2.1.7 エルフの少女
同じ頃、学院にある教室の一つ。種族別に別けられた内、前期生のエルフが属しているクラス。段々状に並び、横に長く広がる机の、窓際にあたる場所にいる二人のエルフが、差し込む零れ日を浴びながら雑談に興じていた。
日の光を浴びて、金色と銀色の髪を艶やかにしている二人の少女。金色はトーラレル・アシカガ・イジン。共和国の辺境伯、イジン家が長女にして、同年のエルフ内でも特に優れた才女と名高い、エリート貴族である。
そんな彼女は、凜とした相貌に薄い笑みを浮かべて、幼馴染みである銀色の髪をした少女、テンジャル・ルマ・アノーブの話を聞いていた。
「ねぇ姉様、あの話はお聞きになって?」
「……あの話とは何?」
「もう、姉様も聞いているでしょう、新しくやってくる人間の講師の話ですよ」
「その講師が、どうかしたかい?」
昔から変わらず、俗世というか、学生がよくする噂話とか、そういう類に感心が薄いトーラレルの反応に、テンジャルは困ったお人だと頭を振った。
「良いですか姉様、一月前にも話しましたが、こういった共同生活の場においては、小さな噂話も聞き漏らしてはならないのです。でないと、周囲の話題に置いて行かれてしまいます」
「なるほど……情報収集は確かに軍務においても最重要だ。それを怠ってはならないということだね」
どこかずれた解釈をしているトーラレルに、テンジャルは溜め息を吐いた。間違ってはいないが、軍閥育ちの彼女は、少女らしい処世術もこういう認識の仕方をしてしまうのだ。
「私がいるから良いものの……一歩間違えば、姉様は一人きりになってしまいますわよ?」
「ああ、いつも感謝しているさ、テンジャルには」
そうして彼女がはにかむ。凜々しさと美しさ、それに少女特有のあどけなさも併せ持たせて絶妙なバランスの上に成り立っている美少女の笑みに、テンジャルはくらりとしそうになった。
「そ、それより姉様、その講師ですが、少し特別な人物のようなのです」
「というと? 人間にしては魔術に優れているだとか、そういう類?」
「いいえ、むしろ逆です。その人物はあの伝説の授け人らしいのですよ」
「授け人か……」
その単語を聞いて、トーラレルは笑みに陰りを見せた。彼女の“祝福されし名”である「アシカガ」は、数百年前にこの世界へと降り立った授け人から受け継がれた名前だった。
その人物、己を「武士」と名乗った男は、魔力がないにも関わらず、多くの武功を納め、エルフにもその力を認めさせた。共和国でも数少ない、授け人の英傑と呼ばれる人物なのである。
その子孫にあたるのがこの少女、トーラレルだった。しかし、彼女は少し複雑な気持ちになっていた。何故ならば、授け人は魔素を持たない者。昔ならともかく、今の共和国では、見下される存在である。
「しかも、帝国の辺境伯であるイセカー家の騎士でもあるそうですわ」
「へぇ、あのイセカー家か……」
その家のことは、当然ながらトーラレルも知っていた。自分のイジン家と同じく、聖国との国境線に接している領地で、その領主は優れた統治を行い、栄えさせているという。物理的な距離も、それほど離れていない。
「深海の真珠がいる家の騎士……だが、授け人か」
先祖と同郷の人物。興味はあるが、所詮は“魔無し”だ。全ての授け人が、先祖のような強者とは限らない。どうせ、伝説の存在だからという理由で騎士になった、取るに足らない人物だろう。
(伝説にあやかって、魔無しを騎士に仕立て上げるとは、あの家も落ちたものだね)
少し、ほんの少しだけ、イセカー家に落胆してしまった。自分の家の好敵手とも言える家が、伝説の存在というあやふやなものに頼るとは、情けないとすら思った。
「ですが姉様、魔無しと言えども授け人です。何かしらの術があって、この学院へ来るのでは?」
「テンジャルは余程に興味があるんだね、その新しい講師に」
「だって、魔術もなしにここに来ようだなんて、何かあるに決まってますわ!」
「だと、良いのだけどね」
もう関心も薄れてきたトーラレルが素っ気なく返すので、テンジャルは話題を別のことに変えようとした。そんなとき、僅かに離れた場所にいた男子グループの会話が、彼女たちの耳に入った。
「聞いたか、ジャルスとネーメス、西の街道で馬車にちょっかいだしたら、護衛の鎧に返り討ちにされたってよ」
それを聞いて、トーラレルの長い耳が、ぴくりと動いた。
(西の街道、つまり帝国から来た馬車だ。それに、学徒とは言えどエルフの使う魔道鎧が?)
