2.2.2 エルフの講師
「講師トイズ殿は、自分を魔無しと言わないんだな」
「そ、そんな……イセカー家の騎士を、そのように呼ぶだなんて……学院の中ならいざ知らず、外でそんなことをしたら、打ち首にされるかも……」
「そんなにイセカー家の力は強かったのか」
御堂はブルーロから、イセカー家の騎士は、同じ騎士の序列で言えば上から二番目だと聞かされていたが、まさか貴族出身であろう講師よりも上だとは、思ってもいなかった。それだけの地位を持つのに、あの禿頭の騎士は偉ぶった態度を一度も取らなかった。できた男である。
「そ、それに……私は医師でもあります。魔力の有る無しや、種族の違いで人を選り好みするようなこと……テンマの名をくださった授け人様に、失礼にあたります……」
「なるほど、立派な心掛けだと思う。良い医者でもあるんだな、講師トイズ殿は」
まるで医者の鑑のようなことを言う。彼女の信念を素直に関心した気になって、御堂は大きく頷いた。
「あの……その、私に対する、呼び方なのですが……」
「何か失礼があったか」
「いえ、そうではなく……敬称は、いらないです……ただのトイズで、良いです……!」
怪訝そうになった御堂の顔から目を逸らして、トイズは両手を合わせてもじもじさせた。殿方にこのようなことを言ったのは、生まれて初めてである。ゲヴィターと御堂の喧嘩を止めに入るよりも、よっぽど勇気を振り絞っていた。
「わかった。では講師トイズと呼ばせてもらう」
特に深く考える必要は無いと判断した御堂は、ラジュリィとの接し方を変えるよりもずっと気楽に、呼び方を変えることにした。トイズが、安堵と喜びが篭もった笑みを浮かべた。が、御堂の視線に気付くとすぐに引っ込めた。
「はい……これから、同じ場所で働く、同僚ですから……それで、よいです……」
「気遣い、感謝するよ。それで、俺はここで働く上で、何に注意すれば良いだろうか」
「何に、と言いますと……?」
「ああ、すまない。具体的ではなかった。要は対人関係の仕方だ。俺はこの通り魔術が使えない、多少武芸が出来て、鎧が扱えるだけの男だ。まぁ、学徒には受け入れられないだろう」
悲観的な予想だが、その通りになるであろうことは、トイズにも容易に想像できた。黙って頷き、御堂の言葉に同意する。
「それでも仕事はしないといけないから、なんとか解決しなければならない。そこで、先輩である講師トイズに助言をもらいたかった」
「わ、わかりました……ですが」
同意はしたが、それでも御堂を安心させたいという思いから、反論した。
「帝国でも五指に入るイセカー家の者ということだけでも、普通なら敬うに値する存在のはずです……確かに魔術が使えないのは不利でしょうが、そこまで酷く邪険にされるとは……」
「だが、実際に俺を見る学徒の目は厳しいものだった。どうも、家の格式などよりも魔素の有無を重要視しているように思える。違うだろうか」
「確かに……それは、その通りです」
この男性は、自分が思っているよりも現実を直視している。トイズは下手な誤魔化しをしようとしたことを恥じた。
「それで、どうすれば良いかという話に戻すが、一つ講師トイズに聞きたい」
「なんでしょうか?」
「ここは魔術の有無もそうだが、実力主義で成り立っている場所でもあると考えるが、正しいか?」
「は、はい……そうですね。ここでは魔術が上手く使える人ほど、偉いのだという風潮があります……嘆かわしいことですが」
「それでは、魔術だけでは優位を示せない相手が出てきた場合。学徒はどう反応すると思う?」
「え? そ、そうですね……」
これまで学院の中、魔術だけが評価され続けている環境で過ごしてきた彼女に取って、それは考えたこともなかった。少し俯いてから、自分なりの考えを口に出した。
「……この学院で魔術を学ぶのは元々、貴族として真っ当な力を得ると同時に、研究か軍事のどちらかを行えるようになるためのものでした……今は前者よりも後者が優先されます。そこで、魔術に頼らずに戦える術を多く持っている人物が現れたら……」
もしかしたら、そういう点では評価されるかもしれない。トイズはそう言おうとして、はっと気付いた。これを御堂に伝えたら、きっと彼はその通りにことをしようとするだろう。だが、確実に学徒がそれを評価するとは限らない。逆に刺激して、危ない状況に陥るかもしれない。
そう思うと、御堂の考えを肯定するようなことを言うのは、彼のためにならないと思えてしまった。それに、自分のせいで何か事が起きたら、責任を負うはめになってしまう。トイズはそれも怖かった。
「……それでも、学徒たちは変わらないと、思います……魔術至上主義は、それだけ、根深いものです……」
歯切れ悪く否定した先輩講師に、御堂は少し寂しげな目をした。その目が、彼女の自己保身を見透かしたように思えて、トイズは罪悪感を感じざるを得なかった。
「……そうか、いや、変なことを聞いて申し訳なかった」
「そ、そんなことは、ないです……」
