3.1.1 過去と今
穏やかな陽光が降り注ぎ、佇む二人の幼い少女の美しい髪に、天使の輪を浮かび上がらせる。そこは小高い丘であった。手入れされた花畑が広がるそこは、この少女たちにとっては特別な場所である。
その丘から見えるのは、広大な街と中心にそびえる巨大な城。ここは帝国が帝都の近くにある、貴族のために整備された庭だった。
光を反射させるほど艶やかな髪をした少女、片やは赤紫のショートヘアーで、もう片方は瑠璃色のロングヘアであった。どちらも、道を歩けばすれ違った者が振り返ること間違いなしの美女に育つことを約束されているような、幼いながらの美少女であった。
二人は向かい合い、お互いに手にしている小さい指輪を見せ合っていた。
「貴女とあたし、たとえ離れ離れになっても、永遠の友情を誓う」
赤紫の少女がそう言って、指輪を差し出す。
「身分の違いが私たちを引き裂いても、この想いは永遠です」
瑠璃色の少女が答えて、指輪を受け取った。そして自分の持っていた方の指輪を差し出す。
「私は、貴女のいる帝国のために尽くすことを誓います」
「帝国が第一皇女として、その誓いを確かに聞き届けたわ」
赤紫の少女が指輪を受け取り、それを握り締める。その顔はせめてもの威厳を出そうとしているが、瞳には堪えきれない涙が浮かんでいた。
「これが今生の別れではないのです。また会いましょう。パルーア」
「本当、貴女って生意気ね。いつも姉ぶって、同い年のくせに」
「それなら、パルーアが大人になればいいじゃない」
そう言って微笑む瑠璃色の少女だが、赤紫の少女と同じく、目尻には涙を浮かべていた。気付いた赤紫、パルーアと呼ばれた方は、ころころと笑った。
「そうね、いつか必ず、貴女に負けないくらいの大人の女性になるわ」
「そのときが来たら、また一緒に遊びましょうね」
「ええ、約束よ、ラジュリィ」
「約束です、パルーア」
二人は指切り、古来の授け人より伝えられた約束の儀を結んで、お互いの従者が待つ馬車へと向かった。瑠璃色の少女、ラジュリィは自分を迎えに来ていた従者の少女が、こちらを心配そうに見ているのに気付いて、笑みで返した。
ここで振り返るような育てられ方はしていない。一人は辺境伯の娘として、もう一人は皇帝の娘として、一時の、しかし短くは無い別れをしたのだった。
それから八年後――
***
学院に来てそろそろ二ヶ月が経つ。この教育機関で働くことになった日本陸上自衛隊の機士、御堂 るい三等陸尉は、いくつかの悩みを抱えていた。
一つは、元の世界に戻る術を探すためにここへやってきたというのに、それがまったくと言っていい程に捗らないこと。これは単純に忙しいのもある。だが、二つ目の悩みがそれを助長しているのだ。
その二つ目の悩みというのは、
「だからですね、騎士ミドールにつきまとうのはやめてくださいと言っているのです。この人は私の騎士なのですよ」
「へぇ、いつから講師ミドールは君だけの人になったんだい? 僕にはその理由がちっともわからないね」
この世界での名で御堂を呼ぶ、二人の少女だった。
御堂の右腕を掴んでそう言うのは、瑠璃色の艶やかで美しい髪をセミロングに伸ばし、それに負けず綺麗に整った顔をした利発そうな少女、ラジュリィ。
反対、御堂の左腕を両腕で抱えるようにしているのは、光を反射して輝く金髪を後ろで結び、可愛らしい顔で挑発的な笑みを作っているエルフの少女、トーラレル。
この二人に挟まれ、こう言った口論の元にされるようになって早半月。御堂はいい加減にして欲しいと思いつつも、されるがままになっていた。諦めの境地、諦観の念を持った瞳には光がないように見えた。
最初の頃は、やめるように御堂も止めに入ったり、時には叱責したりしていたのだが、止まらないのである。むしろ逆にエスカレートする始末。
一例をあげると、食堂で御堂の隣に座るのはどちらかに始まり、御堂が担当する講義の話を個室でするのはどちらかに続き、挙げ句どちらが彼の隣に立つに相応しいかに終わる。いや、正しくは終わらない、決着のつかない議論が続く。
「説明しないとわからないのですか? 彼は私の騎士であり、同時に運命の人なのです。世界を超えて結ばれる仲なんです」
「そんな具体性の欠片も無い説明じゃわからないよ。その一方的な思い込みに等しい感情をぶつけてるから、彼が困るんじゃないかな」