今し方、テンジャルが話していた事と、今の話が結びつく。トーラレルの脳内に、一つの仮説が浮かんだ。何か話そうとしたテンジャルを手で制して、その会話を聞くことにする。
三人組のエルフは周囲も憚らずお喋りを続けていたので、会話の内容を聞くには困らなかった。
「西つったら帝国側だろ? あいつら人間の魔道鎧に負けたのかよ」
「それがさ、その鎧はどの国のかわからない、変な奴だったって言ってるらしいんだよ。見たこともない速さで、気付いたら後ろを取られてたって」
「はぁ? “疾風”のイルガ・ルゥより速い鎧だったてのか? アホらしい」
「でも本当だったらやばいよな、イルガ・ルゥより強い鎧が帝国にあるだなんてなったら、人間が付け上がるぞ」
「どうせあの二人が遊びすぎただけだろ、共和国のよりも速くて強い魔道鎧があったら、疾風なんて呼べなくなって――」
「お、おい……」
あることに気付いた一人が制止すると、二人があっと窓際の方を見た。件の、疾風という二つ名がついた一等級魔道鎧の持ち主が、微笑みを浮かべて、こちらを見ている。
「ん? 僕のことは気にしないで、どうぞ雑談を続けてくれよ」
三人のエルフは血の気が引いた。イジン家は共和国でもトップに入る貴族で、しかも軍閥。自分たちのような木っ端貴族が失礼を働いたら、何をされるかわからない。
「あ、いやそのな」
「トーラレルの鎧を貶すつもりはなかったんだ……」
「そ、そうだ、もう次の講義が始まるぞ、行こうぜ」
その笑みに何か恐ろしさを感じた三人はしどろもどろに弁明すると、さっさと席を立って教室から出て行ってしまった。
「……別に、怒ってなどいなかったのだけれど」
「何を言いますか姉様! あの男子は姉様の鎧より強い鎧があるなどという戯れ言を口にしたのですよ! 不敬です! 許せません!」
「落ち着きなよテンジャル。僕の鎧は確かに強けど、聖国のものに比べて己が最強など、それこそ戯れ言になってしまうよ」
「ですが……」
それでも何か言おうとするテンジャルを「それよりもだ」と遮った。
「もし、先ほどのテンジャルの話と、今、彼らが話していた魔道鎧の話が繋がっていたら、どう思う?」
「どう、と言いましても……我らエルフの鎧を負かせたのが、授け人の鎧だと? しかし魔無しが魔道鎧を使うだなんて、ありえませんわ」
魔素によって成形され、魔素によって操作する魔道鎧は、魔素を操れる魔術師にしか扱えない兵器だ。それも優れた者でないと扱えない。大型の人型をした杖とでも言うべき存在である。
それを、魔無しである授け人が使えるだなんて、エルフである彼女には想像もつかなかった。だが、魔無しでも強者であった先祖を持つトーラレルは、違う考えを持っていた。
「しかし、授け人は我々の常識から外れた存在だよ。魔素がなくても魔道鎧を動かせるかもしれない。そんな存在が、講師としてこの学院にやってきたのだとしたら……」
「だとしたら?」
聞かれ、トーラレルは獰猛な笑みを浮かべた。それは彼女の先祖が名乗った「武士」らしいとも言える、そんな表情だった。
「とても、面白いことだとは思わない?」




