余話第14話 混ぜるな危険
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次から主人公視点に戻ります。
空を斬る音がした。咄嗟に身を仰け反らせたマニの目に、一瞬前まで自身の顔があった箇所を薙ぐ青緑の刃が映る。
既に取っていた距離をさらに広げる為に、マニは後方へ跳んだ。ニャオは追わない。不安げに鳴くノヅキをシシュティに預け、“バンパイアシーフの短剣”をマニに向けたまま、目を閉じる。
(見えなかった……)
顔に出さずに、マニはわずかな恐怖を抱いた。名家の娘として、サスニエル隊の隊員として剣術の腕を磨き続けたマニにとって、身体能力の劣る異世界人は敵ではなかった。そう思っていたのだ。
しかしニャオは踏み込んできた。短剣が届かない距離にいるマニに。長剣を持つマニの間合いに、ためらいもせずに。
剣を握り直したマニは、少しずつニャオににじり寄った。ニャオの瞼は開かない。それでもマニは、短剣の間合いに入れずにいた。
(舐めてかかっていい相手じゃない。異世界人ってこんなんなの?)
無意識に息を潜めながら、マニは身動ぎしないニャオを睨み続けた。その為に、この場にいる他の者達に起こっている変化に気づけなかった。
ノヅキを抱くシシュティと、未だ血を流す隊員達の体に降る雪がかすかに輝き、血を止め、裂かれた肉の隙間を埋め、皮膚を繋いだ。隊員達の口から漏れた驚愕の声に、マニは好ましくない奇跡にようやっと気づいた。
「嘘……」
刃向かえないような傷を負わせた者達が次々と立ち上がる。睨み返してくるかつての仲間と、愛剣を拾ったシシュティに舌打ちをしたマニは、開かれたニャオの瞳を見て身震いした。
マニが知っているニャオの瞳は髪と同じ黒だった。だが今は違う。薄雲を貫き夜の世界を照らす月と見紛う金色だ。
ニャオが“バンパイアシーフの短剣”を構える。次いで姿が消える。ハッとしたマニは反射的に左に剣を振った。
甲高い音を立てて、マニの剣とニャオの短剣が交わる。間近で金色の瞳を覗くことになったマニは、その奥に明らかな敵意を感じ取った。
(何なのこいつ、速い!)
ユニークスキルさえ使わせなければ勝てると踏んでいた相手に防戦しかできないことに、マニは困惑した。気圧され、後ずさり、剣を握る手が痺れ始める。
その頃には新たな異変がニャオの身に起こっていた。マニはもちろん、2人の攻防を呆然と眺めていたシシュティもそれに気づく。
「ニャオさん……、大きくなってる?」
小柄なニャオはシシュティよりも背が低い。なのに今、ニャオはシシュティと変わらない背丈のマニの目を同じ高さで見据えながら短剣を振るっている。
マニはそれをまじまじと体感していた。剣で受ける短剣の一撃が回数を増すごとに重くなり、見下げていた顔はすぐに見上げるまでになった。
そして察した。違う大陸の術ですら脅威となり得るのならば、異世界の者が使う術の脅威が計り知れないことに。ましてやそれが、異世界の神の加護を与えられた存在によるものならば、最早想像もつかない悲劇に繋がる可能性があり得ることに。
マニの目の前で、“バンパイアシーフの短剣”に宿るネメアン・ライオンの魔力が渦巻き、ニャオの体に流れ込んでいく。そこにバンクルに込められたレンゲの魔力も混ざり、水神の気が2つの魔力をニャオの魂に織り混ぜていく。
「っぁあああ!?」
声を上げて、マニは渾身の一撃をニャオに喰らわせた。真横から来た剣撃を短剣で受け止めたニャオは堪え切れずによろける。その隙をついて、マニはニャオの鳩尾を蹴り飛ばした。
短く呻いたニャオが、踏み固められた雪の上を転がっていく。名前を叫んで駆け寄ろうとしたシシュティは、ビクリと体を震わせて立ち止まった。
片膝をついたニャオが深呼吸をした。肩までしかなかった黒髪が伸び、うねり始める。頭の天辺からひょっこりと、丸い耳が現れた。
ニャオが立ち上がった。先ほどまでよりも背が伸びている。服の隙間からするりと出てきたのは、毛の束を持つ尻尾だった。
『グルルルルルルルル……』
獣の唸り声が全員の耳に届いた。サスニエル隊の隊員のものでも、もちろんシシュティのものでもない。
俯いていたニャオが顔を上げる。剥き出しになった牙は人間のものとは思えないほどに鋭い。
ニャオとしての面影はあるが、その出で立ちにシシュティは怯え、ノヅキは目を輝かせた。
「し、獅子獣人……?」
シシュティの声が震える。百獣の王へと姿を変えた異世界人に睨まれたマニは恐れおののき、奥歯をカタカタと鳴らした。
短剣を握る手をだらりと垂らしたニャオは、気だるげな様子でマニに向き直った。1歩、2歩、その風貌に違わぬ堂々とした歩みで距離を詰める。
「……これ以上」
震える体を、剣を握り込むことで抑えたマニが憎々しげに呟いた。
「これ以上、あんたなんかに邪魔されてたまるか!!」
雪を蹴り散らし、マニが迫る。マニを止めようと駆け出したシシュティ達の耳に届いたのは、マニの雄叫びと、ニャオのため息だった。




