3.2.10 喧騒を行く
昼時前の学院都市は大賑わいであった。
大通りは住民なのか観光客なのかも区別できないほどに人が溢れかえっている。それらを相手にするためか、住宅の前には家主が出しているらしき即席の屋台が建ち並んでいる。
これだけの喧噪にありながら、治安が悪化しているような雰囲気はしなかった。人々の動きは、統率が取れているとはとても言い難い。けれども、喧嘩などのトラブルや騒ぎが起きている様子は、御堂たちが街に繰り出してから三十分余りの間、一度も見られなかったのだ。
(この民度の高さ。学院都市、貴族の子弟が集うための街というだけのことは、あるということだろうな)
人々の流れを上手く避け、人混みを縫うように歩く御堂は、住民の在りように一種の感心の念を抱いていた。
護衛という役目も忘れてはいない。前を進む三人娘から目を離さないように気をつけながら歩く。そのおり、手に持っている薄い木製トレイに乗っている料理に、竹串的な道具を突き刺す。
(……味はオリジナルと違うが、これはこれで……)
まだ熱いそれを口に放り込んで、熱い息を出しながら粗食する。
それの見た目を端的に表現するならば、日本の料理“たこ焼き”にそっくりだった。何なら、その上に塗りたくられた赤茶色のソースから、懐かしさを覚える香りもする。
それは、無理矢理連れ出され、ややふて腐れた態度になっていた御堂を宥めるために、ラジュリィが買い与えたものだった。彼女がこれをチョイスした理由は、屋台の看板に「授け人伝来」と大きく記されていたからである。
最初は渡されても、護衛に集中できないのでいらないと断っていた御堂だったが、三人娘と、更には屋台の店主から、過剰な遠慮であると咎められてしまった。なので、仕方なくそれを受け取り、こうして口にしている。
味は丸くしたお好み焼きに近い。中にはタコではなく豚肉を塊状に形成したような具材が入っている。なお、この世界には、地球の豚と姿形の近い家畜が存在していることは、御堂もすでに知っている。
(その豚? らしき肉が、庶民の屋台にも出回るということは、地域差はあるだろうが、畜産の技術もそれなりには、発展しているということだろうな)
数ヶ月前に、イセカー領の騎士であるブルーロから教わった庶民生活の話でも、彼らが肉類を食す機会はままあるのだとあった。
逆に、タコなどの魚介類を新鮮な状態でこの大陸内部に持ち込む技術は、まだないのだろう。その代わりに、豚肉を具材に使用しているのだと考えられる。
(しかし、何故にたこ焼きを伝えたのだろうか、過去の授け人は……)
「ミドール! こちらへ!」
そんな風に自分なりに推測を広げていると、前方を進んでいたラジュリィから声がかかった。残り一つのたこ焼きもどきを口に放り込んで、軽く噛んで飲み込む。
空になったトレイを手近のくずかごへと押し込んでから、店の前でこちらを待っている護衛対象の元に駆け寄る。
「少しは機嫌を直してくれた?」
「美味しかったでしょう? あのお店が屋台を出して売り出すのは、中々ないのですよ」
「僕も街に出ることは時折あるけれど、あれが売られている機会はかなり少ないんだよね」
あの料理がそんなに希少なものだったとは、御堂はたこ焼きもどきも侮れないと思いつつ、礼をして用件について訪ねる。
「ええ、おかげさまで。それで何用でしょうか」
「……騎士ミドール。いえ、ミドールは先にした約束をお忘れですか?」
「この時間は、私たちに畏まった態度を取ることは禁止、そう言ったはずよね。私が皇女だと気付かれると、騒ぎになってしまうから」
そう言って微笑むパルーアは、学院にいた時と様相が違った。服装はラジュリィが着ているような洋装の普段着。特に目立つ赤紫の髪色は、どんな方法を使ったのか、紫が抜けた赤茶色に変化していた。
流石に顔立ちまでは変わっていないが、ぱっと見ただけでは、見た目麗しい少女にしか見えないだろう。貴族とは思われても、まさか皇族とは思われない。
「それは、承知していますが、やはり殿下にそのような……」
周囲に身バレしないために必要なことだと聞かされていても、一応は講師と騎士の役職を与えられている御堂からすれば、皇族に対して礼を省いた態度を取るなど、恐れ多かった。
ちらりとトーラレルに目配せする。幼馴染みのラジュリィはともかく、皇女に対して自分に近い立場である彼女に、助け船を求めた。しかし、
「諦めた方がいいと思うよミドール、このお方にもっともな正論を述べても、ひらりとかわされてしまうから」
