3.2.2 来客と戯れ
それから御堂は、皇女が学院長に連れ添われて、学院内の主な施設や教室を歩き回るのに付き合わされた。それらを終えて自室に戻ったときには、反抗的な学徒に講義をするよりも倍近く疲弊した状態であった。
まだ夕焼けが窓から覗ける日時だったが、強い眠気を感じていた。
(学院へ戻る道中でも思ったが……嫌がらせなんじゃないのか、これは)
借りていた近衛服を脱いで丁寧に畳み、机に置く。そして唯一と言って良い持参の私服であるシャツと短パンに着替えたところで、御堂は力尽きた。ベッドに倒れ込み、大して反発してくれずに身体を沈めるマットに身を委ねる。
なぜに、ここまで御堂が疲れ切っているかと言えば、大体が皇女、パルーアのせいである。
彼女は学院長の後ろを歩いている間も、周囲の目など気にせずに御堂を側に侍らせた。何か気になることがあれば、御堂に訪ねていた。自分の隣に、学院にはより詳しいクラメット老人がいるのにも関わらずである。
仕方なしに、御堂が講師主任のトルネーらから教わったことを、わかる範囲で説明した。そうすると、パルーアは花のような笑顔になっていちいち喜び、お礼の言葉を口にするのだ。この世界の階級制に疎い御堂でも察しがついたが、これは明らかに、一人の騎士に対してするリアクションではなかった。
して、それを見ていた周囲の学徒がどういった反応をするか。これはもう、捻りも何もなくシンプルであった。
(……皇女殿下の行幸が終わったら、しばらく一人で歩くのは控えた方が良さそうだな)
学徒たち、特に男子の視線は、そう心配せざるを得ないくらいに殺気立っていた。もしも人数にものを言わせて襲いかかられたら、相手が子供と言えど、流石の御堂でも穏便に済ませる手段はない。
そうならないため、事前に防止したり、フォローを入れたりするのが御堂の常套手段だった。けれども、ちょっかいをかけてくるのが皇女殿下ではどうしようもない。
やんわりと拒否したりして距離を取っても、逃げたらその分だけ、ぐいぐいと詰め寄ってくるのだ。行動力がありすぎる。
なお、野次馬と同じく、御堂たちを近くで警護していた近衛騎士たちは、皇女の気質を知っていたので、御堂にはむしろご愁傷様と言う風な視線を向けていた。それが、唯一の救いとも言えた。
「困ったものだ……」
まるで、どこかの誰かがして来るような、一方的なスキンシップに既視感を覚えて呟く。
その誰かさんは件の皇女と幼馴染みで、今も交流する仲だと聞いていたので、もしかしたら性根は似たもの同士なのかもしれない。
(困り事と言えば、件の賊もか)
思考を切り替え、道中でも考えていたことを再び思案し始める。
以前に少し調べた限り、バルバドという大型で獰猛な魔獣は、群れを成して街を襲うという行動をするのは、普通では考えられないことだ。あの生物は、基本的に群れることをしない、同種で縄張り争いをすることもあると資料にあった。
しかも、あの街があった地形のような草原や平野には、滅多に降りてこない。襲われる集落や村も、山沿いが多い。
ではどうして、あんな数のバルバドが街を、具体的には皇女を襲うように動いていたのか。答えはすぐに推測できた。第三国からの介入だ。何らかの方法、おそらくは魔術で魔獣を操り、攻撃させたのだと、御堂は予想した。
(問題は、どこが仕掛けてきたかだ)
候補は共和国と聖国の二つに絞られる。前者は帝国と同盟関係を結んでおり、交流も盛んなので、一見すると候補に入り得ない。だが、貴族間での軋轢、溝の深さは、御堂がこの学院で嫌と言うほど知った。
聖国の方は、これまでも賊と言う形でカモフラージュした戦力を使い、帝国と共和国の両方に手を出してきている。今回の黒幕と疑うなら、まずこちらだ。しかし、仮想敵国に向けてここまでわかりやすく攻撃を仕掛けてくることには、違和感を覚えてしまう。
聖国が手を出したという明確な証拠が出てしまえば、それは宣戦布告にも近い。かの国がそんなに馬鹿な真似をするのか、疑問である。その流れを狙い、帝国との不和を望む共和国の一勢力が、この件を仕掛けてきたとも考えられる。
こうして見ると、どちらが皇女を襲ったのだとしても、不自然ではないのだ。さらに考える内に、帝国内の反皇族派が仕掛けた内輪揉めという線も浮かんできた。確立は低いが、無いとも言い切れない。
(敵の正体がはっきりしないのは、かなりの不利になるな……)
考えて、あることに気付いた御堂は、小さく息を吐いた。それまで回していた頭が、急に萎えた気になった。
