90話 沈まぬ太陽もない3
† † †
「はい、到着しましたよ。ようこそ、神聖都市アルバへ」
「……早いですね」
御者の言葉に、壬生白百合が全員を代表するように呆然と呟いた。ほんの少しトライホーンが歩いた、それだけで着いたというのだから驚きだ。情報を補足するように壬生黒百合が言った。
「アーツ《転移門》は、今は聖務教会でしか伝承されていない特殊アーツ。さすがに、これだけの距離の移動まで可能とは思わなかったけど」
「座標を正確に把握して門を設定しないといけない危険なアーツですので、聖務教会によって管理されています」
「……そうなると間違えると大変なことになるのでしょうね」
よくご存知ですね、と頷くアーデルハイト・フライホルツにディアナ・フォーチュンが問いかける。それにボソっと答えたのは、黒百合だ。
「いしのなかにいる、状態になる」
それは前世紀の伝説的なゲームのネタだ。なにかの物質の中にでも間違って転移すれば、即死亡判定になってしまうのだ――ネタのそれと違ってリスポーンポイントに戻るだけなのがマシだろうが。
「サイゾウ殿もおっしゃってらしたが、それは……?」
「ん、私たちの故郷の逸話で――」
アーデルハイドの疑問に黒百合が嘘ではないだけな切り出し方で説明していた時だ。窓の外を眺めてツインテールを揺らしていたエレイン・ロセッティが窓の外に小さく手を振っていることをアーデルハイドは気づく。
窓の外を見れば、白亜の都で遊んでいた子供たちがこちらに手を振っているのが見えた。トライホーンと馬車は、この神聖都市アルバの住人なら聖務騎士団の所属だと子供まで理解している。子供たちにとっては聖務騎士は憧れのひとつだ、その馬車に乗っている誰かに手を振られたのが嬉しかったのだろう。
「…………」
自然とアーデルハイドが笑みをこぼす。それに見て、黒百合はどこか違和感を得た。
(どうしてエレインをこんな懐かしそうに見るんだろう?)
エレインを初めてまともに見た時もそうだ。ほんの一瞬見せた驚き、それを黒百合だけは見逃していなかった。ただ、問うのをはばかられる空気があったのは確かだ。
「ああ、そろそろ大聖堂に着きます」
アーデルハイドがそう言う時には、違和感は消えていた。馬車を牽いたトライホーンは堀にかかった石橋を超えて城門のような立派な門をくぐって聖務教会大聖堂の裏へたどり着いた。
† † †
「ここから先は大聖堂の中ではなく、裏庭の庭園に参ります」
「謁見は大聖堂で行なうのではなく?」
黒百合の疑問はもっともだ。それにアーデルハイドは、ことさら表情を消して答えた。
「聖女様たってのご希望です。ぜひ、個人的にお会いしたい、と」
「はぁ……」
「重ね重ねの失礼、申し訳ない」
生真面目に頭を下げる女騎士に、黒百合は首を左右に振って言う。
「聖女様には聖女様のお考えがある、と思っておく」
「……ありがとうございます」
アーデルハイドの礼が受け入れてくれたことではなく、言葉を選んでくれたことへの謝辞だったのを知った上で黒百合はその話題は切り上げた。
「運んでくれてありがとう。またね?」
『ヴォア』
頬を寄せて言うエレインに、トライホーンが小さく喉を鳴らす。それに驚いたのは御者だ、目を見開いてその光景を見ていた。
トライホーンは元より聖務騎士団所属の、言い方は悪いが兵器だ。むやみやたらに外部の者に懐いたり、鳴き声をあげないようにきちんと調教されている。だというのに、目の前の少女に心を許したように鳴いたのだ。数十年の長い間騎士団でトライホーンの御者をやって来たが、こんな光景は見たのはこれで二度目だった。
「こちらへ。少々歩きますが、ご容赦を」
アーデルハイドを先頭に、全く人気のない白亜の建物を進んでいく。むしろ、都市に着いたよりも長く歩いて、その庭園へと着いた。
「すごいね、これ。まるで森みたい……!」
白百合が、唐突に現れた庭園の光景に驚く。白亜の人工物だけで作られた都市にぽつりと自然が取り残されたような、そんな場所だった。エレインはむしろ見慣れた光景というように言った。
「自然風景式の庭園だね。イギリスとかだと普通にこの形だよ?」
「ああ、そうだっけ。公園になってるのもあったって聞く」
「そうそう」
庭園、と一口に言ってもいくつも形がある。その中でも自然風景式庭園とは自然の風景をそこに再現したもののことを言う。その庭園の中を更に進むと小さな池があり、その中心に小さなフォリーが立っていた。
(――あれが?)