「やっぱり、トーラレルは物分かりが良いわね。共和国のエルフはお堅い人ばかりと聞いていたけれど、間違いだったみたい」
「ある程度の柔軟性は、持ち合わせてるからね。パルーア?」
いつの間にそこまで打ち解けたのか、笑い合うトーラレルとパルーアに、頑固な御堂を咎めるようにじっと見つめるラジュリィ。
身分の違いもあるが、格式張った態度を、馴れ合いを避けるための“壁”としていたかったのが、正直なところだった。だが、彼女ら相手にはそれも無駄な抵抗だったようである。観念して、その壁を取り下げることにした。
「わかった……だが、後から不敬だったと処罰したりはしないでもらいたいな」
「ふふ、素の話し方は案外ぶっきらぼうね。畏まってる時も悪くなかったけど、こっちの方が素敵よ」
「からかわないでくれ、それで俺を呼んだ用件は?」
「ここのお店に立ち寄ろうと思うのだけれど、ミドールには判定役を頼みたいんだ」
「判定役?」
そこで、やっと御堂は自分たちの前にある店舗の看板を見た。この世界の言語で「被服店」と書かれている。内装を見れば、女性用、それも貴族などが着る類の服を売っているようだった。
この世界における衣類は、基本的にフリーサイズかオーダーメイドで作られる。平民は前者、貴族は後者が主である。大量生産のブランド品という概念はまだない。にも関わらず、ガラス越しに見える店内には、ずらりとまだ新しい物に見える洒落た服が並んでいた。
これらの情報から考えられる御堂の推測通りなら、貴族向けの古着屋か、あるいは新品の試着品を大量に持つ、風変わりな被服店というところだろう。
(いや、そんなことよりも……)
今並べられたワード。ファッションショップ、若い少女たち、判定役。これらから導き出せる答えは、男である御堂でもすぐにわかった。溜め息を漏らす。思いついた答えが間違いであることを祈りながら、訪ねる。
「……俺にどうしろと言うんだ」
「何も難しいことは求めません。私たちが思い思いに着飾るのを見比べて誰が一番、ミドールの趣向に合致する服装になったか、教えていただきたいのです」
「拒否権は」
「あると思う?」
思わず後退った御堂だったが、トーラレルとラジュリィにがしりと腕を捕られ、後ろに回り込んだパルーアに背中を押されながら、店に連れ込まれることになったのだった。
***
「ミドール、あまりはっきりしない男は嫌われるわよ?」
「そうですよ。せっかく頑張って着飾ったというのに」
「あまり男らしいとは言えないんじゃないかな」
「……すまない」
店に入ってから一時間ほど経って、再び外へ出た三人娘は不機嫌であった。原因となった御堂は、何か間違っていると思いながらも、謝罪することしかできない。
貴族と皇族によるファッションショーの結果を端的に述べると、審査員の御堂は全員にそれっぽい褒め言葉をかけて、優劣はつけられないとしたのだ。
これを切っ掛けに、恋敵に対してアドバンテージを取れると思っていたラジュリィとトーラレルは御堂に詰め寄り、パルーアは呆れたと御堂に冷ややかな視線を送っていた。
御堂は少女らの猛攻を懸命に口を回して受け流し、どうにかその場を治めた。それから「騒がせて申し訳ない」と店主に頭を下げて店を出た。というのが、ここまでにあった流れである。
なお、三人は店主に試着した服を購入する旨を告げてから店を出ている。荷物になるのでその場では受け取らず、専門の業者に後で学院へ届けさせる仕組みだ。
口では納得が行かないと言いつつも、愛しの相手に褒めてもらった服は、しっかり手に入れる。この辺りは、貴族としても恋する乙女としても抜け目がなかった。
「次の審査では手を抜かないでくださいねミドール? 私、不機嫌になってしまいますから」
「僕としても、引き分けのままで終わらせる気はないからね。審判にはしっかりしてもらわないと」
「……まだやるのか」
俄然とやる気のラジュリィとトーラレルが火花を散らし、御堂が困り顔で後頭部に手をやる。その様子を列の最後尾にいたパルーアは、微笑ましいと笑って見ていた。そのとき、視界を横切った人影に、パルーアは気を取られた。
「あれは……」
呟き、その人影を目で追う。帝都を出る際に聞いた、帝国を騒がしている集団の特徴を、今になって思い出していた。
パルーアは一度、自分の護衛である騎士の背中と、追うべき人影が消えた路地裏を交互に見る。
一瞬だけ、迷うように瞳を揺らしたが、すぐに意を決したように表情を引き締めると、人混みから外れて、薄暗い路地裏へと入っていったのだった。
 




