3.2.5 会話を終えて
二人が部屋から出て行き、足音も聞こえなくなる。
窓から見える月だけが御堂を見ている中、一人きりになったことで呼吸の仕方を思い出したかのように、御堂は大きく息を吐いた。それには重たい憂鬱さが混じっていた。
(くそっ、しくじったかもしれない)
相手が所詮は少女であると油断していた気持ちが、心の片隅にあったかもしれない。とんでもない、彼女は歴とした皇族で、権力の人間だった。
先の問答で自分がした言動が、失点だらけであることを認識して、御堂は頭を掻き毟った。
(しかも、皇女には相当に気遣われたように思える)
あの皇女は、御堂のことをかなり心配か、あるいはお節介か、もしかしたら哀憐の気持ちで見ていたようだった。でなければ、態々こちらに危機を知らせることなどしない。問答無用で従えさせる手段が使えるのだから、余計なことを伝える必要は無いのだ。
それが屈辱だとは思わない。どちらかと言えば、己の視野が狭いことを認識させられてしまい、恥じ入る気持ちが大きかった。
椅子から重い腰を上げる。先ほどまで少女らが座っていたベッドの縁に腰掛けると、また溜め息を吐いた。それから、やってしまったと項垂れる。
(あそこでの最適解は、表向きでも皇女の提案を呑むことだった。口約束に過ぎないのだし、何なら交渉して、帰るまでの間だけは従えると答えてしまって良かったはずだ。妥協点はいくらでも探れた……だと言うのに)
感情が先走ってしまったのか、御堂は頑なに皇女の提案を拒絶し、強情さを見せてしまった。その結果が良い方向に転がるとは、とても思えなかった。
(だが、あそこで地球へ、日本へ帰ることを諦めると口にすることだけはしたくなかったのも、事実だ)
偽りだったとしても、それを口にしてしまったら、現実のものになってしまうと思えた。未熟さ故の感情論だと言ってしまえばそれまでだが、己の信念や信条を支えるものもまた、感情である。
(今は失ったことをどうこう評するより、今後のことを考える方が先決か)
ベッドに倒れ込み、瞼を閉じる。過ぎたことを悔いても仕方が無いと、自身に言い聞かせた。そして考える。
(皇女が言ったことを信じるなら、すぐにどうこうしてくるとは考え難い。ならば、どうにか誤魔化すか、改めてきちんと交渉するか、それしかないだろうな)
ここから上手く立ち回る必要がある。下手を打って、帝国の歯車にされることだけは避けなければならない。御堂は異世界に骨を埋める気などないのだ。けれども、
(……くそっ、絆されているな)
どうしても、自身が仮初めでも主人とした少女が去り際に見せた、今にも泣き出しそうな表情が、頭から離れなかった。言い様もない罪悪感が胸を締め付けるような気すらする。それを振り切るように、御堂は眠ろうと努めた。
(今夜のことが全て夢であったなら、どんなに楽だったか)
そんなことを思いながら、御堂は眠りに落ちていった。
***
ラジュリィの部屋に戻るまで、二人は無言であった。他に誰も居ない廊下を、カンテラ風の照明器具が薄らと照らす。前を行く少女は目尻に涙を浮かべ、続く少女は何やら思案しているようだった。
やっと口を開いたのは、パルーアが部屋の扉を閉めたときだった。
「……いくつか聞きたいことがあります」
「なにかしら?」
「まず一つ目ですが、なぜ私の部屋に?」
「あら、幼馴染みがせっかく遊びに来たのに、それはないんじゃないかしら」
パルーアは戯けたようにくるりと回って部屋を見渡す。
「相変わらずの少女趣味ね。貴女らしいけれど」
それから靴を脱ぎ散らかすと、部屋主に断りも入れず、勝手にベッドへ飛び込んだ。
「ああ、ラズの匂いがする。何年ぶりかしらね」
「気色悪いことを言わないでください……」
「良いじゃない、ラズと私の間柄なんだから」
すっかり幼馴染み状態になったパルーアは、悪びれもしない態度を取る。普段、彼女に振り回されているであろう近衛騎士に、同情の念が湧いた。
「それより、勝手をしては護衛の方々が困るのではないですか?」
「ああ、そんなこと? 近衛ならどうせ、部屋の近くで監視してるわよ。部屋の中にまで何かしようとはしないでしょうけど」
言われ、ラジュリィは眉を顰めた。そんな気配など全くしなかった。皇女を連れて歩くということで、魔術を使用して周囲を探っていたのに、何も引っ掛からなかったのだ。
