3.2.8 追加人員
御堂はトーラレルを連れて、テンジャルにどうフォローを入れるべきかと考えながら、黙々と通路を進んでいた。
ああでもないこうでもないと考える。どうすれば、自身を毛嫌いしている年頃の少女を励ませるのか、無駄に悩んでいた。
無駄というのは、御堂が講師という今現在の立場に殉じ過ぎていることだ。第三者、それこそ彼の目的を知っている人物がこの様子を見たら、「何をしているのやら」と呆れたことだろう。
結局のところ御堂は、お人好しで他人に甘い側面を持った日本人的な人物である。自身の目的の為ならばと、冷静、冷徹、冷酷になれない。そこが困ったところでもあり、また御堂を気に入っている周囲の人らが、彼に対してそう接する理由でもあった。
一方、隣を歩くのトーラレルは、御堂が別の少女のことを考えているとはつゆ知らず、上機嫌であった。
それは皇女の案内を務めるという大役を受けたから、と言うわけではない。御堂と一緒に、共同作業ができるということに、喜びを感じているからだった。
勿論のこと、これにはパルーアという、トーラレルと歳が近い少女も共に動くことが前提である。しかし結局のところ講師、あるいは騎士と皇女では、あまりにも身分が違いすぎた。恋する乙女がするような心配は、一切、彼女の心中にはなかった。
というわけで、表情や仕草には出さないまでも、トーラレルの内心はうきうきとした気分だった。
そうこう進んでいる最中、階段がある曲がり角に差し掛かる場所で、
「おっと――」
考え事をしていたからか、御堂は死角から飛び出してきた人影とぶつかりそうになってしまった。寸前で互いに足を止めたので、正面衝突とはいかない。相手の身長は自身の胸丈に頭頂部が来る低さ、真っ先に目についたのは、見覚えがある赤紫の艶色を感じさせる髪だった。
「失礼……と、ミドールだったの」
少し驚いた様子でこちらを見上げるのは、今し方迎えに行こうとしていた人物、パルーア皇女その人であった。
「申し訳ありません。危うく殿下に失礼を働くところでした」
「ふふ、このくらいのことで謝られても困るわよ。ミドールったら、上の空だったの?」
「お恥ずかしいことに、少し考え事をしていまして……今、こちらのトーラレルと共に、殿下の元へ伺おうとしていたところです」
「あら、そういえば今日はミドールが案内をしてくれるのよね。役目をしっかりと果たしてくれると、期待しているわ」
「自分の力が及ぶ限り、努力させていただきます」
御堂は一歩退いて皇女との距離を取り直すと、隣のトーラレルを紹介した。少女は先ほどまでの浮き足立っていた気を静め、恭しく貴族らしい礼をしてみせる。
パルーアも返礼をして、トーラレルの顔をまじまじと見た。学院に来るまでの間に直接の会話は少なかったが、御堂と共に護衛を務めていた学徒の顔と名前は覚えていた。
「隣の子は、さながらお手伝いってところね」
「はい、不肖ながら、私が講師ミドールの補佐を務めさせていただきます。どうぞよろしくお願い致します」
「貴女とも変に縁があるわね。ミドールのお気に入りだから?」
「そうだと私も嬉しいのですが、講師ミドールは中々に堅物な方でして、そういうわけではなさそうです」
「よくわかるわ。お堅いのよねミドールは……もう少し気を抜いてくれていると色々と楽なのだけれど、貴女も苦労してるのね」
「いいえ、近くに居させてくれるだけでも、今の私には充分ですから」
「健気ね……こんな良い子にそっぽ向くなんて、男としてどうなの?」
勝手に盛り上がり、揃って御堂の方を向いたパルーアとトーラレルの顔には、年頃の少女特有の、面白可笑しそうな笑みが張り付いていた。こういった場合における男性側の対処法は、御堂も良くわかっている。
「……お戯れはそこまでにしていただきたく、殿下は何故ここに? どこかへ向かう最中と見えましたが」
業務的な対応を努め、感情を出さず、脱線した会話をさっさと戻すように誘導する。悪ふざけを穏便に受け流すには、これに尽きる。
「あら、話を逸らされてしまったわ」
「いつまでも立ち話というわけにはいきませんので」
「それもそうね。それは勿論、ミドールの部屋へ行こうとしたからよ……と答えたら、貴方はどう思うかしら」
笑みを崩さず、御堂の顔を覗き込むようにするパルーア。その意図を理解しておいて、御堂はあえて素っ気ない態度を取った。
「自分としましては、何故と聞き返すしかありませんね」
「もう、光栄だとか嬉しいだとか、そう思わないの?」
一転して、不満そうにする皇女を前に、それでも御堂は義務的な返事をする。
「自分は一介の講師にして騎士ですので、そう言った行いをされても身に余ります」
「……トーラレル、この人、本当に生真面目ね。今日は特に」
「殿下のように美しい方とお近づきになられて、照れてらっしゃるのでしょう」
どこか、トーラレルの口調も義務的だ。パルーアは「やれやれ」と口に出して肩を竦めた。
「二人とも拗ねてるの? からかったのは悪かったけど、昨晩くらいには優しく接してくれない? 悲しくなってしまうわ」
「……昨晩、何かあったのですか?」
