3.1.9 本性
酒場の二階より上は宿になっていた。貴族を相手にすることもあるのだろう、学院の城と比べても遜色ない、立派な造りだった。途中でトーラレルと別れ、更に奥まった場所の部屋に案内される。
「すみません、そちらの気を悪くするつもりはなかったのですが」
二人きりになったタイミングで、近衛騎士のペルーイに謝罪する。された方は足を止めず「お前が非を感じることはない」と素っ気なく返した。
「殿下はどうにも、変わり者を愛でたがるきらいがある。そこにまで、私から干渉することなどできない。だが……」
角部屋の扉の前まで来たとき、ペルーイが振り向いて御堂に目を向けた。その視線には、敵意とまではいかないが、それでも好感情ではないものが浮かんでいた。
「それで調子に乗らないことだ、授け人。気替わりも激しいお方だからな、すぐに飽きられてしまうだろうし、万が一、それでお前が殿下に無礼を働いたら、私の仕事が増えてしまう」
「肝に銘じておきますよ。ありがとうございます」
「そこは、感謝の言葉を出すところか?」
「自分がそういった問題を起こさないためにと、事前に伝えておいてくれたのでしょう。聞いていなければ、自分は何かしでかしたかもしれません」
御堂の言い草に、ペルーイはきょとんとしてから、目を伏せて小さく息を吐いた。感嘆のような、呆れのような、複雑な思いがこもっている。
「それがお前の手口なのか、それとも素なのか、私にはわからん。だが、良くも悪くも頭が回りそうだと感じたことも、ついでに教えておいてやる」
「それは、褒めてもらっていると見ても良いのですか?」
「茶化すな」
御堂の冗談染みた問いにぴしゃりと返事をして、ペルーイが部屋の扉を開けた。
「とにかく今はここで休め、学院への道中、賊が現れないとも限らん。またお前の魔道鎧に頼るかもしれんから、万全にしておけよ」
「はい、そうさせてもらいます」
近衛騎士に一礼して、部屋へと入って行く御堂。扉が閉まり、皇女の下へ戻るために踵を返した彼女は、やれやれと首を横に振った。
(得がたい人材であるには間違いないが、皇女殿下の近くに置く異性としては、少し危ういかもしれないな……相性が良すぎるかもしれん)
それはどちらかと言うと、御堂自身が危ない存在というわけではなく、刺激を受けた皇女の行いが危なくなる、という意味であった。
皇女パルーアが幼い頃から、お付きの騎士をしているペルーイからすれば、悪影響を与えるかもしれないものを近づけたくない。それでも、逼迫してきている近衛の人材不足解消と天秤にかけて、近衛騎士隊長の心中は揺れるのであった。
***
部屋はかなり上等で立派なものだった。一騎士には過ぎるような気がしなくもない。けれども、御堂が学院で聞いた自身の立場を思い出すと、もしかしたら案外、これが普通なのではとも考えられた。ふと見た窓から射す陽光から、もう時刻は夕方になることがわかった。
(さて、ひとまずはしのげたか)
先の会話、相手の反応は、御堂が狙っていた通りの流れであった。なんとかしてでも、近衛騎士から嫌悪の感情を向けられることは避けたかったので、少しおどけてみせたのだ。
御堂は相手の心が読めるわけでもないので、正確なところはわからないが、それでも、表面上の敵対は回避できたように感じられた。
(我ながら柄でもないことをしたな……嫌な汗もかいてしまった)
疲れがどっと出たように肩が重くなるが、休むより先に部屋を一度見渡して、不審物が無いかを確認する。学院の宿舎よりも良さそうな大きいベッドに、小綺麗な机や椅子。一見すると高価なものに見える調度品、それらが、床を彩る赤い絨毯の上に鎮座していた。
「……警戒のし過ぎか」
ぼやいてから、御堂はシャワールームらしき部屋へ入り、まず汗を吸った衣服を脱いだ。ここに来るまでの二日間、途中にあった湖で水浴びをしたり、機体のウェポンラックに入れておいた貯水タンクの水を、布きれに染みさせて身体を拭ったりとして、不快感をなんとかしていた。
それでも、やはり温かいお湯というのはありがたいもので、リラックスから御堂の思考が和らぐ。
軍人と言っても、彼は泥水に塗れたりして地を這いずり回る歩兵ではない。近代化された兵器を操るパイロットである。しかも、根っからの都会人であったので、余計だった。
備え付けの水石鹸も良いものらしく、汗と垢を綺麗に落とすことができた。そうして心身ともにすっきりした御堂は、機体から降ろしていた小荷物から着替えを出して身にまとう。
どうせだからと、汗の染みた服類を大きな洗面台で手早く手洗いし、きつく絞って適当な場所に下げた。
余計なフラストレーションの原因は、さっさと処理すればそれだけ効率よく仕事ができる。男性ながらも女子力が高い一面があった教官からの教えだった。
「さて……」
