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3.1.4 皇女

「陛下、よろしいでしょうか?」


 人の少ない広間でも良く通る凜とした、鈴を転がしたようなと比喩できる声。小さく首を回して振り向いた伯爵の隣に、軽い足取りでやってきたのは、朗らかな微笑を浮かべている少女であった。


 少女はどこか年頃に見合わない妖艶さを感じさせる、赤紫のセミロングを揺らして、皇帝の前に出た。そして、着ているドレスの裾を踏まないようにしながら、慣れた様子で、片膝をついて礼儀を示す。


「殿下、何かご用件がございましたか?」


 その一動作を終えた少女に、伯爵が声をかけた。殿下と呼ばれる彼女こそ、皇帝の子女、つまりは皇女であるパルーア・マトゥーラ・ファローレンであった。問われたパルーアは、伯爵の方に笑みを向けて「そんな大した用事ではありません」とだけ返す。


 そうして再び、皇帝の方へと向いた少女の瞳は、笑っていなかった。これに気付いていた伯爵は、また厄介なことが起こるのではと、胃に重いものが落ちるのを感じて、表情を小さく曇らせる。皇帝はまた鼻を鳴らして、その視線を迎えた。


「パルーア、我は忙しいのだがな」


 軽い苦言を漏らした。普通なら、この一言を受けただけで、皇帝の前から一旦は退かねばならない。が、この第一皇女は笑みを崩さず、立ち去る素振りを見せない。

 見た目は可憐な乙女であるが、内心における我の強さは父親譲り。これはこの城で過ごす者ならば誰でも知っていることであった。


「少しだけお時間を頂けないでしょうか、どうしても、早急に陛下からお答えして頂きたいお話があるのです」


「……申してみよ」


 娘の後ろにいる伯爵が胸元を抑えたのを見て、皇帝は溜め息混じりで娘の話を聞くことを了承する。短く感謝の言葉を述べてから、パルーアは切り出した。


「此度の行事取り止めについて、如何様な訳があるのか、お聞かせ願えないでしょうか。周囲の者に聞いても、私には何も教えてもらえないのです」


 皇帝は「こうなることがわかっていたから教えなかったのだ」と言いかけて、一度口を閉じた。それから言葉を選んで、改めて口に出す。


「其方も聞いてはいるだろう。賊がこの帝国に、それどころかここ帝都にまで入り込んで来ているのだ。それもただの盗人の類ではない。人攫いがな」


「さようです。故に、殿下には不要の外出を控えていただきたいのです」


 皇帝の言葉に続けて、伯爵が説明する。


 昨今、聖国からの嫌がらせが頻繁になったのと同時期より、行方不明になる貴族子女が出始めている。目撃証言などから、これは賊による拉致であることまで判明し、何人かの拉致犯を捕らえている。しかし、それでも行方不明者は減らない。捕らえた者も全員が次の日か、早ければ捕縛された直後には死に絶えていて、情報が掴めない。


 このような状況で、第一皇女であり、被害にあっている子女と同年代のパルーアを、警備が手薄になる城の外に出すわけにはいかない。それに、身辺の警戒を厳にしろと城から指示を出しているのに、皇女がそれでは周囲への示しもつかない。というのが、伯爵の主張であった。


 対して皇女は終始、笑顔を絶やさなかった。普通の淑女なら、少しは怯えるか恐れるかするだおるに、怖がる様子も見せない。皇帝は薄々、この娘には何を言っても無駄なのではないかと思ったが、それを顔に出さないように努めた。


「――というわけですので、どうかご理解していただきたく……」


「なるほど、わかりました」


 こくんと頷いたパルーアに、伯爵は安堵したように小さく息を吐く。この皇女がすんなりと言うことを聞いてくれることなど希であるが、今回は何事か起きてからでは洒落にならない。だからこその安堵だった。