(ただのパイロット、それもこの世界から見たら部外者の俺が、あれこれと思考することでもないな)
余計なことを考えるのは、思考力が低下している証拠だと自覚する。明日もあの皇女を相手するのだから、今はとにかく休むべきである。そう自分に言い聞かせて、目を閉じた。
疲れも手伝ってか、御堂の意識はすぐに眠りへと落ちていった。
***
眠りに落ちてから数時間後。御堂は部屋をノックする音で目を覚ました。
(……デジャビュを感じるのだが)
少しだけぼんやりする思考を、顔を擦って強引に覚醒させる。中々返事がないことを不満に思ったのか、来客はドアを小さく、しつこく叩いていた。ちらりと窓を見やれば、もう月明かりしかない夜更けである。
隣室とは少し距離があり、防音もそれなりだとわかっていても、自身が迷惑行為の発端になっていることに、御堂は罪悪感を覚えてしまう。日本人的な思考だった。
「お待ちを」
もはや確信めいた予感を胸に、御堂はベッドから床に足を降ろして扉を開けに行く。そしてドアノブに手をやったとき、突然、ドアが開いた。ちなみに、この扉は外開きである。なので、
「うおっ」
御堂は体重をかけようとした先が無くなったので、扉が開いた空間に向けてつんのめる形になった。
その先には、頭にフードを被った小柄な少女がいた。思わず空中を泳いだ手が、その肩を掴んでしまう。
「――っと」
それでなんとかバランスを取り、目の前にいた人物を押し倒すことは防げた。それでも、自分の胸元くらいの高さにある相手の頭部を、自身の顎下に入れる程度に密着してしまった。加えて、腹部に柔らかい感触がして、御堂の脳裏に警鐘が鳴った。
「意外と大胆なのね、授け人は」
フードをした少女の声に聞き覚えがあったので、現状の危険度が更に高まったことを認識した。
「……やはり、殿下でしたか」
それでも取り乱したりしないのは、相手が予想した通りの人物だったのもあるし、御堂がもう二十五になる大人の男性だからでもあった。
案外と冷静な対応をされて、「あら」と、拍子抜けした声を漏らしたパルーアから手を離し、御堂は一歩後ろに下がった。
「申し訳ありません。無礼を働きました」
小さく頭を下げて謝罪した御堂に、頭に被っていたフードを外したパルーアは、別の意味で不満だったので、頬を少しむくれさせた。
「……授け人をからかえる種ができたと、少し期待したのだけれど?」
「ご期待に添えず、重ね重ね申し訳なく」
「まぁ、いいわ」
「ありがとうございま――」
許しが貰えたことに安堵して顔をあげた御堂のそれに、驚きの色が出た。
今度は物理的に、下がった分だけ前に詰め寄ってきたパルーアが、御堂に身体を寄せて背中に手を回してきたのだ。
「ふふ、湖で見たときも思ったけれど、細身のようで、かなり鍛えてる。良い身体ね」
「お、お戯れを……」
「そう、戯れも戯れ、おふざけね。だけどもう少しだけ、こうでいさせて欲しいの」
「なぜです?」
御堂の胸元に顔をうずめて、楽しそうに小声を出す皇女に当惑していると、空いたままの扉、そちらから冷気が漏れているのを肌で感じ取った。凄く、嫌な予感がした。
「このままだと私、大切に思っている幼馴染みに、氷漬けにされてしまいそうだもの。だから、貴方の身体で暖めてほしいのよ」
「……最後の言葉はそれで良いですか? パルーア」
とんでもないことを言ってきた皇女に、御堂が絶句している間にもう一人、ずっと廊下からこの様子を見ていた少女が、ゆっくりと部屋へと入ってきた。おどろおどろしさを感じさせる瞳でこちらを見るラジュリィは、御堂ですら背筋が凍りそうになる迫力があった。
それにも関わらず、ちっとも怖がる様子のないパルーアは、御堂に抱き付いたまま視線だけを後ろに向ける。
「まぁ怖い、そんなに怒らなくても良いでしょう?」
「人のものを奪おうとして、よくもぬけぬけと……!」
「ふふ、久しぶりに喧嘩でもする? どれくらい魔術が上手になったか、見てあげる」
ラジュリィから可視化できそうな冷たい風が吹き始め、パルーアは真逆に、暑さすら感じる熱気が出始めた。
「……二人とも、時間と場を弁えてくれないか」
思わず素の口調になった御堂が止めに入ってから、少女たちが大人しくなるまでに約五分を要した。
眠って疲れを取ったはずなのに、眠る前よりも疲れた気になった御堂が、互いの身分を忘れて子供にするような説教をしてしまったのも、無理からぬことだった。




