、髪型を弄ることなどなかった。母はスタイリストが弄ってくれていたが、自分のはただ楽だから長く伸ばしていただけで――世の人類九割がそれを聞けばその髪の美しさに羨むことをエステルはまったく気づいていない。


 ――とてもサラサラで綺麗で。陽の光がこぼれているみたい。


 そう言った聖女エミーリアの声を思い出す。その時の声色や褒め方は、確かに母によく似ていたが――。


「ん? なぁに?」


 不意に、コンコンと部屋の扉がノックされた。一緒に日本へやって来たメイドの誰かかと思っていたエステルは、次の声に心臓を弾ませる。


「ごめん。今、大丈夫か?」

「ッ、クロ!?」


 ガタン! と慌てて立ち上がったエステルは扉に向かいかけ、一度振り返って鏡を見て髪型と呼吸を整えてから扉へ向かった。

 ガチャリ、と扉を開けると、そこには苦笑した坂野九郎(さかの・くろう)がいる。


「ど、どうしたの?」

「いや、どうせ上の階だしちょっと様子を見に来ようとしたんだが……」


 マンションの廊下でばったりと会ったのが、最年長のメイドで。その女性にあれよあれよという間に部屋に上げられ、エステルの自室の前にたどり着いてしまった……らしい。


「えっと、いいよ。入って」

「おう、お邪魔します」


 ドキドキと緊張しながら、エステルは九郎を自室に招き入れる。なにせ、祖父や父以外の異性が自室にやって来てふたりきりというのは初めての経験だ。高等教育を受けていた時、おせっかいな“年上の後輩”に色々と吹き込まれたが……その時は完全な他人事だったのに、まさか自分が体験する日が来るとは思わなかった。

 興味深そうに部屋を見る九郎に、耳まで赤くなってエステルはキングペペン(リアル)を押し付けた。ちなみにキングペペンを足しても背が足りなくて、九郎の視界は防げなかったが。


「あ、あんまり見ちゃ駄目!」

「ん、悪い。オレもリアルで女の子の部屋に来るってのはそうなくて」

「リアル以外だとあるの?」

「……VR恋愛シミュレーションゲームなら?」


 それと一緒はやだなぁ、と吹き出すと自然とエステルの緊張が解けた。それを見て、密かに九郎が微笑む。


「今日はクロ、エリザに話を聞きにいったんでしょ? どうだったの?」

「ああ、収穫は一切なし。やっぱ、ヴラドの事情はまったく身に覚えがないらしくてさ」

「そっか」


 はい、どうぞ、と差し出されるクッションに九郎が座る。エステルはベッドに腰掛けるが、それでもまだまだ九郎の方が視線が高かった。


「ヴラドのヤツも完全な隠密行動に切り替えたからな。オレやお前を警戒してるのか、捕捉もできやしない」

「コツコツ、神聖都市の護りが破られちゃってるんだもんね。エクシード・サーガ・オンラインのAIって優秀だよね……」


 AI、そう言った時、不意にエステルの表情が曇る。それを見て、九郎は優しく言った。


「やっぱり、似てたか?」


 誰が、誰に、とは言わない。それだけで伝わる、それがわかっているから――エステルは、コクリと小さく頷いた。


「……うん」


   †  †  †


「ママじゃない、それはわかるの。でも、ところどころでやっぱりママを感じられて、それで……」


 キングペペンを抱きしめながら、エステルがぽつりぽつりと語る。トライホーンから落ちて、そこに慌ててエミーリアが駆けつけてくれたこと。髪を結い直してくれたこと。話したこと――それを九郎は黙って聞いてくれた。


「……やっぱり、ワタシ自身割り切れてないんだ、と思うの。パパとママのことになると、あの時から時間が動いてないんだって……」


 よく「人に相談する時は、相談する人の中には自覚していようといなくても答えが出ているものだ」という。だから、相談を受ける側――聞き上手と言われる人は、会話の間にその答えを察し、そちらへそれとなく誘導するのだ。


「それ自体が悪いってことじゃないさ」

「……でも、成長できてないってことじゃない?」

「変わることだけが成長するってことじゃない。いつまでも変わらないものって言うのも人にはあるもんだ」


 エステルが、考え込む。九郎からすればそれは簡単な答えだが、悩んでいる間は見えないものがある。だから、敢えて言葉にして“そこ”へ導いた。


「いつまでも、お前の両親はお前にとっては大事で大好きなパパとママってだけだよ。大事じゃなくなったり、嫌いになることが成長するってことじゃないだろ?」

「……それは、やだな」

「なら、それでいいんだ」


 ずるい言い方だよな、と九郎は思う。当然だ、心の傷になるぐらい大事で大好きで、失ったことが苦しい大事な人たちなのだから。それを()()()()()()なんて、当たり前だというのに。

