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3.3.1 暗躍の影

 人で溢れていた表通りとは違い、路地裏は人の気配がしなかった。建物と建物の間にある通路は、そこまで幅も広く無い。上からの日光も薄らとしか入らない。

 パルーアの知る路地裏、帝都のそれと違うのは、浮浪者がたむろするスラムと化していないことだった。


(だからこそ、ああ言った者は目立つということね)


 路地裏に消え、今もパルーアから離れた前方を進む人影は、帝都や近隣都市で暗躍している拉致犯と合致する特徴をしていた。真っ黒な布に、白色で幾何学的な文様を刺繍した外套を纏った姿。

 写し絵でしか見たことの無かった犯罪者を発見した際、それを黙って見過ごせるほど、皇女はお淑やかでも臆病者でもなかった。


 相手が魔術の達者な貴族令嬢を拉致するだけの何かを持っているということは、百も承知。それでも、彼女には自身の魔術に対する強い自信があった。捕縛が難しいならば、この学院都市で事を起こされる前に消し炭にしてしまえば良い。そんな物騒なことも考えている。


 黒い外套を追いかけること僅かに数分。パルーアは入り組んだ路地裏の奥の奥へ、自力では表通りへ抜け出すことも苦労しそうな程に、建築物の入り乱れる迷宮に入り込んでいた。

 そのことに彼女が気付いたのは、道が三方向に別れている広場へ辿り着いたときだった。


 これが迂闊な獲物を誘い込む罠だとはっきり理解したと同時に、目の前にあった黒い外套が空間へ溶けたように消え失せた。


「幻影……?」


 こと魔術に関しては、学院の学徒などよりも余程の知見がある皇女ですら、自分が追っていた者が幻であったとは気付けなかった。


 狩り場へと獲物を誘い込んだ狩人が、次にすることは何か。それを考えたパルーアは、咄嗟に身を翻す。元来た道へ駆け出そうとしたが、その行く手に小汚い様相の男が立ち塞がった。


 逃走路を塞がれた彼女が振り返れば、先の分かれ道からも、同じような風貌をした男たちが現れる。


 相手は四人。どれもみすぼらしい、小汚い格好をした男である。取り囲まれ、逃げることができないのであれば、追い詰められた側がやることは限られる。


「私を誰か知っての狼藉か。などとは言わないけど、痛い目を見たくなかったら道を空けた方が良いわよ」


 パルーアは右手、魔術の触媒である指輪をはめた指を見せつけるように掲げ、男たちの反応を伺う。学院都市にいる人間であれば、これが魔術を扱うための道具であることくらいはわかるはずだ。

 しかし、彼らは無言のまま、じりじりと間合いを詰めてくるだけだった。よく見れば、どの顔も呆けたような表情をしており、心ここに在らずと言った様子である。


(操られているだけ?)


 拉致犯の手口が読めてきていた。人気の無い場所になんらかの方法で誘い込み、魔術で傀儡とした人間で襲わせる。魔術で抵抗されようと、多勢に無勢ならば抑え込めるし、いくら殺されようが捕らえられようが、実行犯は痛くも痒くもない。

 ついでに、相手が操られているだけの人間とあっては反撃を躊躇せざるを得ない。そう言った心理的を狙った作戦でもあると見た。


「かわいそうだとは思うけれどね」


 だが、この皇女は身分の重さというものを理解している。たかが操られた人間が数人の命と、皇族の命では、天秤にかける価値すらない。躊躇うことなく魔素を操作し、周囲の男どもを消し炭にしようと魔術を発動させようとした。


 親指と人差し指の指輪を摺り合わせ、「かちんっ」と指鳴らしとも違う音が鳴る。それが魔術発動の合図であった。


 けれども、パルーアが思い浮かべていた光景は発現しなかった。術を発動するために集めた魔素が霧散していく感覚。これには覚えがあった。


(術封じの魔具……?!)


 それも、皇女の力ですら封じる力を持つ強力な物だった。皇帝が御座す玉座の間に設置されているそれとは比較にならない強力な代物は、帝国の技術で造り出すことはできない。


 しかも、パルーアの術のみを封じて、洗脳の魔術は発動させたままにできている。効果範囲の指向性を持たせるのは、更なる高等技術だ。こんなものが造れるのは、魔術で優れた共和国か、あるいは聖国しかない。


「やられた……!」


 パルーアは自身の推理が大外れだったことを知り、一転して絶望的となった状況に歯噛みした。多少の護身術は習っているが、それでも大の男を四人も相手にはできない。


(こんなことなら――)