この二人、人間とエルフそれぞれで種族きっての秀才と言われる少女らの口論は、もはや学院の風物詩となりつつあった。
他の学徒、主に男子(と一部女子)も最初は御堂に妬みだとか、そういう類の視線や感情を向けてきていた。が、今ではもっぱら「ご愁傷様」といった感じの哀憐じみたものに変わっている。
若者ならば、可憐な美少女二人に言い寄られるなど心底羨ましいことに思えるかもしれない。学徒らも最初はそうだった。だが、学徒らは曲がりなりにも貴族の子。こういったいざこざがどれだけ厄介なことかというのは知識で理解していた。それに、御堂の顔を見れば、自分もこうなりたいとは思えなくなる。
特に人間側、ある程度打ち解けて、御堂の実力を認めた彼ら彼女らは「あの講師でもなんとかできないことがあるんだな」と戦々恐々している。逆に御堂を認めていないエルフ側は「いい気味だ」とでも思うが、その要因が自分たちの中で一番の秀才となっては素直に喜べない。なんとも複雑な心境を抱いていた。
「これで理解できないだなんて、貴女は少し軍人的過ぎるのではないですか? そんな人に騎士ミドールがつきまとわれたら、この人まで頭の凝り固まった軍閥人間になってしまいます。それに、貴女はエルフでミドールは人間。叶うはずもない想いを抱いてどうするのです?」
「はっ、君こそ頭の中がお花畑の理想主義の妄想家じゃないか。僕のようにきちんと現実を見据えて行動できている者こそ、講師ミドールに相応しいよ。それと付け加えるなら、種族を超えた想いは何よりも強いんだ……君の妄想よりもずっとね」
途端、御堂は右側から底冷えするような冷気が発生したのを感じ、左側で小さく風が吹き荒れているのを感じた。大きく溜め息を吐く。
「ラジュリィ、トーラレル。頼むから喧嘩はやめてくれ、周囲の迷惑になるし、こんなことで怪我をされても困る」
あくまで講師として、二人を監督する立場にある者として言ったつもりだったが、恋する乙女二人は解釈違いを起こした。
「あら、騎士ミドールはお優しいですね。こんなエルフの心配をするだなんて」
「そうじゃないよ、講師ミドールは君が手傷を負わないかを心配しているんだ」
「……内向魔素で自分より劣る相手から手傷を受ける気などありませんが?」
「魔素の操り方が大雑把な人間に負ける要素なんて、これっぽっちもないよ?」
三人の周囲で、外向魔素が荒れ狂う心情を表現するように輝き出した。周囲から見れば、それはダイヤモンドダストか何かのようで綺麗に映るかもしれない。が、二人の口論が加速し始めた辺りで見物していた学徒は逃げ出しているので、そのような感想を漏らす人物はいない。
「頼む、頼むからやめてくれ……どちらも心配なだけだから……!」
もう両手が自由ならば土下座でもして懇願するくらいの口調で御堂が言うと、二人はようやく矛を収めた。魔術が使えない御堂でも、周囲の魔素が落ち着いていくのが目に見えてわかって、ほっとする。
「……騎士ミドールがそう仰るなら、今回は見逃します。命拾いしましたね」
「そっちこそ、講師ミドールに感謝するんだね。おかげで助かったんだから」
だが、魔素を納めても、御堂を挟んで視線をぶつけ合うのは変わらない。この調子では、昼休みが終わるまでに食堂へたどり着けるかも怪しい。御堂は二重の意味で悲しくなって、再度溜め息を吐いた。
(なぜ、こうなる……周囲も止めてくれないのは何故だ……)
周囲とは、同じ講師や学院長らのことである。講師主任であるトルネーは「これで大人しくしているならそれで良し」と御堂の犠牲を鑑みない方針を示し、学院長のクラメット老人に至っては「いいのう、羨ましいのう」などとコメントしており、全く抑止力にならない。顔馴染みなだけである他の講師陣は、そもそも関わろうとしない。
御堂が嘆いていると、二人がくるっと御堂を左右から見上げた。
「それで、騎士ミドール」
「講師ミドール」
「……なんだ」
「私の隣で食事をしますよね」
「僕と一緒に食事をしようよ」
同時に言って、また睨み合う二人。御堂はもう食欲も失せてきていた。
唯一の救いなのは、保健の講師とも言えるトイズ女史からもらった胃薬が、地球の物よりも良く効くことだった。




