3.2.7 打ち合わせ
朝を迎えた学院は、普段より少しばかり騒がしかった。
人間の学徒たちは、いつもと比べて随分と張り切りが見え、人間の講師も肩に力が入っていた。
同じ敷地内に皇女殿下が御座す、つまりは自分たちを見てくれるかもしれない。そんな思いが、彼らをそうさせるのだ。帝国の民では無いエルフらも、やはり権力者の目が気になるのか、落ち着きが無い。種族関係なく、皇族という存在を意識してしまっていた。
しかし、そんな浮き足だった雰囲気の中で、平時とまったく変わらない者たちもいた。その一人である講師主任のトルネーは、硬い足音を立てながら講師宿舎の廊下を進む。そして目的の部屋の前に着くと、扉を叩いた。
すぐに中から「どうぞ」と返答が返ってきたので、トルネーは躊躇もせずに扉を開けた。部屋の主はすでに身支度を調え、椅子に座っていた。
「随分と用意が早いではないか、ミドール」
「そういう講師トルネーこそ、こんな朝早くから訪ねてきたじゃないか」
来客を出迎えたのは、いつもの迷彩服にローブをまとった御堂だった。慌てて着替えた様子もなく、机の上には今し方読んでいたのか、講師用の部屋に常備されている厚目の本が置いてあった。
「ふん、つまらんな。支度のできていない貴様が、慌てて取り乱している場が見られると期待していたのだが?」
「ご期待に沿えず、申し訳ないな。それで用件は?」
軽い問答を切り上げて、御堂が手で部屋にもう一つある椅子に座るように促す。トルネーは無言だったが、素直に腰掛けた。
「今日、貴様にどう動いてもらうかについてを話に来た」
「打ち合わせというわけだな」
であれば、トルネーがこんな早朝。講師のミーティングまで一時以上ある時間にやってくるのも理解できた。
「そうだ、お前には殿下の付き添いとして動いてもらうからな、殿下のご予定を把握して貰わなくては困る」
「至極当然の話だ。先日の話では、大まかな予定しか聞かされていなかったからな」
御堂はトルネーから、皇女の滞在期間中に学園がどのような催しを行うか程度しか聞いていなかった。今日の予定についても『学院のご見学』としか知らない。これには勿論、ちゃんとした理由があった。皇女の出迎えに学院を出た御堂が、万が一にでも賊に身柄を拘束された際、皇女の動きに関する情報を漏らさないという保証ができないからだ。
信頼や信用の問題ではなく、リスク管理の問題である。無論、御堂もそれについては同意しているし、理解もあった。
なので、改めて詳しい話を聞こうと姿勢を整えた御堂だったが、トルネーは珍しく、両手の指を組んで親指を忙しなく動かす癖を見せた。御堂もこれを見るのは二回目だが、彼ですら何か言いづらいことがある場合の手癖であることは知っていた。
「……とは言ったのだが、皇女殿下と貴様に、こうしろだああしろだとこちらから指図することはない」
「なに? そうなのか……具体的な行事などもないと?」
「うむ、皇女殿下にご足労を願う事柄は、昨日の内で大体終わっている。明日の最終日にある行事までは、特に動きを強制することもない。故に、殿下にはご自由に学院を見て回っていただく予定だ」
最終日、三日目に行われる催しまで、皇女は自由の身ということらしい。つまり、あの奔放な皇女殿下が勝手気ままに動き回るのを、御堂がフォローしなければならないということだ。彼女の性格を考えれば、それは非常に手間が掛かることに違いない。流石のトルネーも、大変な役目を任される御堂に、同情の念を抱いていた。
「なるほどな、その動きに合わせて、俺も同行すればいいんだな?」
しかし、御堂の方は渋る様子もなく、理解を示した。
「……そういうことだ。言っておいて何だが、これは大変に面倒な役割だぞ?」
「わかっているさ。昨晩、皇女殿下の気質については、嫌と言うほど思い知らされたところだ」
「昨晩……ああ、近衛騎士が騒がしく動いていたのは、それか」
暗に、御堂と皇女が密会めいたことをしていたのだと知らされたトルネーだったが、別にそれを咎めようとはしなかった。
どうせ、あの皇女から来訪して、無理難題を言いつけてきたのだろうと、大体は的を得ている推測していた。御堂もそう解釈されることをわかっていて、この情報を口に出した。
「あまり、近衛騎士を困らせない方が良いぞ……と貴様に言っても無意味か、失言だったな」
「いや、俺からも彼らを困らせないようにできるだけ配慮するつもりだ」
「ほう、皇女殿下のすることに口を挟むつもりか? 命知らずだな」
「あの方は暴君と言った体ではないだろう。誠意と敬意を持って具申すれば、聞き入れてくれるだけの器量はあると見ただけさ」