 それでもそこにもうエステル自身が着地していることを自覚させるために、ずるい言い方を選んでしまった……九郎自身がもう少し口が回るならまた違う導き方もあったろうが、これが今の彼の限度だった。


「エレインは、それで髪を弄ってた訳か」

「ッ!? そ、それは……」

「ふふ、簡単な推理だよ、ワトソン君」


 姿見の前の椅子が、慌てて立ち上がったままだったからそこから推理しただけである。そのネタ明かしをしないあたり、名探偵と言うより手品師の手法だ。

 九郎は立ち上がると、ひょいっとエステルを持ち上げる。小柄なだけでなく、力を込めれば比喩でなく砕けてしまいそうでこの軽さはお兄さん心配になるよ、おどけながら改めて九郎はクッションに座り直すとエステルを膝の上に座らせた。


「よし、オレがちょっと髪を結ってやろっか」

「え? クロ、できるの?」

「ウチには手のかかる『妹』がいるからな」


 真百合(まゆり)が聞けば怒るか赤くなるかのどちらかだろう。手を伸ばして櫛を手に取ると、髪の毛を傷ませないよう流れに沿って梳いていく。


「あいつ、子供の頃からくせっ毛でさ。その癖に髪は伸ばしたがるから」

「そうなんだ……」


 すぐに、エステルの声から力が抜ける。膝の上が、後ろに感じる九郎の存在が、心地いいと思えるからだ。


「オレはお前の気持ちがわかる、とは言えない。お前の気持ちはお前のものだから。ただ、想像はできると思うし……させてほしい」

「……うん」

「オレも、お前に似てるところはあるしな。()()()()()()()の件があるから」

「クロとシロのお父様とお母様?」


 振り返らずに問いかけてくるエステルに、ポツリポツリと九郎は語りだす。本当の両親とのこと。今の義理の家族とのこと。もちろん、今の義父さんや義母さんを本当の両親のように思っていることを――。


「ま、オレは恵まれてたんだろうな。ただ、なにごともなく幸福でなくとも……うん、恵まれてたとしかいいようがない」

「……シロは、知ってるの? その、血がつながってないって……」

「お互い、物心はついてたからな」


 自覚している、と言外に九郎は告げる。それで、エステルはストンと納得してしまった。時折見せる、シロの表情や雰囲気の“意味”を。


「……ディアナんは、知ってるの?」

「さすがに言えてないなぁ……そういや、家族以外にこの話するのはお前が初めてだ」

「そっか……」


 手を止めず、動かし続けて九郎はエステルの髪を結い終える。ひょい、と再び九郎はエステルを持ち上げ、立たせてあげた。


「よし、できた。ほら」

「わ! 本当に上手だね」


 姿見の前に立つと、そこにはエレインがいた――ツインテールのエステルが。ツインテールの位置も左右対称だし、髪に乱れがひとつもない。九郎の言う通り、手慣れた者の仕上げ振りだった。


「……似合ってる?」

「そりゃあ、似合ってるよ」

「エヘヘ、うん」


 ぎゅうとエステルは九郎に抱きつく。お腹に顔を埋めるように……しかし、腕にこもった力が普段のソレ(ハグ)とは違っていた。


「……ワタシ、嫌な子だ」

「ん?」

「さっきね、シロのことを聞いたら胸の奥がイガイガして……ディアナんも知らないんだって聞いたら、ちょっと嬉しかったの」


 それは小さな嫉妬と優越感。自分よりも好きな人と長くいる相手への焼きもちと、自分の方が好きな人のことを知ってるんだという、自慢したくなる気持ち。


「オレはそうは思わないよ」

「でも――」

「だって、エレインはそれを嫌なことだって、自分で言えるんだから」


 ポンポン、と九郎が優しく頭を撫でてくれる。おそるおそるエステルが見上げると、そこには優しい笑顔の九郎がいて――。


「自分でそれを言えてるうちは、お前は嫌な子になんてなったりしないさ」

「……うん」


 そこで、初めてエステルが泣くことができた。好きな人の悲しみのために、自分は泣けるんだ……そのことが、エステルは純粋に嬉しかった。


   †  †  †

抱く感情は同じでも、見せる“顔”は誰も違くて。

それは根を同じくして咲く、別の花のようで――。

このあたりの心情を丁寧に書くの、楽しいです。


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― 新着の感想 ―
[一言] 「変わることが成長することではない」 名言じゃないですか?少なくとも私はこれ読んだ時に確かになぁって思いました 変化がないと進歩してないとか成長してないって言う人もいますけど仮に現状から変化…
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