2.1.9 学院長
しばらく城の中を進むと、段々と学徒の姿が少なくなって行く。それまで豪華な飾りがされていた扉の装飾も、途中から地味なものに変わっていた。ゲヴィターが説明するまでもなく、ここから先は講師の領域ということが御堂にもわかる。
「こちらが、学院長室になります」
並んでいた扉の中でも、一際大きい両開き扉の前でゲヴィターが振り返った。
「ここから先は、ラジュリィ様のみご案内します。従者には待っていただく」
言われ、ローネとファルベスは一歩下がり、扉から離れた。それに習うように御堂もラジュリィから離れようとする。が、腕を掴まれてままで、それができない。
「ラジュリィさん?」
「ラジュリィ様?」
「あら、騎士ミドールも共に学院長へ挨拶するのは当然でしょう」
「そ、それはまかりませんよ! この男を学院長の前に通すなどできません……貴女の騎士であってもです!」
「おかしなことを言いますね講師ゲヴィター? ミドールは貴方と同じ講師になる身、ならば学院長にお目通しするのは自然なことでしょうに」
「や、し、しかし……」
至極当然だと主張するラジュリィに、ゲヴィターがなんとか諭そうと言葉を選んでいると、扉の中から一声がかけられた。扉越しの大声ではなく、魔術によって届けられた穏やかな声だった。
『何をしておる。早く新入生と新人を案内せぬか、ゲヴィター』
名指しで呼ばれ、ゲヴィターはぎりっと歯を鳴らして口を引き締めると、扉を開けて二人に入室を促した。御堂はラジュリィに引っ張られるように中へと入る。ゲヴィターに思い切り睨まれたが、目を逸らしてその視線を避けた。
中は白い大理石が敷き詰められた部屋だった。学院長の部屋なのだから、さぞ豪華絢爛な部屋なのだろうと御堂は予想していたが、豪華さを感じる要素はそれだけであった。あるのは、年季の入った家具に、何に使うのか御堂にはわからない実験道具のようなもの、古そうな書物が入った本棚程度だ。
その部屋の主は、講師と同じ紺色のローブを着た老人だった。その老人は、少女に腕を引かれる御堂を見て、しわくちゃな相貌に笑みを浮かべている。頭に乗せている大きなとんがり帽子のつばを手で上げると、二人に目を合わせた。
その瞳は年相応のものではなく、若者のように生気で満ち溢れた輝きを持っていた。
「久しいな、ラジュリィ。以前に会ったのはもう六年前か、わしのことを憶えておるか」
「もちろんです、クラメット様。昔、魔術の一端について教えていただたこと、忘れることなどできません」
やっと御堂から離れ、スカートの端を摘まんで頭を下げるラジュリィ。クラメットと呼ばれた老人は、孫を見るように優しい目付きになった。
「あの可愛らしかった娘が、立派になったのう。ムカラドは元気か?」
「はい、父は我が領地にて、大いに腕を振るっております。変わりありません」
「相変わらずのようじゃな……さて」
それから、クラメットは御堂に目を向けて、じっと見据えた。品定めをしているような、見透かそうとしているような、そんな目付きだ。
「其方が、今代の授け人か。話はムカラドから聞いておる。名は確か、ミドールと言ったか、通名だそうじゃが……真の名は何という?」
「本名は御堂 るいと申します。こちらではただのミドールと呼ばれております。お見知りおきを……」
簡単に挨拶をして、深く腰を折ってみせる。老人は「ふむ」と呟いて、視線の険を抜いた。
「では、わしもそちらで呼ばせてもらおう。あちらの世界の名は、発音し難いことがままあるでな……ゲヴィター、其方は一度、退室してくれてよい。この者ともゆっくりと話がしてみたいのでな」
「……かしこまりました」
扉の側に立っていたゲヴィターは、退室を促されたことに不満そうな表情を隠さなかった。それを口には出さず、扉を僅かに開けて滑り出すように出て行く。
「すまんな、彼奴はどうにも、エルフと接する内に魔術至上主義者になってしまったようでな。其方に無礼を働いただろう」
「いえ、そんなことは――」
「はい、私の騎士を侮辱しましたので、少しお話をさせていただきました」
