3.2.4 意思表明
「ミドール、貴方はそう言うけれどね。知っての通り、この世界から帰る手段なんてないわよ。前例が存在しない。そのくらいのことは調べたでしょ?」
笑顔で獲物を追い詰め、現実という牙を突き立てて来る。
「はい、承知の上です」
「なら、どうして諦めないの? 数日しか接していない私でもわかるけど、貴方は本当に有るかもわからない小さな可能性に縋るって人じゃない」
「希望が有るのか無いのか、それは、自分で全てを調べ尽くしたとき、改めて決めることだと考えています」
「……そう、だからムカラドのおじさまは、貴方を置いておく場所に学院を選んだのね」
どうして中々、あの切れ者も優しいのか残酷なのか。嫌でも現実を知らされるために、こんな場所に送り込まれたのだろう授け人に、少し同情した。
「ラジュリィ、貴女のお父様は、全てわかった上でミドールをここに送ったのかしら」
「……全て、という中に、私が考えたことが含まれているなら、その通りでしょうね」
件のムカラドの娘も狙いをわかっていたようだ。御堂が情報収集に適している学院へと案内されたのは、彼の目的を達成させるためではない。むしろ逆で、自らの手で帰る手段など存在しないのだと認識させ、その心を折るためだった。
ここまで仕組まれたことを、何も知らずに好意だと思っているであろうこの男が、まるで道化のようである。滑稽と言うよりも、哀れであった。そう思って、御堂の顔を見た。
(――前言撤回かしら)
御堂の表情は、皇女が予想していたのとは違った。彼が今し方にした会話の意図がわからず、呆けていたりでもするかと思ったのだが、それとは真逆であった。
窓から差し込む月明かりに照らされた端正な顔には、疑念の感情などない。あるのは、全てを理解していて、覚悟の上だとでも言いたげな、険しい表情であった。
隣のラジュリィに聞くように、小声で囁く。
「私が思うより、ずっと逞しい殿方じゃない」
「そういう人なんです、この方は」
ますます気に入った。とは口に出さず、自身を緊張の面持ちで見る御堂の様子から、パルーアはいくつかの判断を下した。
(無鉄砲な質ではないのは確かね。どちらかと言えば、きちんと現実を見据えて動ける側の人間)
ここ数日、御堂に付きまとい、会話を交わし、今の状況から感じたことだった。御堂という男は、決して夢想家や理想家と言った、場合によっては愚者に分類される人間ではない。けれども反対に、そこまで現実主義者でもないことも、理解の上だった。
(だと言うのに、心の底、理性では無理だとわかっていてなお、元の世界への帰還を諦めないのは、理由があるのでしょうね)
その理由を推測する。女か、名誉か、財産か、それとも何かやり残したことか、それはパルーアでも計り知れない。
けれども、騎士という立派な地位を頂いて、立場も作られ、自身を好く存在もいるというのに、この世界を捨ててでも戻る動機が強いことは確かだ。
(その何かが簡単に察せられるくらい、単純な男だったら楽だったのにね)
ある意味、楽しめそうではある。同時に、懐柔するには骨が折れそうだった。基本的に面倒くさがりなパルーアは、この男が私の気に入るに値しない存在だったなら、苦労しなくて済んだのに、と内心で御堂を責めた。
「さて、どうしようかしら。こんなに忠告してあげても、貴方は考えを曲げようとしない、物分かりが悪いとでも言っておこうかしら」
「ご忠告には感謝しますが、だからと言って、足掻きもせずに諦めるわけには」
「そこよ、私が忠告する理由。ミドールが足掻くのは自由、結果は変わらないけれど、それを止める権利は、本来であれば誰にも存在しない……だけどね」
膝に肘をついて、手に顎を乗せたパルーアは、また御堂の目を覗き込むような姿勢になって告げる。
「それは、貴方が授け人でなければの話。さっきも言ったけれど、貴方の存在は期待されてないけれど、危険視はされている。何故なら、貴方はとても強いから、やろうと思えば、一人で帝国の防衛網をずたずたに引き裂ける。それだけの力を持っている……自覚ある?」
「……恐縮です」
「ふふ、否定しないのね。でもそれが正解よ。己の力量を大きくも小さくも見誤る者は、長生きできないから」