「一応言っておくけれど、彼ら彼女らだって選ばれた魔術師なのよ? 一介の学徒に見破られる程度の腕なわけがないじゃない」
「それは、そうですね」
「ふふ、ラズの魔術もまだまだってところね」
枕を抱えて、両脚をぱたぱたと上下に揺らす幼馴染み。その仕草に、皇女らしさは一切感じられない。これは何を言っても無駄だとラジュリィは諦めて、次の質問をした。
「二つ目ですが、なぜ、ミドールに選択を迫ったのですか? 彼を追い詰めるようなことをして、何の得があるのです。あれで、彼が行動に出てしまったら……」
パルーアのせいで、ラジュリィは聞きたくなかった御堂の思いを、再び聞かされてしまった。今思い返しても、胸がずきりと痛む思いだ。そんな気も知らず、パルーアは枕から顔を上げずに答えた。
「変に迷って気持ちをふわふわさせてるくらいなら、しっかり決断させた方が良いからよ。むしろ、心も決まっていないままに時間だけ過ぎて、その状態で最終勧告なんてしてごらんなさいな。絶対に碌なことにならないわよ」
ラジュリィもそれがわからないほど、恋に耄碌しているわけではない。御堂がどのような答えを出すにしても、一旦は結論を口にさせた方が良いことは理解できる。
それがこちらの意にそぐわないものでも構わない。後から彼の考えを変えさせることだって可能なのだ。環境や状況に応じて答えを変化させられることは、悪いことではない。御堂はそれがわかる人間だと、二人は認識していた。
「ですが、もし……彼が力で打って出るようなことになったら……」
御堂を信じている。だがそれでも、もしもという可能性の不安が、ラジュリィの脳裏から離れない。パルーアにも、それは容易く見破れた。
この娘もしょうがないわねと、少し呆れた気すらした。横たえていた身体を起こせば、不安げに目元を潤ませる幼馴染みが、言外に助言を求めている。
これまで深海の真珠と呼ばれるほどに異性を寄せ付けなかった彼女は、当然のように恋愛経験が皆無なのである。だから仕方がないと言えばそうなのだが、元服した女性がそんなことではどうするのだと、パルーアははっぱをかけることにした。
「そんなに不安なら、直接聞きに戻る? 私を捨てて故郷へ帰るおつもりなのかって」
「で、できませんよそんなこと! ミドールだって、今は悩んでいるはずですし、余計なことで煩わせるわけにはいきません」
「だけど、心配なんでしょう?」
「勿論です……誰だって、彼の立場になったら葛藤するはずですから……その末に、暴走してしまうことだって、無くは無いでしょう?」
御堂を気遣いながらも、どんな選択をするのか気になってしまう、そんな心情らしい。パルーアはこの子も中々に面倒な質よね。と思いつつ、ラジュリィを諭すように続ける。
「あら、ラズが書いた手紙を見る限り、彼がそんな短慮を起こすような人には思えないのだけれど。彼のこと、信じているんじゃなくて?」
「それは勿論です。けれど、万が一ということも……」
「ラズ、貴女、割と恋に絆されてるわね。彼のことに対して強気だったり弱気だったり、まるで天秤みたいに心が揺れてるのが丸わかりよ。そんな貴女が安心できるように、一つ教えてあげる」
何を? と言いたげに眉を寄せるラジュリィに、パルーアは素早く立ち上がって近寄ると、耳元に小声で告げた。
「貴女が思っているよりずっと強く、彼はこちらに未練や情を抱いているわよ」
「えっ、そんな素振りは……」
「本当に鈍くなってしまったの? あれは強がりみたいなものでしょうに、皇族を前にしてよくもまぁ、はっきりと言えるものねと関心してしまうけれどね……特に、ラズを見る目なんて、絶対に異性として意識してたわよ」
まさか、御堂がそう思っていることを考えてもいなかったラジュリィは、羞恥から頬を赤く染めた。パルーアが言った通りだとすれば、無意識にでも都合が良いと思えてしまった。
そう、皇女からすれば御堂の考えていることなど、ある程度はお見通しなのである。帝王学を学び、幼くから貴族社会で生きる彼女からすれば、日本育ちの青年男性など、ひよっこも同然だった。
「これで少しは安心できたかしら」
「ええ、はい、まぁ……」
「じゃ、ものはついでだから、手紙に書いてなかったこととか、学院に来てからのミドールについて、話してくれない?」
「わ、わかりました」
まだ顔を赤くしているラジュリィは聞かれるがまま、御堂について話を始めた。それが皇女の情報収集法だとは、ついぞ気付かなかった。