建前を言おうとしたのを遮って、ラジュリィが本当のことを言ってしまった。まずいだろうと思った御堂だったが、クラメットは「ははは!」と愉快そうに大声で笑った。御堂は、良く笑う快活なご老人だな、という印象を抱いた。
「良い良い、彼奴にはいい薬よ……さて、名乗りがまだだったな、授け人よ」
また柔らかい笑みに戻って、椅子から立ち上がった。老人は御堂が思っていたよりも背が高く、背筋もぴんとしていた。本当に年寄りかと疑えてしまう。
「わしはクラメット・ミーティロジ―・シズナル。この学院において、講師と学徒の面倒を見る立場ということになっておる。名ばかりじゃがな」
「名ばかりとは?」
ラジュリィが質問すると、クラメットは笑みを消して、もの悲しいという顔になった。
「其方も聞いたであろう、今の学院にいる学徒の評判を。見ただろう、鼻だけが伸びきった態度を。あれが、次代の領主や軍人になるというのだ。嘆かわしいことにな」
「クラメット様からお声かけをしないのですか?」
「したとも、だが、あやつらは聞かぬのさ、あるいは聞こえていないふりをする。罰則を与えたこともあった。それでも止めぬ。であれば学院から追い出すしかないが、そんなことをすれば、皇帝の足下で宮廷のすずめ連中が騒ぎ出す。不祥事とまで言い出すだろうな」
そう愚痴を漏らすように、疲れた様子で老人は話す。学院長自身、この学院の惨状を憂いているらしい。だが、周囲がその是正を許さないということだった。
「私からすれば、頭が硬い上に考えが古い人々の戯れ言だと思えますが」
「それでも貴族は貴族じゃ。そして、古い習わしに囚われているほどに古き貴族ほど、声が大きいのじゃよ」
「本当に、嘆かわしいことです……」
貴族の娘と貴族を預かる老人がする会話に、御堂は口を挟めずにいた。もっとも、挟む気もないし、この世界の国で起きているいざこざに首を突っ込むつもりもなかった。
「そこでじゃ、ミドールよ。其方に学院を変えてもらいたい、授け人である其方なら、なんとか出来よう」
なのだが、クラメットの方から御堂を巻き込みに来た。思わず「は?」と生返事をしてしまう。
「いえ、自分にそんな大層なことを期待されましても……」
突然の無茶なふりに、慌てて拒否を示す。が、老人の爛々とした瞳が御堂を見て離さない。
「いいや、この世界の人間ではない、ここでの常識に染まっておらず、だが破天荒さもない自制心を持つ其方こそ、この学院を救える救世主に成り得るのじゃ。わしの目に狂いは無い!」
「ええ……」
興奮すらし始めたクラメット。御堂はいつものようにラジュリィに助けを求める視線を向けた。が、
「流石はクラメット様です。ミドールの力をよくわかっていらっしゃいます……学院の長からそのように頼られるだなんて、私も主として誇らしいです」
「ら、ラジュリィさん?」
そんなことを言っている。主である少女が頼りにならない。御堂はほとほとに困ったと頭を掻いて、どう断れば角が立たないかなどと考え始める。だが、御堂が口を開く前に、クラメットは椅子に腰掛け直し、真顔になった。
「ま、それは冗談なのじゃが」
「は、はぁ……よかったです。本当に」
「じゃが、其方に期待していることは冗談ではないぞ、ミドールよ」
真剣な表情になると、クラメットは御堂とラジュリィに向けて話を始めた。
「この学院では、魔術の他にも魔道鎧の扱い方について学ばせる。だが如何せん、担当の講師が一月ほど前、事故にあってな。今は担当者が不在なのじゃよ」
「それは聞きました。学徒が野放しになっていると」
「うむ……そこで、其方にあやつらの手綱を握ってもらいたい。其方の鎧を扱う技術は、相当なものだと聞いておるでな。そうだろう?」
すでに御堂の活躍を聞いている彼は、確かめるように問う。
「はい、ある程度はできるつもりです」
「それでは、任せて良いな? ミドール」
「自分にできる範囲であれば、最善を尽くさせていただきます」
自身の目を真っ直ぐに見返している若者の返答に、学院長は満足気に頷いた。




