3.1.2 厄介事
そんなある日のこと、毎朝ミーティングが行われる講師の詰め所で、
「皇族の行幸?」
主任、講師のまとめ役である彫りの深い顔を気難しそうにしている男、トルネーが言った言葉を御堂が反芻した。教壇に立っている主任の口から、専門的な用語が出てきているので、異邦人である御堂には理解がいまいち追いついていない。
「そうです……講師ミドールはご存じなかったかもしれませんが、これも恒例行事です。皇族のどなたかが毎年、学院の視察に参られます……ここ数年では、皇女殿下がその役目を担ってらっしゃいますが」
「なるほどな」
隣にいた女性講師のトイズが小声で教えてくれたので、御堂は納得したと頷く。この大陸にある唯一の高等教育機関ともなれば、そういったお偉い方が様子を見に来るというのもわかる。
ただ、周囲にいる他の講師らが、げんなりとした様子で「今年もか」「嫌な季節になったものだ」とぼやいているのが気になった。
「ところでトイズ。その皇女殿下というのは……こう、無礼になるかもしれないが、人柄はどうなんだ?」
「……悪い方ではないのですよ?」
気まずそうに答えたその様子で、御堂は色々と察してしまった。そんな人物がやってくるとなれば、一悶着あるかもしれないという、嫌な予感がした。その予感は別の意味で的中する。
「……私の話を聞いていない馬鹿者がいるな」
耳聡く御堂とトイズの会話を聞いたトルネーが、ぎょろりと鋭い視線を御堂に向けた。トイズが「す、すいません!」と即座に謝り、御堂も同時に「すまない」と頭を下げる。が、トルネーは不機嫌そうな顔を更に歪めた。
「ふん、そうか、私の話など聞かずとも問題がないということだな?」
「い、いえ……そういうわけでは……」
「違うのか? では今決めようとしていた事柄だが、お前に任せても良いのか? 講師トイズ」
トルネーが意地悪そうに頬を上げ、逆にトイズの顔がさっと青ざめた。何か面倒ごとを押し付けようとしているのは御堂にもわかった。なので、挙手して発言する。
「いや、トイズは話を聞いたが、俺が話を振ってしまった。そしてトイズから何の行事かの話を聞いていたし、役目についても教えてもらった。だから、俺がその役を受けようと思っていた」
これは嘘で、御堂はトルネーの話が耳に入っていなかった。だが、良くしてくれる講師が、自分が始めた雑談で罰則的に面倒ごとを請け負うのは、ばつが悪い。
「こ、講師ミドール……」
「ほう……そうか、そうか」
一瞬、嗜虐的な笑みを浮かべた講師主任は、真顔になると御堂へ短杖を向けて命じた。
「では講師ミドール。お前に皇女殿下のお相手役……要するに世話係を受け持ってもらう。異議はないな?」
「……なんだって?」
想定していたよりも面倒で、かつ重大な役目にさらりと任命されたことに一瞬、御堂の思考は停止した。口をぱくぱくさせて何か言おうとする。
「異議、異論があったとしても認めん。これは決定事項だ」
だが、トルネーがぴしゃりと御堂の発言を塞いだ。こうなっては何を言っても無駄だと言うことを理解して、開けた口から溜め息を吐く。これも話を聞かなかった御堂自身の落ち度であるため、拒否することもできないのだ。
自身が授け人で世間知らずだからとか、礼儀作法に不安があるとか、余所者がそんな役目をこなせるのかだとか、そういう真っ当な理由があろうとである。
御堂の知る講師トルネーとは、厳格者であり頑固者でもある。一度こうすると決めたら、簡単には覆せない。せめても幸いだったのは、講師トイズにこんな面倒なことをさせなくて済んだことだろう。
ちなみに、御堂もトイズも知る由はなかったのだが、
(まぁ、どちらにせよ講師ミドールにやらせようと考えていたのだがな。学院長からもそう指示を受けている)
トルネーは最初から、御堂にこの仕事をやらせるつもりだった。彼からすれば、自らこの仕事を受ける口実を作ってくれたことで手間が減ったので、この状況に小さく感謝すらした。
けれども、それはそれとして、講師主任たる自分の話をきちんと聞いていないのは、苛つきがあった。なので、感謝よりは「ざまぁみろ」という感情が勝っていた。
「……では一つ懸念事項がなくなったところで、今後の歓待に関する段取りを決める」
困ったことになったとこめかみを抑えて俯く御堂を放っておいて、トルネーはさっさと話を進めてしまうのだった。
