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3.2.6 酒場にて

 夜、月明かりよりも確かな光を放つ街灯が照らす学院都市。

 夜更けでも灯りを落とさずに営業を続けている店というのは、ある程度の規模の都市であれば、どこにでも存在する。それが学問と魔術の都であっても、例外では無い。


 明らかにいかがわしさが見える店、何を売っているのか定かではない露店、怪しげな風貌の主人が立っている屋台。それらはどんな街にでも、必ず仄暗い側面を持っていることを証明していた。


 貴族であり講師でもあるその男、ゲヴィター・ウラドク・トンペッタが訪れていたのは、それらに比べれば健全な、一般的な酒屋であった。

 下級と言えども貴族の魔術師で、学徒に教える講師であることにプライドを持ち、上下関係に殊更厳しく、下々を見下している男が、平民の街へ降りて酒に逃げている。普段の彼を知っている者には想像もつかないだろう。


 彼も昔から酒を頼っていたわけではない。一ヶ月ほど前からだ。原因は、彼が気に食わなくて仕方のない新人講師が、周囲に認められてきたことだった。


 翌日に講義がなく、休暇扱いとなる日は、必ずと言って良いくらいには、この店に通い詰めていた。

 喧噪とは程遠く、経営が立ち行くのか心配にすらなる物静かな酒屋は、平民と並んでの飲食など論外だと考えているゲヴィターにとって、気に入るには十分な店舗だった。鏡面のように磨かれたバーカウンターに映る彼の顔は、不機嫌さを形にしたようになっていた。


(気に入らん……気に食わん……忌々しい)


 つまみとして出された塩茹での豆を口に放り込み、酒で流し込む。この嫌な気分も、酒と一緒に飲み下してしまいたい。そう思っていても、ゲヴィターの心中に巣くう苛つきは消えなかった。


「くそっ……」


 小さく悪態を吐いて、空になったグラスを見せて、店主に次の酒を注文する。小耳に挟んだ話では、元々魔術師であったという店主は、無言でそれを受け取り、酒が注がれたグラスを置く。


「お客さん。私の言うことではありませんが、少々抑えた方が身のためかと」


「ふん……わかっている」


 本当にわかっているのか、グラスを掴んで酒をあおる客に、店主は肩をすくめて呆れた。だがそれ以上に何か言うわけでもなく、関心を無くしたように元の立ち位置に戻ると、布でグラスを磨き始めた。


 ゲヴィターにとってはその方が有り難かった。変に話を聞くなど言われては、酔いに任せて愚痴を吐き出してしまう。これがわかる程度には、まだ理性を残していた。その折だった。


「もし、そこの貴族様。隣をよろしいかな」


 いつからそこに居たのか、すぐ隣に頭まで外套をすっぽり被った女が立っていて、話しかけてきた。ゲヴィターはその風貌をちらりと確認してから、小馬鹿にするように鼻を鳴らした。


「……俺は女を取る気はない。余所をあたれ」


「まぁ、私が身売りか何かにお見えで?」


「違うなら、なおさら近寄るな。その姿格好で己が潔白な身だと主張するなら、とんだ馬鹿者だ。そのような人間と語る口を俺は持たん」


 ほとんど罵倒のようなゲヴィターの言葉に、女は怒るのでもなく、むしろ申し訳なさそうな口振りで頭を下げた。


「仰ることもごもっとも、失礼をしました」


 言って、頭に被っていた布を脱いだ。そして見せた容姿に、ゲヴィターは小さく嘆息を吐いた。

 白く透けているとすら思わせる肌、不健康ではない範囲でほっそりとしている印象を覚える顔立ち、目に見える範囲からでも、触れたら壊れてしまいそうな儚さを感じさせた。緩やかにつり上がった切れ長な瞳が、こちらを見て更に細くなって笑っている。


 女は微笑を浮かべて、見惚れていたゲヴィターの隣の席に腰掛ける。そこでゲヴィターはやっと反応を示した。じろりと怪訝そうな視線を向ける。女は「何か?」と小首を傾げた。


「貴様、エルフか……解せんな」


 その女の耳は、種族的特徴を表す笹長の形をしていた。それを隠すための外套か? とゲヴィターは考える。が、それ以前に、種族を隠しながら、こちらを貴族と見て近寄ってきた女など、不審でしかない。それが例え、魔術に優れるエルフであってもだ。

