余話第59話 フアト村
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明日は本編の予定です。
「ああああの、自分は全然そんなつもりはなくてですね、つまりーえっとぉ……、道案内のちょっとしたお礼、のつもりでほんの少し髪を分けてもらっただけ、で……。いいいいやいやいや! 悪さをしようなんてこれっぽっちも思ってなんかないですよ? ただあの後知り合った魔術師の方がどーーーしてもほしいと大金をこれでもかと目の前に積み上げたもので、はい、あのー……。……入り用だったもので、えっとー……」
「売った。と?」
「……はい」
穏やかに微笑みを浮かべながら、しかしこめかみに青筋を立てたエルゲが正面で項垂れる男を見下ろした。
正午。フアト村にあるギルドにて、しんと静まり返った元野次馬達が円を描くように囲う真ん中に、正座をする男とエルゲが向かい合っている。座っているのはフアト村村長の次男、トリアドだ。
「確かに、ニャオさんがこの村に立ち寄った時はまだ〈水神の掌紋〉が現れる前のようでしたから、ただの少し奇妙な旅人だと思ったとしても問題ありませんし、私もそれを咎めはしません。ですが、言葉が通じないと理解していながら許可なく髪を切る行為はとても褒められたことではない、ということはわかりますね?」
「は、はい……」
「そして、ニャオさんが〈水神の掌紋〉保有者だと王都から国中に知らせが行き渡った時点で自身の行いの愚かさを悟ることぐらいできたはずです。なのに今の今まで沈黙していた上に切り取った髪を売るなどと、許されるとお思いですか?」
「いえ、あの、髪を売ったのはそれよりも前で……」
「売ったことを黙っていたことには変わりありませんよね?」
「……はい」
エルゲが言葉を発する度に、ギルドの温度が下がっていく。フアト村の斧のギルマスと杖のギルマスも止めに入ることは叶わない。問題を起こした男の父である村長に至っては、息子の犯した罪の重さと救いようの無さに失神してしまっている。それを介抱しているのは2人の受付嬢だが、どちらも恐怖で体が震えていた。
異変が起こっている魔物の体からニャオの毛髪が発見された、という情報は、それを手にした人間がいる、という事実と共に、レンゲからガルネ騎士団に伝えられた。ガレン副団長の指示によりフアト村へ赴いたエルゲ達エルドレッド隊は、到着してすぐに件の男を呼び出した。なぜ素性がわかったのか。それは、現在進行形で怒りを露に口角を引くつかせているイヴァの魔法によるものだった。
「信じらんない信じらんなぁい。勝手に他人の髪を切って売って豪遊するだなんて信じらんなぁい。しかもそのお金もう残ってないみたいねぇ? ねえカフクル知ってるぅ? 悪いことをして得たお金ってぇ、ぜぇっっったい手元に残らないのよぉ?」
「キュルルルッ!」
「そうよねぇそうよねぇ~? やっぱりお金ってのは正しいことをして稼がないと意味やありがたみがないわよねぇ~? 恩着せがましく騙し討ちみたいなことをして稼いだって自分の質を落とすだけよねぇ~?」
「キュイー! キュイ!」
じっとりと、ねっとりと言うイヴァに、カフクルが相槌を打つ。その度に、トリアドは居心地悪そうに体を小さくした。
「おお~い、エルゲ隊長殿、アーガス副隊長殿、どんにゃ様子かのう?」
呑気な声で殺伐としたギルドの扉を開けたのはイニャトだった。バウジオに跨がっており、後ろからはキイナがついてきている。強張っていた冒険者や商人達は、くんくんとにおいを嗅いでいるキイナから仰け反るように後ずさった。
「このギルドちっちゃいね。入りづらいよ」
「外で待てと言ったじゃろう? バウジオと出ておれ」
「ばっふ!」
「やだ。一緒に行く」
「くぅ~ん……」
「バウジオといるのが嫌なんじゃないよ? ついて行きたいだけだからね?」
「ばっほい!」
場にそぐわない、日常会話のようなやりとりに、周りにいる人間達は一様にぽかんとした。思わずにやついたアーガスは、咳払いをしてからイニャト達に向き直る。
「そっちはどうだった? やりたいことは済んだのか?」
