2.2.4 主任
放たれた火の玉が御堂の背中に向かって飛ぶ。背後に魔素の動きを感じたのはラジュリィだけであった。
「危ない、ミドール!」
声をあげて御堂を押し退けたラジュリィ。自分を押し退けたラジュリィに、茶髪の放った魔術が命中する。御堂が遅れてそれに気付き、血相を変えた。そのとき、一陣の風が吹いた。
室内にも関わらず、凄まじい突風が辺り一面を舐めたかと思うと、火の玉が風に消し飛ばされたのだ。
「な、なにが……」
御堂はラジュリィが風の魔術でも使ったのかと思ったが、そうではない。ちょうど、側の扉から、杖を持った人物が出てきたところだった。
「まったく、何か騒がしいと思って見ていれば、私の仕事を増やそうとしている馬鹿者がいるらしいな」
現れたのは、紺色のローブをまとった長身の男だった。彫りの深い顔に、鋭い目付きが印象的なその男。服装と年齢から講師だと思われる彼は、御堂とラジュリィを一瞥してから、茶髪と男子生徒を睥睨した。そして、一文字に結ばれていた口を開く。
「それで、校舎内で無闇に魔術を使った挙げ句、他者に危害を与えようとした愚か者。何か言うことはあるか」
淡々とした口調は、その講師の冷徹を表すには充分であった。詰問された三人は、口をまごまごさせて言い訳をしようとする。だが、講師の鋭い目付きが、それを許さないとばかりに鈍く光っている。
「そ、その魔無しが生意気をするから悪い!」
「無礼者を諌めようとして何がいけないのです!」
「しかも、このクレトシー家のグヘイを床に組み伏せるなど、許されるはずが――」
「……黙れ」
一斉に喚き始めた男子らを、講師はただの一声で静まらせた。それだけ重い、静かながら強い言葉であった。まるで魔術をかけられたかのように固まった彼らに、講師は告げる。
「新入りに余計な恥を晒すな、この無能どもが……私がこれ以上、機嫌を損ねる前に散れ、この件に関する処分は追って知らせる。それまで部屋で震えていろ」
処分という単語に、三人は文字通り肩を震わせた。
「そ、そんな……我々は」
「散れというのが聞こえなかったのか愚図が、さっさと去ね。それとも、私自らが攻撃魔術の本当の使い方を教えてやらんと、人語を理解できんのか?」
取り付く島もない態度に、三人は走って逃げ出した。御堂とラジュリィの方には目もくれなかった。
「助かりました。自分は……」
「聞いている。イセカー領の騎士にして授け人。ミドールとな……我が校の恥を見せてしまったな。謝罪しておく」
「いえ、貴方が魔術を止めてくれなかったら、ラジュリィ様が怪我をするところでした」
「はっ、この娘があの程度の魔術でどうにかなるものか、お前には察知できないだろうが、あの時点で防御用の魔素を練り上げていたぞ。とんでもない早さでな」
「そうだったのですか……」
魔術の才能は相当だと聞いていたが、そこまでだったとは思わなかった御堂は、安堵の息を吐いた。
「主を案じるのは立派な心掛けだが、その主の実力は正しく知っておくべきだぞ」
「仰る通りで」
「ついでに言うが、同じ講師にその畏まった口調はやめろ。この程度のことで私を恩人と見るな、気色悪い」
冷たく言い放つ男性講師に、御堂は苦笑した。
「……すまない。だが、それでも礼を言わせてくれ。ラジュリィを助けてくれてありがとう」
「私からも、お礼させていただきます」
主と騎士が揃って頭を下げる。その頑固で殊勝な態度に、講師はふんと鼻を鳴らした。
「お前たちのためではなく、我が校の恥を拭っただけだが、まぁいい……名乗りが遅れたな。私はトルネー・フドゥ・ナドンという。この学院では講師のまとめ役をしている。お前の管理監督も、私の役目だ」
「なるほど、主任というわけか」
「そうだ。その主任から、一つ忠告させてもらう。ここはこういう場所だ。新入りのミドール。精々、気をつけて生活することだ。魔術がどこから飛んでくるともわからんのでな」
「これからは、背中にも気を張ることにする」
