2.4.10 イルガ・ルゥ
移動を二足歩行に頼る兵器がするとは思えない速度に、御堂は一瞬、呆気に取られた。反応が遅れる。無意識に回避動作を念じていたことで、間一髪のところで横に転がり、なんとか刺突から胴体を逃がせた。
(一等級とは、これほどのものか!)
魔道鎧という兵器が持つ想定以上の性能に、御堂は驚愕した。転がりながら両腕の光分子カッターを収納。落ちていた模擬刀を拾い上げる。追撃の横薙ぎを後方へのステップでかわして、構えを取る。
「戦闘パターン、五番を参照」
《了解 コンバットマニューバ ファイブ》
AIがモーション設定を最適化する。AMW、ネメスィで得物を使うことがあまりないので、予備として設定していた動作である。これを使わざるを得ない時点で、御堂は己に若干の不利を感じた。
『講師ミドール、その鎧の腕についていた得物は使わないつもりかい?』
「対等の武器でないと不公平だろう」
『言うね。魔道鎧の性能で、このイルガ・ルゥに勝っていると?』
刺突の構えを取った薄緑の鎧が、左足を後ろに引く。
白い機体は両手で長刀を持ち、中段の構えを取り、迎え撃つ姿勢になる。
「純粋な兵器としての差だ」
『――なら、見せてもらおうじゃないか!』
イルガ・ルゥが静止状態からぐんと伸びるように加速する。一直線の突きは、生身のときと同じ戦い方を彷彿とさせるが、鋭さが桁違いだ。剣先を絡め取る余裕もなく、横に弾くだけで精一杯となった。
(言うだけのことはある!)
推進装置を使わない瞬発力なら、もしかしたら相手はネメスィを超えているかもしれない。御堂はヘルメットの下で薄らと冷や汗をかいた。少しの油断が勝敗を別けるほどの強敵に、異世界で相対することになるとは、思ってもいなかった。
『また防御一辺倒だね! これも余裕なのかい?!』
続く連撃をネメスィは弾き、避け、反らす。長刀型の模擬刀をフェンシングのように扱うイルガ・ルゥの身のこなしは、ウクリェやサルーベなどとは比較にならない。軽装の身軽な剣士と、鈍重な鎧を着た兵士の違いを思わせた。本当に同じ兵器群なのかと疑いたくなる。
(この世界の剣術は、どうしてこうも攻撃的なんだ……!)
『魔道鎧なら体力切れなんてない、押し切らせてもらうよ!』
宣言した通りに、トーラレルの攻め手が更に激しくなる。一撃が重くなり、弾き損ねた攻撃が肩装甲を叩いた。その衝撃で姿勢を崩した白い機体に、魔道鎧がとどめと大きく右腕を引いた。
「っ、やむを得ない!」
機体性能差が不公平だと言った手前、使うつもりのなかった機能を起動させる。御堂が念じた。すると、それまで動かなかった背中の翼が稼働し、背後の宙空を叩く。
直後、ネメスィが高速でその場から移動した。イルガ・ルゥの放った刺突が空を切り、トーラレルは戸惑いを隠せなかった。
『避けた?!』
普通ならば、人間を模した構造をした魔道鎧では絶対に避けられないタイミングでの回避だった。トーラレルは驚きの声を上げながら、勘頼りで背後へ横薙ぎを放つ。だが、そこにも御堂の機体はいない。
(消えた?)
