88話 沈まぬ太陽もない1
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壬生黒百合が、ミニシナリオ:串刺し公襲来の話を知ったのは、他でもないサイゾウから秘匿回線を受けたからだった。
クラン《ネクストライブステージ》、そのクランハウスの自室。そこでログインしたのと同時に受けた秘匿回線で聞いた名を黒百合は繰り返す。
“黒狼”『“串刺し公”ヴラド?』
“忍々”『で、ござる。実は――』
“黒狼”『称号《英雄》以上でないと通常ダメージが通らない?』
サイゾウは、一瞬黙る。アビリティ《血装外骨格》――その効果を黒百合がなぜ知っているのか? その疑問を敢えてサイゾウは無視した。
“忍々”『……そうでござる。かなり厄介なのもあって、ぜひ黒百合殿に手伝って欲しいのであるよ』
(……サイゾウさんはこっちの事情は知らなそう)
わざと情報を出して、黒百合は試したのだ。なにせ、こちらはヴラドの同族であるエリザを匿っている状況だ。知った上でこっちに話を振ったのではないか? その確認のつもりだったが、指摘が来ない。知っていれば、黒百合経由でエリザからヴラドのより詳しい情報を聞きたい、と腹を割って提案はするはずだ。
既に情報を得ていた、などの言い訳も用意していたのだがスルーしてくれた……それならそれで、こちらからも指摘するのは避けておくべきだろう。
“黒狼”『私は構わないけど……大丈夫?』
その疑問は、既にミニシナリオを受けている者たちがいる中でそこに黒百合が加わることをメンバーが承知しているのか、という意図の質問だった。場合によっては横紙破り、称号《英雄》という立場を利用して強引に割り込もうとしているとも取られかねない。
そうなれば、明確なマナー違反だ。だが、サイゾウがそれを否定する。
“忍々”『これは聖女殿に謁見したPCなら誰でも受注できるミニシナリオでござる。むしろ、それで文句が出たら文句を言う方がマナー違反でござるよ』
なるほど、と黒百合は納得する。人数制限なし、期限内であれば誰でも受注できるミニシナリオなら問題ないだろう。
“黒狼”『みんなに相談してからでいい? 立場上、ひとりじゃ決められないから』
“忍々”『もちろんでござるよ! 聖女殿も称号《英雄》の黒百合と一度会ってみたいと言っているでござるから、手伝ってくれるなら拙者が話を通しておくでござる」
“黒狼”『……それも、なにか重い』
“忍々”『はははは! 英雄なんてそんなもんでござるよ、きっと』
そこから二、三世間話を終えてから秘匿回線を切る。黒百合はため息をひとつ、呟いた。
「高位吸血鬼、“貴族”か……」
† † †
「は? なんでヴラドがそんな真似してますの?」
ダンジョンの個室で午後のティータイムを楽しんでいたエリザは、黒百合から相談を受けて怪訝な表情を見せた。その表情に、黒百合は納得する。
「エリザもヴラドの目的はわからない?」
「もう、一〇〇年単位で会ってませんもの……でも、確かにおかしいですわね」
じゃれあっているガルム・パピィを眺めながら、エリザは目を細めた。その瞳は、今を見ていない。過去を見ている者のそれだ。
「……ヴラドはかの国でも有力な実力者でしたわ。クドラク母様が国を解体した時、幾人もの“貴族”がヴラドを次の王に擁立しよう、そう考えたのですが……ヴラドは母様の命に従い、人間と争うことなく姿を消しましたの」
その頃のヴラドは残虐にして残忍、有効であると判断すればいかなる非道な真似だろうとためらいなく行なっていた。その結果、同族からさえ恐れられ、血に飢えた苛烈な人物だと考えられていたのだという。吸血鬼の国を護る、そのためならばいかなる凶行も厭わない将軍。その行き過ぎた行ないに、魔王クドラクから諌められることさえあった。しかし、絶対の忠誠を誓うクドラクからの制止の命令さえ無視して、徹底的に外敵を屠るなど日常茶飯事だった。