長い時間AMWに乗り続け、最後に一戦闘をしたとなると、流石に御堂も疲れが出る。湯浴びで身体が程よく温まったのもあって、ベッドに身体を横たえると、すぐに眠気が来た。少し、今回の敵襲について推測しようとも思っていたこともあるが、この状態で考え事をしても仕方がない。
(流石に、これだけ防備があれば敵も来ないだろうか……一眠りさせてもらおう)
掛け布団もせず、御堂は心地よい疲労感の中、意識を落としていった。
***
それから数十分か、あるいは数分か、御堂は部屋の扉をノックする音で目を覚ました。
「……トーラレルか?」
まだ少し眠気が残る頭を、強引に覚醒させようと左右の頬を両手で叩く。
「今開ける」
ベッドの脇にあった姿見にちらりと目を向け、簡単に身嗜みを確認してから、扉を開けた。御堂は少し驚いて、後ずさりしかけた。そこに居たのは教え子のエルフではなく。
「こんばんは、ミドール。良く休めていましたか?」
「――はい、おかげさまで」
護衛対象である皇女のパルーアだったからだ。その後ろにはペルーイがぶっきらぼうな顔で立っている。
この時点で、御堂はこの皇女の本質は、自分の抱いたお淑やかな第一印象とは違う、学院で聞いた通りのものなのだと勘付いた。
「それで殿下、こんな夜に何かご用でしょうか。呼んでいただければ、こちらから参りましたが」
「伝説の授け人様にそんなことさせられません。こちらから出向くのが筋というもの。それに、あまり人に聞かせたくないお話がしたかったんです」
「秘密事、ですか?」
御堂が小さく眉を顰めたのに、目敏い皇女はすぐ悲しそうな顔を作った。
「ご迷惑でしたか? ですが、これは皇族としても重要な事柄なのです。お話してくださいますね、ミドール」
「……勿論です」
有無を言わさないとはこのことだろう。御堂は後頭部に手をやりたくなるのを堪えて、パルーアとペルーイを部屋に招き入れた。それから扉を閉めようとした。
「あ、ペルーイは外で待っていてください」
「理由をお聞かせ願ってもよいでしょうか」
「近衛隊長と言えども、皇族のする内緒話を聞かせるわけにはいかないからです。おわかりですね?」
「……承知しました」
不承不承という態度を隠さず、頭を下げてペルーイが御堂の前を通って部屋から出て行く。その際、横目で御堂を見る目に『わかっているだろうな?』という意味の険があったのを、御堂は見逃さなかった。
扉が閉まり、気まずくなりながらも皇女の方へ振り向く。
「あー、本当に疲れるわ、この喋り方は」
先ほどまでお淑やかな皇女らしさ全開であったパルーアが、ベッドに勢いよく腰掛けて、両脚をぷらぷらさせていた。その上で、うんと伸びをしているのだ。これには御堂も……実は驚かなかった。こんなことだろうなと、どこか予感していたのもある。
「それが殿下の本来のお姿、ということですか?」
「あら、驚かないのね。これを見せた相手は、大抵びっくりするか、やめるように口うるさくするかのどちらか……いえ、両方をしてくるのだけれど」
「そういった皇族もいるのは、自分がいた世界では定石でしたので」
「過ごしやすそうな世界ね。息苦しくも堅苦しくもなさそう」
和やかな笑みで言って、パルーアはドレス裾の中で脚を組んだ。そして、御堂を値踏みするようにじろじろと見やる。
「最後にラジュリィから手紙をもらったとき、貴方のことが書かれていたのよ。凄いベタ褒めで、本当にそんな人間が実在するのかしらって思ったのだけれど、こうして実物を見て接すると、実は本当にそうかも、と思えてくるわね」
「……ちなみにですが、その手紙にはなんと?」
「聞くと、貴方が恥ずかしさで悶絶しそうだから、教えないでおいてあげる。生真面目そうだしね、貴方」
「……心遣い、感謝します」
これは思いの外、難物かもしれない。あの近衛騎士が気に掛けるわけだ。
「それより用事よね。率直に言ってしまえば、私、パルーア・マトゥーラ・ファローレンは、皇族直々に貴方の品定めに来たの」
「本当に率直ですね」
「遠回しな言い方は嫌いそうだったから、こうしたのよ。それでミドール、貴方は何者なの?」
「何者、と聞かれましても、ただの授け人です。それ以上でも、それ以下でもありません」
その反応は面白くなかったのか、頬を少し膨れさせる皇女。
「そういうことではないのよ。わかってるくせに、貴方個人のことを教えなさいと言っているの」
「はぁ……ですが、聞いても面白いようなことは」
「面白いかつまらないかは、私が判断するわ。良いから話なさいな。それとも、皇族の命令をきかないつもり? 外にいるペルーイは、容赦してくれないわよ? 融通が利かないから」
そうとまで言われては、御堂に拒否することはできない。後頭部を小さく掻いてから、御堂は身の上話を始めた。
「では、自分がこの世界に来たときのことから――」