「つまり、私自らが予定されていた通りに学院への行幸を行って、賊を誘い出して捕縛し、さらに授け人とやらを見てくれば、全ては上手くいくということですね」


 伯爵は卒倒しそうになったのをなんとか堪えた自身を、褒め称えたくなった。


「……パルーアよ、其方、先にしていた我らの会話を聞いておったか、魔術で」


「はい。聞き寄せの魔術は、私も心得ておりますので」


「この玉座の間で術を行使することは厳禁だと、知っておるだろうにな? そのために態々、術封じの魔具が設置されていることも?」


「勿論です。ですが、何やら私にも関係していそうなお話でしたので、つい」


 つい、で魔具が発生させている、並の術士では破れない程に強力な術封じの空間を、いとも容易く突破する辺り、パルーアの実力は相当なものである。


「あの、殿下……私めの話を聞いてらっしゃいましたか?」


「ええ、わかりやすいご説明でした。ありがとうございます」


「ではなぜ?」


 話を聞いていたというのに、どうして危険を冒して城どころか帝都の外へ出向こうと言うのか。伯爵の問いに、パルーアはなんてことなしに言ってみせた。


「そのような危険があると貴族が閉じ籠もっていては、民衆も何事かあるなと不安がるでしょう。それを払拭し、何も恐れることはないと私自らが証明してみせたいのです」


 一見すると、至極もっともらしいことを言った皇女に、伯爵は不敬ながらも白々しいという視線を向けた。皇帝に至っては、くっくっと小さく失笑を漏らした。


「パルーア、其方の言う綺麗事めいた建前はどうでも良い。本当のところは何が目的か、正直に教えてくれたら、行幸の件を一考してやってもよい」


「……何年も顔を合わせていない友人に会いたいからと仰ってもですか?」


 それを聞いた伯爵は嘆かわしい、と私情を優先する皇族に対して批難の目をした。逆に、皇帝は「ふむ」とこれに対し一つ思案する仕草をとった。


「なるほど、其方の私情混じりであることはわかった。では、学院への行幸だけは認めてやっても良いかもしれん」


「へ、陛下? それは……」


「学院の守りは固い、頑固者のエルフがいるからな。行くまでの道中は、我が騎士を何人か用意してやれば、帝都内で何かをするよりかは守りやすかろう。この都はちと、賊に優位が過ぎる」


「では、私が学院へ行くことをお認めになってくださるのですね?」


 パルーアの笑みが年相応の喜びに満ちたものに変化する。しかし、皇帝は意地の悪そうな笑みを浮かべて「けれども、一つ条件がある」と切り出した。


「先の話を聞いていたなら、学院に其方を行かせる理由も理解できような?」


「授け人の男とやらを見るということですね?」


「いいや、ただ見るだけでは足りん。こちらに引き込んでみせよ。其方の手に及ぶものであれば、何を利用しても構わん」


 そこで、皇帝はじろりと己の娘を観察するように目線を巡らせた。

 同年代よりも小柄な体躯に、白い肌。国中の男が注目し、女が密かに嫉妬すると言われる整った顔立ち。更に言えば、腰はくびれて胸と尻は出ている。授け人とやらが健全な男であったならば、惹かれぬ道理はないだろう。皇帝はそう判断した。パルーアも、言葉と視線の意味を察して、瞳から喜びを消した。


「……なるほど、そういうことですか」


 視線を受けても顔を背けず、真っ直ぐに皇帝を見る。皇帝陛下の命令であれば、それで自分の一時の自由を認めてもらえるならば、やってみせようと、その目が訴えていた。


「私にお任せください。必ずや、その授け人を私の虜にしてみせます」


「別に、そこまでは言っておらんが、まぁ、其方にやる気があるのならば、我は構わん。下がってよい」


 皇帝が片手をあげて退室を命じる。皇女は恭しく頭を下げると、無言で広間から出て行く。その背を見送った伯爵は、胃痛を堪えるように姿勢を整えた。


「よろしいのですか?」


「なに、どうせ上手くはいかぬだろうが、彼奴が試してみるだけならば、我は何も手を煩わせなくて済む」


「では、こちらでも手を打っておきます」


「いや、しなくてもよい。この件、半分ほどは期待しておくに済ませることにした」


「さようですか……そのお心をお伺いしてもよろしいでしょうか」


 訪ねた伯爵に皇帝は一瞥して、「簡単なことよ」と小さく漏らすように言った。


「彼奴が本気で誘惑しても靡かない男を、こちらが動いて手中に収めるのは、手間が過ぎると思っただけだ」


「靡かないことが前提なのですか」


「何事も、上手くいかないことを前提にしておいた方が落胆もしないで済む。そうであろう?」


 確認するような問いに、伯爵は「その通りでございます」と同意して深く頭を下げた。

 これが、学院への皇女行幸に至った経緯である。

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