視界から完全に相手が消えたことで、一瞬、イルガ・ルゥが動きを止めてしまう。
『姉様! 上です!』
そこへ、観戦していたテンジャルの声がトーラレルの耳に届いた。それに加えて研ぎ澄まされた感覚から危機を察知して、鎧を操作する。真横に弾かれるようにイルガ・ルゥが跳ねた後ろを、上からの斬撃が通り過ぎて、矛先が地面を叩いた。
「これにも対応するか……!」
外野からの横やりがあったと言え、不意の一撃を回避して見せた少女の直感の鋭さに、御堂は嘆息を吐いた。一方、トーラレルは姿勢を整え構えを取り直しながらも、混乱を隠せずにはいられない。少女の頬にも、冷たい汗が流れた。
『今の動きは、どういう仕掛けなのかな。聞いても良いかい?』
「この状況で、己の鎧について講釈させる気か? 興ざめだろう」
『ごもっともだね』
会話する間にも、両者は睨み合う。薄緑の魔道鎧の中、トーラレルは眼前の相手、背面の翼を大鷲のように広げた白い鎧。その繰り手が、ついに本性を現したことを理解した。
御堂の方も、少しでも隠しておきたかった機能を使わされたことに、むしろ相手の少女を賞賛する気さえ覚えていた。
目的が目的なのだから、手を抜いてくれれば良いのに、とは流石に思わない。
『それが、貴方の本気? 講師ミドール』
「本気じゃないが、出したくなかった能力だ。よくも使わせてくれた」
『なるほどね……それなら、こちらも本気を出さないと、失礼に当たるね』
言った直後、イルガ・ルゥの周囲に小さい光の粒が湧き出し、瞬いた。彼女の闘争心や、自身と互角以上の相手と打ち合えることへの喜びを現すように、光り輝く。
トーラレルの心中は、御堂と本気で戦えること、それによって自身の実力を認めてもらいたいという気持ちでいっぱいだった。
(魔素とやらを行使している……?)
これには御堂も覚えがあった。ラジュリィが膨大な魔素を操るときにも生じた現象だからだ。故に警戒心を強くして、身構える。
『さぁ、ここからがイルガ・ルゥの、僕の本気だよ!』
瞬間、イルガ・ルゥが真正面から突撃を仕掛けた。速度は今までと変わらない。拍子抜け、いや、ああ言ったのだから何かある。御堂は大振りの一撃を受け止めながら注意深く相手を見る。そして驚愕した。
(これが本気――?!)
受け止めて鍔迫り合いになった薄緑の魔道鎧の背後から、同じ薄緑の魔道鎧が跳躍し、すでに背後に回っている。突然、敵が増えたようにしか見えない。では目の前でこちらとぶつかっているのはいったい何か。
そこで御堂は、以前トーラレルのスランプを解決した際に聞いた、彼女の得意とする魔術について思い出した。
(幻術、いや、質量のある分身か!)
瞬時に判断した御堂は、鍔迫り合いの姿勢を強引に崩して機体を屈ませる。すでに前方にいた幻影は掻き消えている。本命は背後に回った本体。後ろから放たれた斬撃が、屈んだネメスィの頭上すれすれをかすめた。
『良く見破ったね!』
ネメスィの上を飛び過ぎた薄緑の鎧が、着地と同時に身を翻す。その瞬間、今度は三体に分裂した。剣を振り上げた緑の魔道鎧が正面、右、左から攻撃を仕掛けてくる。どれが本物かを考える時間もない。
一人で操っているとは思えない動きで、三体のイルガ・ルゥは巧みな剣捌きでネメスィを追い詰めて行く。二体は幻のはずなのに、明らかな実体を持って斬撃を成していた。
御堂も後方に相手を回り込ませないように立ち回り、剣を振るって猛攻を凌ぎ、反撃に打って出ようとする。それでも、形勢は圧倒的に不利であった。
手にしている長刀を弾き飛ばされそうになる。三体の敵が一斉に剣を振り上げ、一撃を加えようと迫る。御堂は、奥の手を使わなければならなくなったことだけを認識した。
(これも伏せておきたかったのに……!)