「そこまでわかっているなら、私から言うことはもうない」
トルネーは腰を上げると、さっさと扉の方まで歩いて行き、ドアノブを掴んだところで少し、足を止める。何か、言うか言うまいか迷った様子だった。丸一秒制止してから、講師主任は口を開いた。
「……何か、貴様の手に負えんことが起きたら、すぐに報告しろ。こちらで手を回してやる」
「それは、気遣ってくれているのか?」
少し茶化すような御堂に、トルネーは背を向けたまま、鼻を鳴らして扉を開けた。
「仕事上で重要なことだろう。あまり図に乗るな……それともう一つ。貴様一人では案内にも困るだろうから、補助役として学徒を連れることを許可する。連れは良く考えて選べよ」
そう言い残して、トルネーは部屋から出て行った。態度こそ冷たいが、随分と気に掛けてくれている様子だった。御堂は小さく笑みを浮かべて、
「素直じゃないが、良い上司に恵まれたものだ」
それから少し考えると、よしと何かを定めたように呟く。席を立ち、扉を開けて、目的の部屋。先日、とあるやむを得ない用事から場所を知った、一人の学徒の部屋へと向かう。
共に皇女の案内をできて、なおかつ、一緒にいても気まずくない学徒は、今のところ一人しか思い浮かばなかった。
***
「それで、僕のところへ来たということか」
質実剛健とまでは行かないが、それでも実用性重視の部屋は、御堂にどこか懐かしい思いをさせた。その家主であるトーラレルは、椅子に座って足を組んだ姿勢で、自身を見下ろす客人に「わかった、僕も手伝うよ」と頼まれた依頼を快諾した。
「助かる。この学院どころか、世界に疎い俺では、満足に案内役をするなんて、とてもできそうになかったからな」
「講師ミドールも勉強しているようだけれど、まだそう言った役をこなすには不十分だからね。殿下に失礼を働いて、打ち首にでもされたら僕が困る」
「そうだな、それは俺も困る」
「じゃあ、詳しい話は皇女殿下の場所に行く間に聞こうか、そろそろ殿下も起きているだろうし」
トーラレルは席を立ち、御堂に向け胸を張って、片手でとんと叩いて見せる。
「講師ミドールたちで言うところの、大船に乗ったつもりでいてほしいという風かな」
「頼もしいな、よろしく頼む」
「……だけどその前に、少しここで待っていてもらえるかい?」
「ん? それは良いが……」
なぜ、と聞く前に、トーラレルが部屋の出入り口、扉の前まで足音を殺して素早く近寄ると、扉を思い切り蹴り飛ばした。すると、向こう側から小さい「きゃあ」という悲鳴と、尻餅をついたような音が聞こえた。
扉を開けたトーラレルが、その向こうにいた同級生に向けて、何事か話している。その会話は、御堂の耳にも届いた。
「おはようテンジャル。淑女の部屋に聞き耳を立てるのは、君にしてはちょっと失礼な行いだとは思わない?」
「あ、姉様……これはその……」
「まぁ、それは良いんだ。どうせ聞いていただろうから説明は省くけど、ちょっと講師ミドールと一緒に帝国の皇女殿下の案内をすることになったから、僕の代わりに講師らに伝えておいてくれないかな?」
「それですが姉様! 何故あの男からの頼みを、しかも帝国皇女の世話役なんてものを請け負うのですか! 姉様がそんな下男がするようなことに携わるなど……」
聞き覚えがある少女の癇癪声が聞こえ、御堂は自分から話した方が良いかと尻を浮かせた。直後、
「テンジャル? 僕が講師ミドールから受けた役目を貶して、しかも他国の異種族とは言え、皇族を貶める発言をするなんて、共和国の貴族としてどうなんだろうね?」
それは普段、御堂が接しているときには聞かない、圧力を感じさせる恐ろしい口調だった。思わず浮かせた尻を椅子に降ろして、扉から目を反らす。
「あ、姉様……で、ですが……」
「僕は言い訳を聞きたいわけじゃないんだ。どうなのかって聞いてるんだよ」
「す、すみませんでした……間違ったことを言いました……」
「うん、わかってるじゃないか。なら、僕のお願いも聞いてくれるよね?」
「はい……」
「それじゃあ、よろしくね」
会話を終えたトーラレルが、扉を閉めて御堂の方を向く。その表情は、いつも通りの笑顔であった。御堂は、それがどこか怖く思えてしまった。日本でもそうだったが、女というのは年齢に関係なく、どこかに恐ろしさを飼っている。それを再認識できた。廊下から、少女が駆け出したであろう足音が聞こえてくる。
「ごめん、少し待たせてしまったね。行こうか?」
「……ああ」
後日にでも、テンジャルに何かしらフォローを入れた方が良いのではないだろうか。自分が彼女から嫌われているとわかっていてもそう考えてしまうくらいには、御堂も同情心を持ち合わせているのだった。




