2.4.1 呼び出し
ところで、これらの会話を少し離れた本棚の陰から聞いている者がいる。
それは講義を受けているはずのラジュリィ・ケントシィ・イセカーであった。
(こんなところで、可憐な容姿の女子と二人きりになるだなんて……)
彼女は教室を移動する際、御堂の姿を見つけて後をつけていたのだ。普通の尾行なら、御堂でも気付けたかもしれないが、ラジュリィはこの図書室にかかっているのと同じ“静寂”の魔術で足音を消す徹底っぷりを見せていた。御堂に気付けるわけがなかった。
そうしてタイミングを見て話しかけようとしたとき、エルフの学徒、トーラレルと御堂が接触した。そこからの一連の流れを、ラジュリィは全て聞いていた。静寂と聞き寄せの魔術を併用して使うという、かなり器用なことをして、彼女は二人の動向を全て把握していた。
(しかし、あのイジン家のトーラレルさんが、私とのことで不調を患うだなんて)
あれだけ飄々とした性格をしているエルフでも、彼女も人間と同じく、考え悩む生き物であるということだろう。その悩みの発端が自分にあるというのは、少しの驚きはあった。
しかし、それに関してラジュリィは特には気に病んだりしない。競い合うように仕向けられた場で手を抜いたりなどして、それが知られたら、そちらの方が事である。
それに、これはエルフ間にある高すぎるプライドから来た問題である。人間である少女からすれば、介入して解決してあげようとは思わない。
だと言うのに、自分の騎士であるはずの御堂が手を焼いて、しかもあんな親しげになるだなんて――
「これは少し、お話が必要かもしれませんね」
聞き寄せで耳に入ってくる二人がする雑談の内容から、ラジュリィは御堂に対するトーラレルの心情を聡くも理解した。少女は心中に、どす黒い感情を湧き上がらせる。二文字で言うならば、それは「嫉妬」の感情であった。
(ミドールに対してお話をしても、講師の役目だからとはぐらかされてしまいそうですね)
であるならば、お話、警告をしなければならない相手は、あのエルフの少女だ。幼い頃に顔を合わせたこともある相手。異国で五指に入る大貴族にして、自分と近い立場の貴族令嬢に対し、少女はある種の説得とも言えるそれの算段を企て始める。
治外法権とも言える学院の中とは言えど、それが国家関係において悪影響を及ぼす可能性などに関して考える余裕は、今のラジュリィにはなかった。
***
それから数日後。御堂は人気の無い城の裏手に呼び出されていた。
ここを地球の学校で例えるなら、体育館裏や、校舎裏とも言うべき雰囲気の場所であるなと、御堂は思っていた。
(さて、講師をこんなところに呼び出すような学徒に、好印象は覚えないが)
ポケットに滑り込まれていた小さい手紙の内容を思い出す。御堂は一応の用心で腰にぶら下げているコンバットナイフの鞘に触れた。
女子らしい丸文字で書かれた手紙には、特に物騒なことは書かれていなかった。ただ、この場所の簡単な地図と呼び出す旨の言葉が短く記されていただけである。
(それでも、不意打ちで襲われる可能性もある)
そうされる心当たりが、御堂には多すぎた。むしろこれまで、この類の罠にかけられなかった方が不思議に思える。自然体で立ち、耳に神経を集中させて、やってくるであろう足音を拾い上げようと務める。
(四人くらいまでなら、ローブもあるしなんとかなるかも知れないが、それ以上は厳しいな)
複数人の足音が聞こえてきたら、踵を返して逃げるつもりだ。そう御堂が全神経を使って警戒していると、予想に反して小さい足音が一人分だけ、聞こえてきた。
「一人だけか……?」
思わず呟いたとき、角からその音の主が現れた。銀髪の髪に長い耳が特徴的な少女。名は確か、テンジャルと言った。
「お待たせしてしまい、申し訳ありません。講師殿」
「ああ、いや……少し待ったが、気にするほどではない」
なんだか呆気に取られてしまって、御堂は反応に困った。腰のナイフに手を伸ばしていたのが馬鹿らしくなり、その手で後頭部を掻く。そうしている彼に対し、エルフの少女は小さく頭を下げてから、本題を話し始めた。
「貴方を呼び出したのは、あることで聞きたいことがあったからです」
「俺に答えられることなら、答えよう」
「ありがとうございます……それでは」
それまで穏やかな表情であったテンジャルの瞳が、急に鋭くなり、御堂を睨み付けた。親の仇でも見るような視線に、御堂は思わずたじろいだ。