想定よりもずっと手強い少女によって、隠していた手札がどんどん晒される羽目になった。内心で、どこか相手を侮っていた自身へ悪態を吐きながら再び御堂は念じる。すると、翼の先端が緑の光を纏った。それが頭上に回り、前方の空を叩いた。
傍目には小さい動きだった。しかし、それによって生じた巨大な斥力場の直撃を、しかも剣を構えた無防備な状態で受けたイルガ・ルゥにとっては、ただ事では済まなかった。
『あがっ?!』
見えない手による掌底を食らったように、三体のイルガ・ルゥが吹っ飛ぶ。二体は霧散して、本物が地面を転がる。周囲で決闘を見ていた学徒らも、何が起きたのか理解が追いつかなかった。
先ほどからネメスィが披露しているこの挙動。その機能は、この機体が持つ特異性の一つである。
白い機体が背面に備える翼は「砲塔」「副腕」に加え、文字通り「飛翔翼」として推進装置の機能を果たし、さらには不可視の斥力場を生じさせる「盾」にもなるのだ。
これが元の世界、地球においてTk-11Type3“ネメスィ”が「単体同士の戦闘における最強のAMW」と称される所以である。
だが、御堂は極力これらは隠して起きたかった。無闇に力をひけらかすのを良しとしなかったのだ。それができなくさせたエルフの少女は、あまりの衝撃に一瞬、意識を飛ばしていた。だが、すぐに目を覚ますと、まだ戦意を保っていると鎧を起き上がらせた。
『驚いた……本当に驚いたよ……このイルガ・ルゥを超える魔道鎧を、聖国以外で見るなんてね』
「無理をするな、今のは相当に効いたはずだぞ」
脳震盪でも起こしているかもしれない。そう気遣いながらも、御堂はネメスィに構えを取らせた。こうは言ったが、トーラレルがまだやる気だということは明らかだった。その証拠に、立ち上がったイルガ・ルゥは、すぐに剣を構えた。
『いいや、まだだよ。まだやれる……!』
ダメージを受けているにも関わらず、その構えに淀みはない。大した胆力だと、口には出さずとも相手の少女を賞賛せずにはいられなかった。だが、次が最後の一撃であることを、御堂は何んとなしに理解していた。
『――はぁっ!』
イルガ・ルゥが腰を低く構え、片足を引く。その動きから、御堂が来るなと予想した通り、トーラレルは真正面からの一撃を放ってきた。これまでで一番、鋭く速い突きだった。だが、前回のときと同様に、真っ直ぐ過ぎた。
「せやっ!」
気合を発して、御堂は下に向けて構えていた模擬刀を、上へと跳ね上げた。あまりに高速な攻防を見ていた学徒らが知覚できたのは、空高くへと飛んだイルガ・ルゥの模擬刀のみだった。
勢いの余った薄緑の鎧が、白い機体へと倒れ込む。それを、ネメスィは優しく抱き止めた。いつかの再現のような状態に、トーラレルは小さく笑う。そして周囲に聞こえないくらいの小さい声で呟く。
『また、負けてしまった……強いね、講師ミドールは』
トーラレルは、内心で落ち込みを抱いていた。御堂に自身の実力を認めさせるつもりだったのに、再度敗北してしまった。これでは、彼からそこらの学徒と同格に見られてしまう。それだけは嫌だった。
「いいや、俺も追い詰められた。同じ条件の鎧だったら、こちらが負けていたさ」
『世辞かい? それは』
「本当のことだ。君の実力の凄さは、よく理解できたよ」
『……敵わないな、本当に』
しかし、御堂はトーラレルの力を認めていた。それが理解できたので、少女は安心と共に、喜びを感じていた。抱き合い、見つめ合う魔道鎧とAMW。その白い機体に御堂の姿が被り、トーラレルは頬を染めた。
『私は、貴方の役に立てただろうか、講師ミドール』
「充分だ。君の献身は見事なものだった」
『なら、よかった』
「おかげで、全員をのさなくて済んだからな」
そう言った御堂の周囲では、ちょっとした騒ぎになった。トーラレルが負けたことが信じられないのか、騒ぎ出すムスペルの学徒たち。そこに割って入るように、ヴィリィの学徒らが一斉にネメスィの元に駆け寄ってきた。
その誰もが、御堂を魔無しの講師などとは呼ばなかった。人間でもエルフに勝てるのだということを、技術で証明して見せた彼を素直に賞賛する声が、辺りを包んだ。




