3.2.9 皇女の我儘
ラジュリィからの了承はあっさりと取れた。むしろ、パルーアがした付き添いの提案に、示し合わせていたように即答するくらいだった。御堂は、二人が昨晩の内にそうなるように決めていたのかもしれないと考えてしまった。
三人から四人の団体になった一同は、またパルーアを先頭にして通路を進む。講義が始まる鐘が鳴る直前であるため、周囲に他の人影、学徒と講師の姿はない。
それなりに広い学院内。皇女は何も言わずに通路を進み、階段を上り、時折教室を覗いて見てから、また階段を降りる。目的も決まっていないような、まるで規則性もない動きをしていた。
そんな彼女の後ろに黙って付き添っていた三人だったが、痺れを切らせ、御堂が質問を投げかけた。
「殿下、どちらに向かっているのか、我々にも教えていただけないでしょうか」
「あら、まだわからない?」
「わからないのかと仰られましても、今日のご予定や目的地など、何も教えられていませんから」
「それもそうだったわね。それじゃあラジュリィ、教えてあげてくれない?」
突然、話題を振られたラジュリィは、少し迷ったようにしてから俯く。何事か、言いにくい事情があるらしい。だが、御堂とトーラレルの視線を受けて観念したのか、しかたないと語り出した。
「皇女殿下は――」
「その呼び方は禁止よ」
「……パルーアは、学院内だけでなく、外、都市部の様子も見たいとのことです。そのため、今は監視の目を逃れるために動いています」
「流石はラジュリィ、そこまでわかっているのなら、話は早いわね」
「魔素の動きから、まさかとは思っていましたが、殿下は自分と同じ幻影の魔術が得意なのですか?」
「ふふ、トーラレルも気付いていたのね。貴女の魔術とはちょっと違うけれど、似たようなものを私も使えるのよ。凄いでしょ?」
突然始まった、皇女と教え子二人の専門的な会話に、御堂は理解を追いつかせるのがやっとだった。はっきりとわかるのは、このお転婆な皇女様が、またとんでもないことを言い出したことだけだった。
「……質問してもよろしいでしょうか」
「何かしら」
「自分の推測になりますが、皇女殿下は今までの内に、幻影の魔術を用いて、こちらを監視していた近衛兵たちの目を欺いた、ということでしょうか?」
「そういうこと、ミドールも授け人にしては、魔術に対する知恵があるようね。せっかくだから、歩きながら教えてあげる」
それから、パルーアは自慢げに語り始める。彼女が発現を得意とする魔術は温度、もっと簡単に言えば、炎を操るようなことだと言う。それに関連する事象であれば、ある程度は自由に発生させられるというのだ。
(つまり、陽炎的な幻影を生み出したか、あるいは熱源的なものを設置して、監視系の魔術を誤魔化したということか?)
御堂も、監視が居るだろうと予想はつけていたので、さり気なく周囲を探っていたが、目に見える範囲にそのような人物は見当たらなかった。であれば、遠隔的な手段を用いて、こちらを見ていると考えるのが自然だ。
例えば、人体の熱源や魔素などを、蛇のように遠くから察知する魔術を使っている術士がいたとする。その術士からすれば、これは相当に厄介な欺瞞方法だろう。そして、皇女は自身についている近衛の能力は全て把握している。監視役が嫌がる術は、良く心得ているはずだった。
「近衛がいると、何か不都合でも?」
「当然でしょう? きっと近衛騎士たち、特にペルーイ辺りは全力で止めにくるでしょうね。今の学院都市の状況からすれば、なおさらに」
「それがわかっていながら、敷地外へ出るのですか?」
その問いに、パルーアはにこりとした微笑で答えた。御堂は溜め息を吐いて頭を掻く。彼も、学院都市に皇族を護衛も無しで連れて行く危険性は、よくわかっていた。
今の学院都市はどこもかしもこお祭り騒ぎである。これは毎年、皇族の行幸が行われる度に起きる行事のようなものだった。街を挙げて皇族を歓迎する意を、住民たちが示しているのだという。
故に数日の間、この街は大いに賑わう。元から大規模な街であることに加え、周囲の街からも、皇族を一目見ようと観光客が訪れる。それに釣られて、商売をしに商人もやってくる。それに紛れた不届き者も、当然のことながら集まってくる。
関所も全ての出入りを管理するなどできるはずもない。しかもここは国境を跨ぐ立地だ。帝国と共和国、どちらからも人種問わずに人が集まる。
この中を皇族が出歩くことの危険性は、御堂が態々説明するまでもない。本人もわかっているはずだ。
「ラジュリィ、君は止めないのか?」
「私も説得を試みましたが、言って聞いてくださる方ではありませんので」
「……トーラレルは」
「皇女殿下が制御の効く方じゃないってことは、学院へお連れする道中で良く理解したよ」
「ふふ、貴方の味方はここにはいないわよミドール。止めたければ力づくよ? 淑女にそんなことをできる度胸が、貴方にあるかしら」
「……力づくで良いという許可が頂けましたら、今すぐにでも、手近な部屋へ入って大人しくしてもらいますが」
すっと、音も無く御堂が自然体で身構える。その目は本気だった。
「ま、待ちなさいミドール。皇族に手をあげるのは、騎士としてどうだとか思わないの?」
御堂の動作は、少女が思い浮かべていたのとは少し違う反応だった。パルーアは初めて、焦った素振りを見せた。
「重要人物が危険なことをしないように嗜めるのも、護衛の役目だと存じております。それにペルーイ殿から、そのようにして良いと言質も取っています」
「ペルーイったら……聞き分けのない騎士に、ちょっとだけ、私の力を見せてあげた方が良いのかしら?」
挑発するようなその言葉に、御堂は今すぐにでも皇女に飛びかかって抑え込めるよう、足を動かした。相手が本気だと認識したパル―アも思わず片手を上げて、親指と人差し指に装着している金属を擦り合わせようとする。
(……魔道具の類か?)