「ヴラドが姿を消した時、みなが悟りましたわ。母様の命さえ聞き届けず、苛烈な戦いを繰り返したのはむしろ優しすぎた母様を護るためだったのだ、と」
事実、一二〇〇年前の国の解体時、約一〇〇年ほどは外敵からの侵攻は無くなっていた。“串刺し公”、その二つ名の元となった一〇〇〇〇を超える捕虜を串刺しにして侵略してくる軍勢の前に晒した残虐な行ないを含め、国の守護者として侵略者に一切容赦しないヴラドという存在が恐れられていたからだ。
「少数の味方のためなら大量の敵を殺す。一軍の将として当たり前のことをし、そして自らが恐怖の対象となることで争いそのものを根絶した、のですわ……今思えば、母様が諌めたのは――」
そこで言葉を一度切り、エリザは首を左右に振るう。それは死者の想いだ。時にわかりきっていようと、生者の想像で死者の代弁をしてはならない時がある。これこそ、その実例のひとつだろう。
「……とにかく、解体後の高位吸血鬼たちと人間たちとの戦いにもヴラドは関わりませんでしたわ。そのヴラドが今更、神聖都市の聖女を狙うなどワタクシには信じられませんわ」
「そう」
黒百合は、エリザの意見に黙り込む。考え込む黒百合に、エリザは呆れたように力のない笑みを浮かべた。
「呆れますわね、聖女を守りたいのでしょう? なら、ヴラドの事情など関係ないでしょうに」
「動機が知りたかっただけ。そうすれば、ヴラドの動きもいくらか読めるかと思った」
黒百合の言葉にエリザは嘘が下手ですわね、と声に出さず呟く。なんてことはない、黒百合は他でもないエリザのことを気にかけたのだ。同族の、あるいは知り合いかもしれない相手と戦い倒した時にエリザがどう思うのか? そう思われて探りを入れられたのだとしたら……随分と舐められたものだ。
「ヴラドがなにかしらの理由を持って行なっていることなら、決して言葉では止まりませんわ。むしろ、思い切り戦って倒してあげてくださいな。ヴラドなら、どんな結果も満足して受け入れるでしょうから」
そしてワタクシも、と心の中で付け足しておく。もう同族の滅びなど、幾度となく目にしたのだ。今更それで心が動かされることなどない……薄情かもしれないが、長き時を生きるというのは死に慣れるということでもあるのだから。
(そこまで初心だと思われるのも心外ですけど……見た目で判断されてますわね)
黒百合はまるで普通の女のように自分を扱ってくれる。エリザにしてみても同族以外には初めての経験だ。自分より、遥かに短くしか生きていないというのに……ああ、こういうのをきっと生意気というのですわね、とエリザはひとりほくそ笑む。
でも、悪くはないのだ。大きな戸惑いに、ちょっとした居心地の悪さとくすぐったさがある。戸惑うことが悪くない、と思える日が来るとは一八〇〇年生きてきて思いもしなかった。
(本当、あの女狐が落ちる訳ですわ)
眩しいのだ、とても。夜を歩く者がなにもない夜の荒野をただただ彷徨い、不意に東の空が白んでいくのを見つけたような……そんな感覚。夜の住人にして、太陽が身を焼く吸血鬼からすれば、その眩しさは死に至る猛毒のようなものなのに。
テーブルの上、黒百合の手に自分の手を伸ばし指を絡めながらエリザは言った。
「……ねぇ、黒百合。今からでも遅くないからワタクシのものに――」
「ならないから」
もう幾度も繰り返したやり取り。それでも、もうエリザは知っている。口では拒否しても、手を振り払う真似は決してしないのだ、と。
「そう、強情ですわねぇ」
だから、いつものようにすぐに身を引いてエリザは微笑んだ。
† † †
……九郎君、ちょっと女性に対して局地戦にチューンナップされすぎてへん?
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