そのギリシャ様式の神殿を小さく簡略化したような建物、その中心のテーブルに座っている人影があった。遠目からでもわかる長く豪奢な金髪。純白の神官服を来た女性の後ろ姿だ。
「――聖女様、英雄壬生黒百合殿とそのお仲間をお連れいたしました」
フォリーへと着くと、片膝を着きアーデルハイドが最上位の礼で告げる。それに答えたのは聞いただけで背筋に駆け抜けるもののある、澄んだ女性の声だった。座っていた女性――聖女は立ち上がると、自然な動きで振り返った。
「ご苦労さまです、サー・アーデルハイド。よくぞいらっしゃいました。私は聖務教会神官エミーリア……多くの方から、聖女と呼んでいただいています」
「……っ……」
黒百合は、不意に自分の裾を掴まれたことにそちらを盗み見る。そこには、息を飲んで無意識の内にこちらの裾を強く掴むエレインの姿がった。
† † †
“黒狼”『――綾乃』
“銀魔”『っ! あ、はい……なんでしょうか……?』
黒百合の声で秘匿回線で名前を呼ばれ、ディアナの中の人は奇声を必死に飲み込んで返した。それに頭が回らないほど、黒百合が真剣だということが伝わったからだ。
“黒狼”『この聖女様、オレの思い違いじゃないなら似てないか?』
誰に、と黒百合――坂野九郎は言わない。だが、言われるまでもなくディアナこと八條綾乃は察した。
“銀魔”『……そうですね、“妖精歌姫”のお若い頃に容姿も声もよく似ています』
“妖精歌姫”エマ・ブランソン。それは幼い頃に亡くなったエレイン――エステル・ブランソンの母親だ。なんとなく似ている、という噂は聞いていた。しかし、声がつき実際に動くと、まさかここまで似ているとはとは思わなかった……というのが正直なところだ。
黒百合が、エレインの掴んでくる手を握る。それにエレインはようやく自分がすがりついていたことに気づき、手を握り返して小声で言った。
「……うん、大丈夫だよ」
そう、とても大丈夫には見えないエレインの表情にそれでも黒百合は手を握り返して小さく頷いた。
「……あの?」
そのやり取りの意味がわからず、聖女エミーリアが小首を傾げる。それに黒百合は首を左右に振り、答えた。
「こちらのことです、お気になさらず。私が壬生黒百合です。こちらは『妹』の白百合、仲間のディアナ・フォーチュンと――」
「――エレイン・ロセッティと申します、聖女様」
胸に手を当てて一礼するエレインに、エミーリアは優しく微笑む。その笑みに、黒百合はこちらの手を握る力が強くなったことを感じていた。
(……悪意はない、んだろうけどな)
エクシード・サーガ・オンラインの運営も悪意があってここまで似せてしまった訳ではないだろう。有名人と言えど若い頃の、ましてや一昔前のオペラ歌手だ。世界的な歌手と言えど、まさかその娘がゲームに混じり聖女と関わるとは思っても見なかったはずだ。
不幸な事故、と言い切るには、運命の底意地の悪さを感じてしまう。
「せっかく非公式の場を設けたのです。堅苦しいのはこのぐらいにして、お茶を楽しみませんか?」
「……聖女様、あまりはめは外されぬよう願います」
パンと胸元で手を合わせ言うエミーリアに、アーデルハイドは苦言を呈する。それにエミーリアは少し目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
「珍しいですね、あなたがそう言ってくださるのは」
「……過ぎた忠告をお許しください」
あくまで最上級の礼を崩さないアーデルハイドとそのことに力なく笑うエミーリアのやり取りに、黒百合は一呼吸置いてから言った。
「少しでしたら、お言葉に甘えて」
† † †
聖女エミーリアのスケジュールの問題でお茶会そのものはあっさりと終わった。黒百合たちの英雄としての活躍に目を輝かせる姿は、普段の聖女としての立ち振舞いからは遠いものだったのだろう……ようは、黒百合たちに見せた姿こそ本当のエミーリアだった。
「…………」
それぞれに与えられた大聖堂の客間、エレインの部屋の前で黒百合はひとつ深呼吸してからノックした。
「いる? エレイン」
「ん、いるよ」
扉はすぐに空いた。今、いい? と問う前にエレインが抱きついて来るのに、黒百合はその小さな身体を抱きとめるとため息を密かに漏らし部屋の中へ踏み入った。
「……ごめん。気遣いが足りなかった」
「ううん、仕方ないよ。ワタシだって、あそこまでママに似てるって思わなかったもん」
パタンと扉を締めてから、改めて謝る黒百合にエレインは首を横に振る。
人間の脳というものは、基本的に忘れない。ただ、時間が経つにつれて古い記憶ほど思い出しにくくなるのだ。だから、脳は時にその時と同じシナプスの動きを再現することで記憶を思い出しやすくできる――例えば写真や思い出深い風景を視覚が見た時、その記憶が思い起こされる。それと同じように匂いを嗅覚が、音を聴覚が、味を味覚が、感触を触覚が……その思い出に関連する五感が、脳のどこかに仕舞われた記憶を呼び覚ますのだ。
そういう意味では、エレインにとって母のことを知る手段はオペラ歌手として活躍していたころの映像と歌声が多かったのだ。だからこそ、強く今は亡き母の記憶を呼び起こすことになってしまったのだろう。
「……エミーリアさんが、吸血鬼に命を狙われてるんだよね」
「ん、そう」
黒百合の胸に顔をうずめたまま、エレインが聞いてくる。それに正直に答え、黒百合は続けた。
「でも、そんなことは絶対にさせないから」
「うん、ワタシも頑張るから……」
以前のハーンとメリーの時と同じ、いやあの時以上にエレインの中でエステルは強く感情移入している。その意味を、黒百合は優しく頭を撫でてやりながら思う。
(……テロで亡くなったんだもんな。それはそうか)
父親と母親をテロで失った少女が、母によく似た女性が命を誰かに狙われている状況を目の前にしているのだ。自分ひとりで来るべきだったか……いや、ヴラド相手にはエレインの協力はとても心強いものなのだ。
だから、ここまでくれば黒百合の言えることはただひとつだ。
「ん、一緒に護ろう。エレイン」
「うん」
† † †
ちなみに、こんなやり取りがありました。
安西P「おい、御曹司。お前、聖女って言ったらどういうの想像する?」
御曹司「んー、“妖精歌姫”とかどうです?」
これを聞いて安西Pが“妖精歌姫”の来歴や人生を聞いて、気に入ってしまったのが運の尽き。
……まさかこんなことになるとは、露とも思っていなかったのです。
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