気まずい沈黙が場を支配し、耐えきれなくなったトイズから「わ、私は講義の準備があるので……」とその場を離れた。
「な、何かあったら、頼ってください……講師ミドール」
去り際、最後にそう言えたことだけが、彼女の慰めになった。トイズが近くの部屋へと入ったのを見送って、御堂は後頭部を掻く。己の考えの甘さを反省する思いだった。
(流石に、ああいうタイプの人に対してする質問ではなかったか、時期尚早でもあった)
あのような問いは、もっと信頼関係を構築してからすることだった。その話を最初に持ってきてしまったせいで、結局、少ししか情報を引き出せなかったことは失敗だったと、御堂は頭を掻くのだった。
***
それから部屋に入り、先ほど警備の兵に預けていた雑嚢が備え付けの机の上に置いてあるを確認した御堂は、簡単に荷物を整理した。と言っても、するのは着替えを出して、箪笥に入れるだけである。数分で終わってしまった。
「さて、どうするか……」
学院長からの説明では、御堂は明日から講義を行うとのことだった。鐘が鳴る時間になったら詰所までくれば良いということなので、それまでは自由時間である。
(だが、自由だからと言って散策などしたら、要らぬトラブルを生むかもしれないな)
呑気に散歩でもしようものなら、学徒に絡まれることは確実に思えた。そして、あのような類の子供の絡み方は、どう対処しても騒ぎになる。道化になりきれば回避できるかもしれないが、それではイセカー家と主であるラジュリィの名に傷をつけかねない。
ひとまず、することもないので備え付けの本棚に入っている書物でも読もうかと手を伸ばした。そのとき、扉がノックされる。
「誰か?」
「ラジュリィです、中に入ってもよろしいですか?」
「少々お待ちください」
訪ねてきたのは、先ほど別れたばかりのラジュリィであった。イセカー領の城にいたときのように、扉を開けようと向かう。しかし、先にラジュリィがさっさと開けて入ってきてしまった。
ドアノブに手をかけようとした姿勢だった御堂を見て、少女は小さく笑う。
「ふふ、ここでは学徒と講師の間柄なのですから、そのようなことでお手を煩わせなくてよいのですよ」
「いえ、しかしですね……」
「もう、口調! ここにいる間はそうしないでと言ったではないですか!」
言われ、あっとなった。
「……すまない、咄嗟にだと、どうしても癖になっている」
御堂はまだ躊躇いを残しつつも口調をファルベスやローネと話すときのように改めた。
「ふふ、よろしいです……ここが講師ミドールの部屋なのですね。城の部屋と同じくらいに思えます。不便はありませんか?」
「私物があまりないから、手広なくらいだ」
ラジュリィがベッドに腰を降ろすと、自分の隣、空いているスペースを手で叩いた。御堂を誘っているようである。
「ここでは講師と学徒なんだから、馴れ馴れしく接することはしないぞ。ラジュリィ」
「もう……講師ミドールはお堅いですね」
さして残念そうでもない、相手の反応をわかっていたような口調で言って、ラジュリィは立ち上がった。そして御堂の元へ歩み寄り、その顔を微笑みながら見上げる。
「それでですね、講師ミドール……先ほど話をしていた女性は、誰なのですか?」
微笑んでいるのは口元だけであった。瞳はすっと細まり、冷たさを表している。部屋の温度が数度下がったような錯覚を覚えた。思わず、いつもの口調に戻って弁明する。
「……先輩の講師です。養護教諭だそうで、自分と講師ゲヴィターが口論になったのを見て、話を聞きに来たのですよ。それから、少し学院について話を――」
「話し方、戻ってますよ? ミドール」
「……すまない」
九は年下の少女が放つ冷たい気迫に、御堂は圧倒されそうになった。このままではまずい。そう判断したので、話題を切り替えることにした。
「ラジュリィはどうして、部屋に来たんだ、場所は誰に聞いた?」
「従者に聞いたら、快く教えてくれました。それより、あの女性とは何もないのですね?」
「ない。出会ってすぐの女性とそんな関係になりようがない。ラジュリィの気にしすぎだ」
そもそも、何故にここまで責められなければならない。その理由はなんとなく察しがついていたが、それでも御堂には理不尽に思えた。
「……まぁ、よろしいです。ミドールは嘘をつきませんから」
それだけでも納得したのか、ラジュリィはすっと離れ、御堂に背を向けた。
「私だけがやきもきするだなんて、ずるいです」
「何か?」
「なんでもありません。講師ミドール、もう私は部屋に戻りますが、着いてきてくださいますか?」
「構わないが、どうして?」
御堂が聞く。踵を返したラジュリィが、少し不満そうな顔で答える。この男、何もわかっていない、そう言いたげな表情だった。
「講師ミドールが着いてきてくれないと、男子がつきまとってくるのです。男避けになってください」
それも講師にさせることはない気がしたが、これ以上、彼女の機嫌を損ねても良いことはない。仕方なく、御堂は少女の頼みを承諾したのだった。




