ハクア、及び、研究談話
トアとハクアは、他二人が寝静まった後に、研究に関する話し合いをすることが多い。なにしろ、クアトは兎も角として、ギアは良く思っていないらしく、突っかかって来る事が多いからだ。
「今まで解ったことをおさらいすることにしましょうか」
「はい、博士。わかりましたー」
「大前提として、魂を持つ存在は、人間とドラゴンに限られるのだよ」
魂とは、その存在を証明するものであり、人間とドラゴンのみが持っている。それ以外の存在、植物も、動物も、管理者さえもそれを持っていない。その筈ではあるが、ただ一体、混沌の管理者レアル・グリードだけが、魂を持っている。ただ、本人曰く、その魂は、レアルのものでは無いので、魂を持つ存在としては数えられない。
「そしてー、人間の魂と、ドラゴンの魂は、別物ってことですよねー」
「ふむぅ、少し違う。魂の扱いが違うのですよ。故に、別物であると考えられている」
ドラゴンの魂は、中立の管理者フォルフルゴートによって管理されているが、人間の魂は〈零の映写機希構〉によって管理されている。別物であるからこそ、それを管理する存在が違うのだという考えだ。
「そういえば、そうでしたー。もう一つ根拠とするのであれば、人間とドラゴンの奇妙な関係性ということですよねー」
「その通りです。ドラゴンの魂と、人間の魂は、まるでパズルのピースなのだよ」
人間とドラゴンの奇妙な関係性。ドラゴンが人間を食べると、その姿を得られる。人間が、ドラゴンを食べると、その姿を得られる。これを中途半端に行われた場合が、元の姿に戻れなくなるというものであり、今のギアの状態がそれである。姿を得るという現象は、ドラゴン同士では起きないし、人間同士でも起きない。
「まるで、相手を完全に取り込むことが推奨されているとでも言いたげな仕組みですよねー」
「ふむぅ。ドラゴンが人の姿を得るという事例は多くあります。だが、私はその逆を知らない」
「まぁー、体格差と言うのはどうしようもないものですよー」
基本的に、人間よりもドラゴンの方が大きい。ドラゴンが人間を丸ごと食べて、姿を得る事が出来たとしても、人間がドラゴンを丸ごと食べるというのは無理がある。なので、人間がドラゴンになるというのは、肉体の一部だけを摂取した、不完全なものになるのが一般的と言える。
「小柄なドラゴンを手に入れたいですねぇ。光竜リアが一番都合が良いですが、次点で闇竜メアかな。雷竜レアとなると、少し大きすぎる」
「博士、リア・アルアも、メア・ダクアも、光竜教の関係者、というかー、本人ですよー。流石に手を出すのは危ないですぞー」
人に救いの手を差し伸べる役割であるはずの、神聖の管理者メビウスが姿を消してしまい。その代わりを担っているのが光竜教。いつの間にかリアが崇められていて、何故か出来ていた組織であり、教えを守れば救われるという名目で、団結させて治安を守るのが目的である。
「ふむぅ、私は嫌われているみたいだからな」
「博士、邪竜とか言われているらしいですねー」
光竜教では、脅威となる存在を邪悪認定して、団結して討伐をするという側面もある。トアが邪竜認定されたのは、リアに手を出そうとしたからであり、信者はもちろん、光竜教に属するドラゴン達にも狙われている。
「なんなんですかね。メアも、コアも、エアも、ソアもですよ。リアには魅了の権限でもあるのでしょうか? 私は何も感じなかったのだが」
「いやー、私はよく知らないですがー、信者たちがよく可愛がっているという話を聞きますぞー」
「それは主神というより、ペットではないのか?」
もはや、主神なのかペットなのか解らないリアは兎も角、闇竜メア、破竜コア、境竜エアは普通にトアよりも強いのである。普通に戦って勝てる相手では無いのだが、普通に戦う気など、全く無いのがトアと言うドラゴンだったりもする。
「まぁー、話を戻しますとー。どちらが取り込んだとしても、結局はドラゴンであり、人間でもある存在に帰結すると、前に言ってましたよねー」
人間とドラゴンの奇妙な関係性によって、ドラゴンが人間の姿を得たとしても、その逆が起きたとしても、それが意味するのは、二つの姿を持つ存在が誕生するという事であり、どちらが元になっていても、結果としては変わらないという事だ。
「まぁ、仮定ではあるのだがな。どちらにしても、魂を介さない変化の後で、関係性による変化を起こす場合、どうなるのか興味があるのだよ」
「なるほどー、クアトの出番という事ですねー」
「おやぁ、それだけでは無いですよ。丁度純粋な人間も居ますからね、比較実験が出来るのだよ」
「そういう事はー、本人の前で言う事ではありませんぞー。それに、博士の肉体を使ったとしても、ドラゴンが足りませんからねー」
「ふむぅ、やはり光竜教が邪魔ですねぇ」
それからも、考えを述べ合う二人。トアもハクアも楽しそうに話をしている。存在としては違えど、似た者同士なのかもしれない。なにしろ、話の内容が冗談なんて事は無いのだから。
「人は心故に死に至る。もはや、私に心なんてありませんよ」