軽い脅しのつもりだったが、それを聞いても飄々としている御堂に、トルネーは口元を歪めて笑った。
「もっとも、講師のローブを着ている者に、生半可な魔術は通じぬ。今回のようなことはもうなかろう。魔術による不意打ちは有効な攻撃手段だが、防護布一つで無意味になる、流石に、馬鹿どもでもそれくらいは理解している」
「そうなのか? どうしてそんなものが」
「ここの馬鹿どもは、そうでもしておく必要があるほどに、馬鹿だということだ。今頃、お前の部屋にも届けられているだろう。学院内を歩くときは、袖を通しておけよ」
「わかった、そうしよう」
これには素直に頷いた。後ろで話を聞いていたラジュリィは、そのローブにどのような魔術がかかっているかを、軽く推測する。
(きっと、私が得意とする防護術に似たものを、物質に定着させているのですね……もしかしたら、反射すらできるかもしれない。作り手は、学院長でしょうね)
その推測は大体、合っていた。講師陣が着用しているローブには、魔術反射の効果が付与されている。魔術の基礎を知っている者からしたら、摩訶不思議としか言い様がない。世界の理を、魔素を通じて操ることで発動するというのが魔術の基本である。それ以上の効果を発揮することは、普通はできない。
(ミドールにお願いして、外套を借りられないでしょうか……是非とも分析してみたいです。分解してしまってミドールが困ったら、私が自ら守ればよいですし)
後ろでラジュリィがそんなことを考えているとは知らない御堂に向けて、トルネーが続ける。
「それとだ。私の仕事だが、我が校の恥知らずを叩き潰すことも業務の内に入っている。だから、何かあったら私に知らせろ。お前が釣り餌になってくれるなら、仕事が捗る」
薄笑いを浮かべて、そんなことを言ってのける。冗談なのか本気なのかわからないが、瞳だけは笑っていないので、半分くらい本気かもしれない。御堂は苦笑して肩を竦めた。
「そんなことで役に立てるなら、謹んで囮をさせたもらう……と言いたいが、それはできない相談だ」
「そうか? お前が見せた武芸の腕なら、魔術さえ封じれば多少の危機は乗り越えられよう」
「俺自身はどうにでもできるが」
そこで、後ろでうんうんと考え込んでいたラジュリィの頭に、御堂が軽く手を乗せた。突然のことに、少女はえっと固まった。自身の頭部に乗せられ、左右に撫でるように動いているのが、思い人の手であることを認識すると、顔が真っ赤に染まった。
「魔術に秀でていると言っても、俺の主であり生徒のラジュリィはまだ子供だ。今回のように、学徒からの悪意ある行為に巻き込むかもしれない。それだけは避けたいんだ」
「……はっ、元服を迎えていても、お前からしたら十六の娘は子供か。なるほど、なるほどな。講師であると同時に、騎士でもあることは変わらず、己の職務を全うしようとする姿勢か」
何が面白いのか、トルネーは鋭いまま目元を曲げて愉快そうに笑った。対し、顔が赤いラジュリィは、御堂の手を振り払って、怒ったように頬をむくれさせた。
「わ、私は子供ではありません! 講師ミドール、失礼ですよ!」
「ああ、すまない。許してくれ、ラジュリィがそれだけ、可憐に見えるということなんだ」
「もう……!」
主と騎士とは思えない二人のやり取りに、トルネーはまた頬尻を上げる。
「ミドール、お前という人間がどういうものか、少しばかり知れた。釣り餌になれとはもう言わん。が、それでも何かあれば知らせろよ。助けてはやらんが、恥知らずの馬鹿を黙らせてやるくらいはやってやる」
「ああ、頼りにしているよ。主任殿」
「ふん、精々、明日から励むんだな。講師ミドール」
最後に表情を無に戻して、何事もなかったかのようにトルネーは立ち去った。その背中を見つめて、御堂はぽつりと呟く。
「この学院の講師は、誰も彼も一癖あるな……」
馴染むのも中々大変そうだ。内心でそう続けて、御堂は一度ローブを取りに戻りたい旨をラジュリィに伝え、来た道を戻った。