「それで、先ほどの話に繋がるのですか?」
ラジュリィが御堂に代わって訪ねる。パルーアは首肯した。
「強すぎる力は、正しく制御されていなければ、ただの危険物。それを皇帝陛下、私の父上は懸念しているのよ。だから」
「下手な動きをせず、大人しく制御されていろと、そう仰るのですか」
「その通り、今度は物分かりが良いわね。そして陛下がもし、貴方が自身の手に余るか、御せないと判断したら、次にどんな手で来るかも、察せられるでしょう?」
これは一種の脅迫だ。御堂はそう断じた。次の手というのはわかりやすい、こちらを物理的に排除しようと言うことだ。
「ね、聡い貴方なら、どういう意味かわかるでしょ? その上で聞くわ、この国に残らない? 自発的にそうしてくれたら、悪いようにはしないって、皇女の名で保証してあげる」
にこりと、王手をかけた皇女の微笑み。御堂は返事を窮した。
(……俺だけなら、どうとでもなるが)
自分一人だけなら、ネメスィを繰れば別の国まで逃げ果せることも容易くできただろう。しかし、
(ラジュリィさんたちが、ただで済まないだろうな)
今の御堂には、この世界にいる間は守るべきと決めた存在がいる。こちらから害したいとも、ましてや見捨てたいとも思えなくなってしまった、知人や友人たちがいる。それらは「情」と呼ばれる、御堂のような人間にとっては非常に強固な足枷だった。
思わず、御堂がラジュリィに一瞬だけ目線を向けたのを、皇女は見逃さなかった。
(そこでラジュリィを見てしまう辺りは、まだまだ若い。いいえ、甘いというのかしらね)
決して悪い意味ではない。むしろ、パルーア個人としては好ましい甘さだった。あり得ないことだとわかっていても、ここで隣の親友をまったく鑑みないようだったら、どうしようかと思っていた。
この一瞬で御堂の中に生じた葛藤を見抜いた皇女は、御堂が目を閉じて、数秒、考えるようにしてから出した返答に、思わず笑みを崩しそうになった。
「――自分の考えは変わりません。皇女殿下のお心使いは、非常に有り難く思いますが、これを曲げるわけにはいきません」
「……理由を聞いても良い?」
パルーアはがっくりと肩を落としそうになったのを堪え、こめかみをひくりと痙攣させた。こちらの納得が行く答えでなかったら、手足の一本でも焼き落としてやろうかと、黒い感情が湧き出ている。
「自分の持つ力は、この世界に不要な争いを生みます。授けて良い力ではありません。そのような危険極まりない存在が、この世界に根を張るわけにはいきません。故にです」
「強過ぎる力は、大きな災いを呼ぶ、と言いたいのかしら?」
「そうです」
「だけれど、人間も、エルフも、権力を持つ者はそう考えない。強い力があれば、是が非でも我が物にしたい。もし手に入らないのなら、他者に渡る前に消してしまえ、そう考えるものよ、違う?」
「皇女殿下の仰る通りかと」
「なら、貴方自身のためにも、誰かのものになっていた方が良いじゃない」
「ですが、それはこの世界のためになりません」
皇女は頭を抱えたくなった。この男、思っていたより何倍も堅物である。口説き落とすのは不可能に思える。では消すかとなっても、ラジュリィらが人質になることを考慮した上で拒否してきた時点で、強行突破してくるに違いなかった。
この授け人が乗った魔道鎧を止める術など、帝国には存在しなかった。
今ここで、と一瞬思わなくもないが、そうしようとした瞬間、隣から氷柱が飛んでくることは間違いない。
パルーアは小さく溜め息を吐いた。今は、ひとまず引き際が来たと見た。
「……貴方の気持ちが変化しても私は気にしないから、その気になったらいつでも言ってちょうだいな。今夜はもう遅いし、貴方の頭が冷めるまで待つことにするわ」
「わかりました。そのお言葉、覚えておきます」
最後までお堅い反応をする御堂に、パルーアは肩をすくめて立ち去る。その後ろを、ラジュリィが続く。
御堂の脇を通る際、彼女が寂しげな表情を浮かべて、御堂の顔を見つめたが、御堂はそちらを一瞥しただけで、何も言わなかった。
これまで見えていなかった御堂との溝が浮き彫りになったように思えてしまって、ラジュリィは酷く悲しい気持ちで部屋を後にしたのだった。