「お陰様でのう。ニャオの奴、フアト村に来たらテントを売ってくれた店の主に礼をせんと気が済まんと言っておったからにゃあ。たくさんの果実とジュースを置いてきたわい」
「そうか。そりゃよかった」
この場にはいないものの、ニャオとニャルクもフアト村を訪れていた。そちらにはランリが同行している。もちろん、事前に仔ドラゴン達の入村の許可を得た上で周知を徹底していたが、それでも村民達の注目を避けることはできなかった。
「律儀な奴だな」
「ま、召喚されたばかりで儂らに出会う前にその店に行ったらしいからのう。そんにゃ時に親切にされたら感謝の気持ちも深かろうて」
実際には、黄色と藍色のドラゴンを前に硬直する寡黙な店主の手に礼の品を押しつける、という強引なものであったが、イニャトはそういう場面から目を逸らすことには長けていた。
「ところで、そのたわけ者はどうするんじゃ? 無罪放免というわけにはいかんのじゃろう?」
「もちろんですよ。ニャオさんの髪の効果については箝口令が敷かれているので知らないのは当然ですが、〈水神の掌紋〉保有者の体を傷つけ、その上で売ってしまったというのを黙っていたことは罰するに値しますから」
イニャトの質問に小声でエルゲが返す。
「どんな罰が下るのかしらぁ? ライオネル団長もガレン副団長もぉ、アシュラン王だってニャオさんのことは気にかけてるっていうのに黙ってればばれないーって感じでだんまりしてた男だもんねぇ? ねぇねぇイニャトさぁん? どんな罰が下ってほしいぃ?」
「楽しそうじゃのう……」
「イヴァ、目が怖ーい……」
「キュウーン」
耳を倒して、尻尾を巻いたバウジオがアーガスの背後に隠れる。跨がるイニャトもアーガスの背に回ることになり、逞しい腕を前足で掴んで隠れながらイヴァを見上げた。
「儂はそやつが二度とニャオに手を出さんようににゃれば充分じゃよ。それより、ちと手伝ってほしいことがあるんじゃが……」
「おや、なんですか?」
エルゲが首を傾げた。
「今外にニャオ達もおるんじゃがのう。あやつ、待機しておるライドとオードに迷惑をかけておるんじゃ。それを止めてやってほしいんじゃよ」
「迷惑? ニャオがか?」
アーガスはエルゲと顔を見合わせた。2人が知るニャオは、迷惑をかけられることはあっても他人に迷惑をかけるような人間ではなかったからだ。
「一体何をしているんです?」
「うーむ。それがのう、両手をライド達に突き出して、自分を捕まえろ、と言っておるのじゃよ」
「はあ?」
怒りを含んだ疑問詞を口にしたのはイヴァだった。
「なぁんでニャオさんが捕まらなきゃいけないのぉ? 悪いのは金に目が眩んだこの馬鹿野郎じゃなぁい」
「口が悪いぞイヴァ殿。儂もそう思うし、お前さんが責任を負うことはにゃい、と言ったんじゃがのう」
うーむ、とイニャトは前脚を組んだ。
「ニャオの奴、自分のせいで国中に迷惑をかけてしまったんじゃから捕まえてくれ、罰金にゃら借金してでも払うからともかく捕まえて牢屋にぶち込んでほしい、と言って聞かんのじゃよ。ライドもオードも困っておるんじゃ」
「ランリが服を噛んで引っ張ってもやめないし、ニャルクがもうやめてって言ってもやめないし……。みんなお願い、ニャオを止めてよ」
「……止めに行きましょうか」
「そうだな……」
「どっかの馬鹿に見習わせたいわねぇ」
「キュルル!」
苦笑いしながらエルゲはギルドの外へ向かった。アーガスとイニャト達もそれに続く。ほっと胸を撫で下ろしたトリアドの前に、カツンッと靴音を立ててイヴァが仁王立ちした。
「逃げられるなんて思わないでね」
地を這うような声色で、イヴァが睨みつける。ヒッと短い悲鳴を上げたトリアドは、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「イヴァー、早く来てー。ニャオがまだ捕まえてほしそうにしてるから止めてよー」
「はぁーい、今行くわぁー」
キイナに呼ばれて振り返ったイヴァは、ご機嫌な様子で返事をしながら軽い足取りで外に出た。残された面々はただただ呆然とするしかない。仲よく失神した村長親子は、目覚めるのを拒むかのように眠り続けた。