***
皇女がどういった人物なのかを知るため、御堂は聞き込みを始めた。これから接することになる対象を、事前に調査しておくのは基本である。
「講師トルネー、トイズ。少し良いか」
まずは自分がこんなことをする切っ掛けになった二人の講師に聞くことにした。すでにミーティングを終えた詰め所には人がおらず、いるのは御堂を含めた三人だけである。
「なんだ講師ミドール。お前も謝罪にきたのか?」
トルネーの言い草で、ここにトイズがいるのは、個人的に講師主任に改めて謝りにきたのだろうと御堂は理解した。実際にはそれだけでなく「御堂に皇女の世話役をさせるのは無茶なのでは」という抗議をしていたのだが、一蹴された後だった。
「さっきはすまなかったと思っているが、それよりも聞きたいことがある」
「ふん、まぁいい。皇女殿下のことだろう」
「ああ、どうにも周囲の反応を見るに、皇女殿下とやらはあまり歓迎されていないように思えた。それだけ人格に難がある人物なんじゃないかと思った。その確認がしたい」
「……講師ミドール、ここ以外でそういう発言をしないでくださいね……不敬罪で処断されてしまいます……」
「はっ、あの皇女がそんなことを気にする質か? が、近衛らに聞かれると厄介だからな、口は慎んだ方が良いのは確かだぞ。講師ミドール?」
「それもそうだな、いや、すまない」
「で、だ。お前の推測だが、半分は正しい。あの方は決して悪い人間ではない。能力もあり、人格者と言っても差し支えはない、だが」
「だが?」
そこまで言って、トルネーが少し言い淀むように口を閉じた。言いにくい表現らしい。そこでトイズが代わりに続けた。
「……お転婆な方で、我が道を行くという風な人柄なんです……毎年、担当になった講師は振り回されっぱなしで……」
「……なるほど」
「そういうことだ。お前も覚悟してこの役目に取り組むようにしろ」
***
不安が募る思いだったが、それでも任せられたからにはやるしかない。もう充分な気もしたが、更なる情報収集のため、御堂は学徒にも話を聞くことにした。
しかし、御堂が親しく話せる学徒となると、相当に限られる。というより、ラジュリィとトーラレルくらいしかいない。人間クラスの学徒らとは、少し打ち解けられた気がしなくもないのだが、プライベートな会話をするには至らない。仕事の手伝いを頼むのも腰が引ける。
というわけで、御堂は帝国の人間であり、貴族であるラジュリィに話を聞くことにした。昼休み、中庭のベンチへと向かう最中に(ラジュリィとトーラレルが協議した結果、御堂と昼食を採るのは一日ごとの交代制になった。御堂の承諾は得ていない)、さり気なく話題にあげてみた。
すると、ラジュリィは少し憂いを帯びた表情になった。
「ああ、そういえばそんな行事がありましたね」
「それで、皇女殿下の世話役を俺がすることになってしまったんだ。だからその方について聞いて回ってる」
「そうだったのですね、皇女殿下ですか……」
彼女はふうと小さく息を吐く。それは何かを思い出して、心配に思えているようだった。
「実を言いますと、皇女殿下と私は密かに文通をしている仲なのです」
「それはまた……何か縁があるのか?」
「幼い頃、恐れ多くも遊び相手を務めさせてもらってたんです。その頃から文でやり取りを続けていたのですが……」
そこで言い淀んでから、ラジュリィは再度溜め息を吐いた。
「実は学院に来てから色々あったので、文の返事をしていないのです。あの方がそれで何か言ってくるのではないか、不安です」
「手紙一つでそんなに……いや、相手は皇族か」
どの世界でも皇族というのは下の者に対し理不尽に働くことがある。御堂はそれを心配した。しかし、ラジュリィはそれを表情から読み取ったのか、首を横に振った。
「いえ、このようなことで人を罰しようとする方ではありません……ただ、あの人は少し元気が過ぎると言いますか……騒動屋と言うと不敬かもしれませんが」
それを聞いて、御堂の脳内で皇女がトラブルメーカーであるという認識が成された。そんな人物の世話役に任命されてしまったことを、今になって悔やむのであった。
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