「姉様……トーラレル様に何をしたのですか?」
「何をした、と言われてもな。変なことはしていない」
「嘘を仰らないで! ここ最近の姉様の様子は、明らかにおかしいですし、どう見ても貴方が関わっています!」
そう断言され、御堂は再度後頭部を掻いた。心当たりが無い、とは言えない。先日、トーラレルのスランプ解消を手伝ったのは事実である。それ以来、彼女から自分への態度が、かなり軟化しているのも理解していた。
いくつか実例を挙げると、御堂のことをそれまで他の学徒のように「講師殿」と呼んでいたのに、ある日から突然「講師ミドール」と名前をつけて呼ぶようになった。彼女が講師をそのように呼ぶのは初めてのことだったので、トーラレルを知る学徒たちは唖然とした。
更に、あれからも何度か講義を行う間、トーラレルから御堂に話しかけることが増えた。事あるごとに「講師ミドール、ちょっと良いかな」と声をかけて質問を投げかけたり、個別の指導を願ったりするのだ。
これを見て、彼女をエルフの面汚しだなんだと罵倒していたエルフたちは、更に調子に乗った。人間風情に靡くなど、エルフとして情けないとすら言った。
だが、トーラレルはまったく気にしない。それまでも気にした素振りは見せていなかったが、これまではなかった余裕の態度が見て取れた。
妹分であり彼女を慕うエルフであるテンジャルが聞いたところ、トーラレルは少しだけ言い淀んでから、こう答えた。
「講師と人間も、中々捨てたものじゃないということを、教えてもらったのさ。講師ミドールにね」
微笑みながらそう言ったトーラレルの表情は、普段のそれとは違ったものであった。そう感じ取れたのは、長年の付き合いがあるテンジャルだからこそだ。これは異常事態だと判断した彼女は、手回しをして、原因に違いない御堂をここに呼び出したのである。
「……なるほど、しかし、本当に変なことなんてしていない。ただ相談に乗っただけだ」
「相談? エルフでも優れた力をお持ちの姉様が、魔無しの貴方に何を相談すると言うのですか!」
御堂は口を噤んだ。これに素直に答えるわけにはいかない。トーラレルから、このことは他言無用で頼むと言われているのだ。故に、なんとか誤魔化そうと思考を巡らせる。
それが何かを隠そうとしているのだと見抜いたテンジャルは、妄想をあらぬ方向へと爆発させて、憤慨した。
「ま、まさか人には言えないようなことをお姉様にしたのですか?! それでお姉様に無理矢理あんな態度を……!」
「いや、待て、テンジャル。君は凄い誤解をしている」
「黙りなさい! エルフどころか女の敵です! 許してはおけません!!」
叫び、腰に手を伸ばすテンジャル。次の瞬間、御堂は表情を困り顔から軍人の顔に変えた。次の一瞬で、テンジャルの前まで駆け寄っている。
「なっ?!」
驚き慌てて短杖を抜こうとしたテンジャルの眼前に、コンバットナイフの刃先が突き付けられた。目の前で見ていたはずなのに、少女は反応できなかった。彼女は思わず生唾を飲んだ。
「落ち着けと言っている。本気で杖を抜いて魔術を使うなら、俺も本気で対処せざるをえなくなるぞ」
「な、そ……」
「冷静になれ。俺は本当に、トーラレルに卑しいことなどしていないんだ。ただ彼女の相談に乗ったら、少しだけ親しくなれた。それだけなんだよ」
言い聞かせるようにしてから、御堂は刃を下げ、ナイフを腰にしまった。それでようやく、テンジャルは蛇に睨まれた蛙とも言える状態から脱した。
「すまない、脅すようなことをしたことは謝らせてくれ。だが、誤解だけは解いておきたかった」
「な、何が誤解なものですか……姉様にもそうして、強引に迫ったのでしょう!」
「だからな……」
「い、今は見逃して差し上げます! でもこれ以上あの人に何かしたら、許しませんからね!」
そう言い捨て、テンジャルは全力で走り去って行った。置いていかれた御堂は、深い溜め息を吐いて、側頭部を掻いた。場は切り抜けたが、余計な誤解を生んでしまったことは、大失敗であった。どうにかしてフォローしないといけない。
「余計な仕事が、また増えてしまった……」
情報収集が滞っているというのに、トラブルが次々と舞い込んでくる。どうしたものかと、御堂はまた息を吐いたのだった。
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