 ゲヴィターも分別と言うものを持ち合わせている。貴族の魔術師と賊の魔術師では、比較にもならない。


「そんな怖い目で見ないでくださいまし、貴族様に睨まれるような卑しいことなど、私はしていません」


「エルフが夜も遅く、酒屋にいること自体が怪しいだろうが」


「私のような、皆から変わり者と囁かれるエルフだっているのですよ」


「……変わり者、か」


 その単語に、ゲヴィターは不機嫌の種を思い出して、苦々しい気になった。彼がこんな場所で酒を飲んでいるのも、その変わり者の異邦人のせいだ。女から視線を外して、気に入らないと小さく口の中で呟き、口につけたグラスを傾けた。


「貴族様は、何やらお気に召さないことがあったようですけれど、良ければお聞かせいただけませんか?」


「なに……?」


 顔に出ていたのか、こんな不審者に気取られるなど、酔いが回りすぎているか? ゲヴィターは自身をそう分析して、席を立とうとした。酔いすぎだと判断して、店を出ようと思った。それに、明らかに怪しい女エルフに身の上話をするなど、危険極まりない。下手に個人的な情報、弱みを握られて恐喝などでもされたら、面倒である。


 だが、カウンターについた手を、「お待ちください」と女がひしと掴んだ。


「離せ、無礼者――」


 女の方を見たゲヴィターは、そのエルフの目が妖しく光ったのが視覚できた。しまったと思ったときには、思考力が薄れ、席に腰を落としていた。立ち上がろうとしても、猛烈な脱力感がそれを許さない。


(この女……!)


 エルフは、大人しく座ったゲヴィターを見つめて微笑み「お聞きしたいことがあるのですが」と魔術がこもった問いをしてくる。


 酔いがあったとは言え、あまりにも無警戒であった。辛うじて残った奥底の理性で、対抗の魔素を練りあげる。その間にも、ゲヴィターの口は抑えが効かなくなった蛇口のように、聞かれるままに言葉を吐き出していた。


「貴族様は、学院に何かご不満があるようですね?」


「……そうだ、あの魔無しの授け人を迎合し、認め、魔術師の在り方を否定していることが、俺は許せない」


「その授け人とやらに、報いを受けさせたいと?」


「できることなら、俺の手で追い出してやりたいが、奴は戦う術だけは一丁前だ」


「では、代わりに授け人の存在を是とする者たちに、わからせてやりたいとは思いませんか?」


「それは……」


 答えるより先に、ゲヴィターの意識が覚醒した。杖が無くとも、自身にかけられた簡易魔術程度なら打ち破れる。が、杖という触媒は、目の前の不届き者を叩き伏せるには必須である。講師は学院から出る際に杖を持ち出せない決まりがあった。


 思わず何も無い腰に伸ばしていた手を引っ込め、最大限の警戒と威勢を見せながら、ゲヴィターは女エルフを睨み付けた。


「貴様……何者だ?」


「まぁ、先ほども言ったではないですか、そんな怖い顔をしないでくださいましと」


「質問に答えろ……!」


 言いながら、一瞬だけ視線を動かして店主の様子を窺う。店主はグラスと布きれを持ったまま、中空を見つめて動かなくなっていた。すでに何らかの術をかけられている。他に客もいない。エルフが何らかの武器を持っていたら、為す術も無くやられてしまう。


(くそが……杖さえあれば、エルフと言えど何とかしたものを……!)


 圧倒的な己の不利を悟り、頬に冷たい汗を流しす。そんなゲヴィターに、女は変わらず微笑みかける。媚びるような、余裕そうな、強者のする表情を前に、奥歯を強く噛み締めた。


「大丈夫ですよ、貴族様を害そうなどとは、心にも思っていませんから」


「では、何が目的だ。金か? 情報か? 生憎、貴様のような輩に渡すものなど一つもない」


「いいえ、何かをいただこうとも思っておりません。私の、私たちのしたいこと、して差し上げたいことは、一つだけです」


「なに……?」


 言葉の意味がわからず、疑問符を浮かべるゲヴィターを見つめる女の瞳が、すっと細まった。魔術を発現しているようには見えないのに、女の顔から目が離せない。気圧されている彼に向けて、三日月のように鋭利な曲線を描いた口元が、魔法の言葉を紡ぎ出した。


「貴方様が不快に思っている存在を排除するお手伝い。やらせてはくれませんか?」

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― 新着の感想 ―
[一言] この手の誘いにほいほい乗っかるイメージがあったのでちょっと見直しました まあ無理矢理落とされそうなんですが……
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