そのワードに、トーラレルはぴくりと片眉を上げて反応を示した。気付いたパルーアは、にやりと意地悪な笑みを作る。トーラレルに素早く近づき、身を寄せて耳打ちするように、しかし御堂にも聞こえる声量で、
「そうなのよ。昨晩、私がラジュリィと一緒に会いに行ったら、御堂は優しく私たちを迎え入れてくれたの。普段は紳士的な彼だけれど、それでも男性だってことを教えられて、彼の意外な一面が見れたわ」
「なっ……!」
何を想像したのか、エルフの少女は瞬間湯沸かし器のように一瞬で顔を赤く染めた。その様子にくすりと小さく笑って、パルーアは御堂の方を横目で見る。
自身にどんなリアクションを期待されているのか、御堂はこれもわかりきっていた。なので、やれやれと首を振って、溜め息交じりで簡潔に説明するに務めた。
「……殿下は自分の部屋に、授け人について話に来ただけだ。ラジュリィはその案内役。決して、トーラレルが考えているようなことはしていない」
その口調も、講師としての形にする。それでなんとか言い聞かせる。
「わ、わかってるよ、講師ミドールがそんな、淫らなことをしないことくらい」
「そうだ。俺は講師だからな、学徒とそう言った関係になる気はない。無論、騎士として主人とそう言った関係になるつもりもない。わかってくれたな?」
「う、うん……」
顔を朱色にしていたエルフは、ピンク染みた妄想から現実に頭脳を引っ張り出されて、慌てと羞恥から生じた感情から抜け出した。それでもまだ落ち着かず、胸に手を当てて、深呼吸をする。それで、ようやく冷静になれた。
意外と初心な教え子を嗜めることに成功した御堂は再度、困ったように息を吐く。笑顔から不満げな顔になった皇女に向けて、頭を下げながら陳情する。
「殿下、そう言った冗談は要らぬ誤解を呼びます。お控えいただけないでしょうか」
「……貴方のそういうところ、美点と言えば美点でしょうけど、同時に悪いところでもあるわね」
「と、言いますと」
「からかい甲斐がないってこと! それより、私がどうしてここに居るか聞きたいのでしょう?」
「はい、何用でしたでしょうか」
やっと話が本筋に戻った。御堂は皇族の相手も大変だとげんなりしかけた心を立て直して、皇女の話を聞く。
「今日、私と一緒に行動する人を呼びに行っていたのよ」
「それでしたら、自分からそちらにお伺いを……」
「ミドールがついて来るのは当然でしょう、それとはまた別の人よ」
自分とは別の人物と言われ、御堂とトーラレルは同時に首を傾げた。が、どちらもすぐにその人物が思い当たり、二人とも顔には出さずとも、複雑な心境になった。
「その顔、わかったみたいね」
「まさか、ラジュリィさんをですか?」
「正解、何か問題でもある?」
「確かに彼女は殿下と親しいでしょう。ですが、こちらにも案内役を務めるに当たって、付き添いを任せたいと連れてきた学徒がいます」
思わず、自分が連れてきた学徒の方に目を向ける御堂を見て「何か勘違いしてるわね」とパルーアは呆れ顔になった。
「別に、そこのトーラレルを引き下がらせろとは言わないわよ。付き添いの人数に指定でもあった?」
「それは、ありませんが」
言われてみれば、トルネーは補佐役を一人しか選んでいけないとは言っていない。詭弁のようにも感じられたが、御堂の反論を制するには十分であった。それでも、御堂は思わず口に出してしまう。
「ですが、なんと言いますか、自分と彼女は今……」
「気まずい?」
「……はい」
「まぁ、そうでしょうね。昨晩、あんな啖呵を切っておいて、何事も無かったようにラジュリィ、ご主人様と接しられるほど、図太くないでしょ」
パルーアの言う通りであった。寝ても覚めても、ラジュリィへの罪悪感が消えないのだ。なので、今日だけでも、できる限り彼女と顔を合わせないように動きたいという私情があった。それを見抜かれてしまい、御堂は恥じるように後頭部を掻いた。
「気持ちはわかるけど、その点は大丈夫よ。私がしっかり言い含めておいたから……だから安心して、ラジュリィと話しなさい。いつもようにね。これは皇族の命令でもあるのよ?」
びしりと白魚のような指を突き付けられ、御堂は黙って頷くしかできなかった。満足したのか、パルーアは「それじゃあ、ラジュリィを迎えに行きましょう」と、先立って歩き始めてしまう。
慌てて、御堂とトーラレルがそれを追うように歩き出したとき、何か思い出したように皇女は振り向いた。
「ミドール、貴方に二つ、追加で言っておくわね。一つ目は、ご主人様にかまけて、そこのトーラレルを蔑ろにしないこと。もう一つ、これは忠告だけれど、皇族に対してあまり反論しないことよ。私と貴方の仲だから、許してあげてるけど、父上にそんな態度を取ったら、投獄されちゃうわよ?」
言われて、意味を瞬時に理解した御堂は、しまったと頭を抱えたくなった。どうにも距離感を近く感じるためか、皇族にするには馴れ馴れしい態度を取ってしまっていた。
「……肝に銘じておきます」
「ふふ、よろしい。ミドールがそんなことで捕まったら、ラジュリィもトーラレルも悲しんでしまうから、良く覚えておいてね」
そう言って、皇女はくるりと前を向いて、早足で歩き出す。その小さい背中を見て、御堂はとても口では敵わないと思ってしまうのだった。