 ラジュリィとトーラレル……否、魔術という技を使わずとも強者である御堂を頼るべきだった。

 この件に関して部外者である彼らを巻き込みたくなかったという思いと、一人でも何とかできるという慢心が、この状況を生んだ。それに対する後悔が、パルーアの心を蝕む。


 自分を囲む無表情の男たちが、自身を捕らえようと迫ってくる。皇女はこれまでに長らく感じていなかった感情、恐怖心を抱いた。唇が震え、小さい、祈るような言葉を紡ぎ出す。


「……助けて」


 ミドール――消え入りそうな声でそう続けたときだった。彼女の後ろにいた男の首筋に、鈍く光る何かが突き刺さった。首を押さえて倒れる男。少女が振り向く。その視線の先には、


「ご無事ですか! 殿下!」


 全速力でこちらへ駆けてくる、護衛騎士の姿があった。



 パルーアが路地裏に消えてから、御堂がそのことに気付くまで、そうはかからなかった。異変に気付いた御堂はすぐにラジュリィとトーラレルに皇女が消えたことを伝え、二人に表通りでの捜索を任せた。そして自身は、即座に薄暗い路地裏へと駆け込んだのだ。


 はぐれただけなら、ラジュリィたちが見つけるだろう。しかし、路地裏に何らかの理由で迷い込んでいたら、その先に待っているのはどう考えてもよろしくない状況だ。


 果たして、地理のわからない路地裏を駆け回った御堂の推理は正解であった。不自然な程に人がいない道を走る内、ようやくパルーアと、それを囲む不審人物の群れを発見したのだ。


(護衛対象は囲まれている、身なりからして真っ当な身分ではない。何より、顔に正気が見られない)


 状況を遠目から確認して分析を御堂に、男たちの命を考慮する余裕は一切無かった。


(殺さずに無力化ができるほど、俺に技量はない!)


 せめて恨んでくれるなよ――腰に下げていたコンバットナイフを鞘から抜くと、右腕を鞭のようにしならせ振る。御堂の手から離れた肉厚な刃は正確に飛び、パルーアの背後から迫ろうとしていた男の首筋に突き刺さった。


 教官直伝の投げナイフ。まさか、本当に役に立つ時が来るとは思わなかった。そんなことを一瞬だけ思いながら、こちらに気付いたパルーアに御堂が叫ぶ。


「ご無事ですか! 殿下!」


 振り向いた彼女に負傷などは見られない。それに安堵しつつ、こちらを認識し、身構えた男たちに御堂が襲いかかる。


 身を低くしたまま駆け込み、倒れた亡骸の首筋からナイフを引き抜く。まずは目の前に出てきた男に、下から掬い上げるように斬り掛かる。胸元から首までを縦一線で切り裂かれ、鮮血を散らして男が倒れた。


 左右から掴みかかろうと二人の敵が迫る。御堂はバネのように身体を再び縮め、男たちの腕を空振らせた。地面を舐めるような低姿勢から足払いを放ち、右にいた男を転倒させた。


 息をつかない連続動作で、左の相手に伸び上がるような突きを放つ。ナイフが男の喉元から顔面内部へと射し込まれる感触を確かめてから、即座に引き抜く。空いた穴から空気の漏れるような音を出した男が倒れる。


 身を翻して起き上がろうとした男の首筋を手早く掻き切り、殴りかかろうとしてきた最後の一人に相対する。


 空いている左腕で突き出された腕を取り、足を絡ませて地面に転がす。衝撃で動きを止めた男の心臓へと正確に刃を突き立てた。


 絶命した男から、血に濡れたコンバットナイフを引き抜く。もう周囲に敵がいないことを確かめてから、御堂は力が抜けて地面に座り込みそうになる。皇女の手前、そうするわけにもいかず、どうにか足腰に力を込めて堪える。


(……すぐ慣れると教官たちは言っていたが、これは……滅入るな)


 ナイフを肉に突き刺す感触。吹き出す赤い液体。命を直接に奪うこと。どれも御堂には経験不足のことだった。刃物などで直接生物、しかも同じ人間を殺害するのは、それなりにショックが大きい。拳銃やAMWで間接的に殺害をするだけならば、こんなに気分が落ち込むことはない。


(この世界では、こんなことを気にするだけ野暮なのだろうがな)


 地球の日本と比べ、この世界において人の命が恐ろしい程に軽いのは、流石にもう理解できていた。今は、護衛対象である皇女殿下を無事に救い出せたことを喜ぶべきだろう。そうしなければ、心の均衡を崩してしまいかねない。


 御堂は自身にそう言い聞かせるが、それでも心に重い物が落ちるのを感じた。それを誤魔化すように、あるいは吐き捨てるように、深い溜め息を吐いた。

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