そういえばと、御堂は推測する。パルーアは昨晩も今も、杖などを使わずに魔術を行使していた。最初はラジュリィと同様、素質によるものかと思ったが、どうやら違うらしい。
親指と人差し指に指輪状の金属、それを指で動かすことを合図にして、魔術を発動する。そういう類の道具のようだった。
(本気でかかられたら、無力化するまでに怪我をするかもしれないな……どう制圧するか)
冷静に相手の戦力を分析する御堂。頭の中ではすでに、皇女に傷を負わせないように動きを止めさせる算段をつけていた。
パルーアの方は、御堂が皇族を前にしてもあまりに躊躇しないので、ある種の戦慄を感じていた。
咄嗟に魔術を行使する構えを取ってしまったのも良くなかった。下手をすると近衛騎士と同等か、それ以上の使い手を本気にさせてしまったかもしれない。
(……どうしようかしら)
数メートル先、相手が魔術除けのローブを着ていても、パルーアはそれを打ち破れるだけの力を持っている。故に、魔術を使えば簡単に圧倒できる間合いだ。それだと言うのに、目の前で構える御堂の姿が巨大化したかのような、強烈な圧力を感じる。この男に魔術を放っても効果が無いのではないか、そんな錯覚すら覚えた。
(全然、勝てる気がしないのだけれど……)
気圧され、内心で滝汗を流す思いのパルーア。その瞳が迷ったように泳いだ瞬間を、御堂は見逃さない。一気に距離を詰めようと足に力を込めたところで、
「お二人とも、落ち着いてください」
静かな、それでも良く通る声が通路に響いた。それを聞いて、御堂は素直に動作を止めた。同時に身体から力を抜き、臨戦態勢を解く。パルーアの方も、上げていた腕を降ろして、安堵の息を吐いた。
「あ、ありがとうラジュリィ。助けてもらったわね」
「まったく、パルーアは騎士ミドールを甘く見過ぎです。彼は使命のためなら貴族相手でも手を上げますし、技量においては並の魔術師では歯が立ちません。それは貴女も良く調べたはずでは?」
「ミドールが強いのは、魔道鎧を扱うときだけではなくて? 私はそう聞いていたけれど」
「恐れ多くも付け足させて頂くなら、講師ミドールは生身でも十分に強い使い手です。私は剣で彼に勝てたことが一度もありませんし、騒ぎを起こしたエルフを、武器もなしに無力化できるほどに、強いですよ。皇女殿下やラジュリィさんでも、この短い間合いで真っ正面から戦い始めたら、彼には勝てないでしょうね」
パルーアの疑問に、実際に手合わせをしたことがあるトーラレルが、実体験からの補足をした。
「……調査した者に苦言をしておく必要があるわね」
「して、殿下は自分が止めると知っても外へ行きますか?」
「ええ、むしろ絶対に出ても大丈夫だという確信が持てたわ」
何故、と三人が疑問符を浮かべる。対し皇女はまた笑みを浮かべて、自信満々に言って退けた。
「こんなに強い護衛が着いてくれるんだから、並の賊程度、恐るるに足らずよね?」
「それは……」
「ついでに、大人しく護衛をしてくれるなら、私に無礼をしようとしたこと、父上や宰相たちには黙っていてあげるけれど、何か不満かしら」
「講師ミドールを脅すのですか?」
「脅すなんてとんでもない」
トーラレルが責めるようにパルーアを見るが、何処吹く風であった。
「ミドールが魔道鎧無しでも強くて、そこらの魔術師では制圧できない強さで、敵に回しでもしたら大変だってことは、伏せておいてあげるって意味よ。その方が都合が良いのではないくて、ミドール?」
皇女の言葉に、御堂は呻いた。今言った通りのことを帝国の上層部に知られたら、良くも悪くもマークされてしまう。それは地球へ帰るために行動している御堂にとって、非常に都合が悪い。
「……わかりました。ですが、あまり勝手に動き回らないようにだけは、お願いしておきます」
諦めて、ぐたりと頭を垂れて承諾した御堂に、パルーアは「ありがとう! ミドールは物分かりが良いわね!」と喜んで見せたのだった。




