2.1.3 旅の道中
旅路は順調であった。三つの乗り物が簡単に整備された街道を進む。先頭を御堂のネメスィが、その左斜め後方に駆竜が引く幌馬車が、そのまた右斜め後方に茶色いウクリェが続く。
「しかし、ファルベスも来ることになるのは聞いていなかったな」
『直前になって、ブルーロ様からラジュ姉様に着いていくように言われたのよ。慌てて準備したんだから』
茶色のウクリェに乗っているのは、イセカー領の従騎士で、騎士ブルーロの部下でもある少女、ファルベス・アルベンであった。
彼女は城に残ることになっていたのだが、急遽、上司であるブルーロから「ラジュリィ様とミドール殿を支えるのだ」と命令を受けた。なので、こうして学院への旅に同行しているのである。
その話を聞いた御堂は「ブルーロめ、俺にも言わずに」とこぼした。
御堂とブルーロは同じ騎士階級であり、初めて城にやってきたときから付き合いのある仲だった。だが、御堂はちょくちょく、あの禿頭の騎士からこうした不意打ちを受けるのだ。今回もその類であった。
『私がいると、何か不満?』
「いや、そんなことはないが……城の守りは大丈夫なのかと思ってな、先月、あのようなことがあったばかりだと言うのに、ファルベスが抜けるのは痛手だろう」
『あら、ミドール殿は随分と私をかってくれているのね』
御堂の言葉に、少女はくすりと笑みをこぼす。ファルベスは御堂に対して、初めて会ったときのような棘っぽい態度を完全に軟化させていた。むしろ馴れ馴れしいくらいだった。
『でも心配することはないわ。ミドール殿が指南してくれたおかげで、城のみんなは強くなれたもの。新しく術士になった者もいて、数は揃えられたし、あのときみたいなことにはならないわよ』
実際、御堂がここ一ヶ月で魔道鎧を操る術士や、警備の兵士たちに教えた技術は、この世界においては相当にハイレベルなものだった。新たな概念による訓練も取り入れた結果、統制もより強くなっている。早々、賊に後れを取ることはないだろう。
もっとも御堂からしてみれば、ただ自分がしていた訓練方法を教官側の立場になって考え、実践しただけに過ぎない。
「そうか、それなら良いのだが……」
なので、御堂はあの程度の訓練で城の守りが万全になったとは思えていなかった。御堂の返事に不安感のニュアンスを感じたファルベスは、少しむっとなった。
『私の仲間たちがそんなに心配? 言っておくけれど、全員でかかればミドール殿から一本は取れるくらいにはなったんですからね』
「全員でかかってか……」
それはそれでどうなんだ、と御堂は思ったが、AMWと魔道鎧の彼我性能差を考えれば、それでも上等かもしれない。なので口には出さずに詫びた。
「すまない、ファルベスや城の術士を貶める気はなかった。ただ、親心のようなものがわいただけなんだ」
『ん、なら許すわ。それだけミドール殿が生徒を大切にしているということだもの』
ウクリェの中でファルベスはころころと笑った。一方で、御堂は自分の発言に溜め息を吐きそうになっていた。
(何が親心だ……あの城に思い入れができてしまったようじゃないか)
元の世界へ戻ろうとしている者が抱いて良い感情ではない。自戒しなければならないなと御堂は頭を振った。
『それよりミドール殿、この間の――』
そんな御堂の心情を知らないファルベスは、無邪気に先日の戦闘指南について話を始めた。たわいの無い雑談に応じながら、御堂は昨晩の夢の内容を思い出していた。
(夢で言われた、すでに力を授けているとは、訓練や指南のことだろうな)
あの程度のことで“授け人”と呼ばれるのならば、それだけで良いだろうに、何故、あの声は自分にもっと多くを授けろと言うのか。
(そもそも、あの声はなんなんだ。神とか、そう言った類のものなのか?)
こちらが神だと勝手に思っているだけで、実際には悪魔だとか、物の怪だとか、そういう類の存在かもしれない、御堂はそんな考えを抱いた。
この世界の主な宗教形態は多神教だと御堂は聞いたので、神の一種という可能性も考えた。だが、それが神だとしても、この世界に争乱を起こすために異世界から人間を拉致してくる神など、崇められるものではない。
(……あの声のことは、一旦忘れよう。直接的に干渉してくるわけでもない。ただ、寝覚めが悪くなるだけだ)
『ちょっとミドール殿、話を聞いてた?』
「ああ、すまないファルベス。少し考え事をしていた」
『良くないわよ、そういうの』
その声音が不満そうなものになっていたので、御堂は再度「すまない」と謝罪した。そして、改めてファルベスの話を聞こうと会話を切り出したのだった。
一方、ローネが手綱を持つ駆竜が引く馬車の中。ラジュリィは不機嫌になって、その美しい相貌を歪めていた。その原因は、自分の頭上を通して行われている、思い人と妹分の従騎士がしている会話である。
(やはり、ちょっと距離が近すぎるのではなくて……?)
どうにも、ファルベスと御堂の間での距離感が、自分と御堂のそれより近く感じるのだ。男嫌いだったファルベスが、上司であるブルーロ以外の異性とあんなに親しげするなど、これまでなかった。御堂の方も、ラジュリィ以外にする、素の態度を取っている。
(私の頑張りが足りないのでしょうか……)
ここ一ヶ月、ラジュリィは様々な手で御堂にアタックをかけていた。手料理を振る舞ったり、裁縫をして御堂のための私服を作ったり、魔術について話したり、色々なアプローチをした。
しかし、その努力も虚しく、未だに恋人らしいことの一つもできていないのだ。まだ二人は恋人の関係ではないのだが、ラジュリィはそういうことをしても良い関係と一方的に認識している。
それが、あの城での騒ぎ以来、手も繋げていないのである。だというのに、妹として、従騎士として見ていた者は、訓練として御堂と手を繋いだりしちゃっているのである。
「……騎士ミドールはファルのような子が好みなのでしょうか」
ファルベス、自分の一つ年下の妹分が、訓練を通してあんなに御堂と親密になっている(ように、ラジュリィからは見えた)。これは由々しき事態であった。城を襲撃されたときと同じくらいの緊急事態である。
「ローネはどう思いますか? 騎士ミドールとファルの関係について」
ラジュリィは、自分より二つ年上で幼馴染みの従者に意見を乞うた。ローネは前を向いたままで、主からされるいつもの質問にどう答えるか、少しだけ考える。
「聞こえる会話に恋仲と思われる要素はないですし、問題ないのでは? 普段通りですよ」
「いいえ、ファルは間違いなく騎士ミドールを好いています。隙あらば私から奪おうとしているのかも……これは裏切りです……許されることではありません」
そう決めつけて、膝の上で両手を握り締めるラジュリィ。
「あれはミドール様を師として見ているだけでは……」
ローネは呆れ半分で、被害妄想を始めたラジュリィを諭そうとする。しかし、この少女は疑り深く、一度そうなのではと思ったら、止まらないところがあった。
「ファルはああ見えても、一端の戦士です。敵を欺くために本心を隠し、最後の最後で正体を現して勝ち筋を得る……そうに違いありません……あとでファルとはお話をしなければなりませんね……」
ラジュリィの言葉は、ローネとの会話から、ぶつぶつとした独り言に変化していた。
(……ファルもかわいそうに)
恋というものを知って以来、時折こうして非常に面倒臭くなる主を、ファルベスのために大人しくさせる方法がないかと考えながら、ローネは少しげんなりした気分になった。これもあの授け人、御堂がやってきたせいである。ローネ自身も、彼のことは悪くは思っていない。それでも、
「深海の真珠をこうしてしまった責任は、取っていただかないと」
馬車の前を行く白い鎧を見上げて、そう呟かずにはいられないのだった。




