1.4.5 顛末
ラヴィオと生き残った部下が数人は、外套を脱ぎ捨てて城下町へと向かっていた。街の住民と似たような格好をし、数日前から用意していた荷馬車を引く彼らを誰何をする兵はいなかった。
授け人の魔道鎧が出てきた時点で、作戦が完全に失敗したと判断したラヴィオは、部下に合図を送った。そして素早く撤収したのだ。
「手痛い被害でしたな」
荷馬車の上、座席に腰掛ける部下が、街に隠れていた部下が連れてきた馬を引くラヴィオに言う。そこに嫌みは含まれていなかったが、ラヴィオは不快感を覚えていた。この部下に対してではなく、一つも段取り通りにいかなかった作戦にである。
一度目の拉致が失敗した為に生じた、急な任務だった。だが、できる限りの手筈は整え、優れた部下も揃えた上での襲撃であった。だというのに、成果と言える成果は挙げられなかった。それもこれも、授け人というイレギュラーがあったからである。ラヴィオはそう考えていた。
(しかも、その厄介者を殺しそびれたとはな)
あのとき、御堂に与えた毒は、ラヴィオの持ちうる限りで一番の猛毒だ。それで仕留め損ねたとなると、あの授け人が何らかの対抗手段を持っていた。あるいは、イセカー家に伝わるという秘術が使われたと見るべきだろう。
「だが、収穫が無いというわけでもない」
「さようですか?」
「そう思わなければ、死んだ奴らが浮かばれん。授け人に関する情報だけでも、あの姫巫女様は喜んでくださるさ、何せ、自分が呼び出した存在の能力を知ることができるのだからな」
ラヴィオは考える。部下を打ち倒したあの武器の性能は、最近、帝国で形になったと聞いた「銃」の特性とそっくりだった。写し絵で見たよりも、かなり小さかったが、似たようなものだろう。同時に、あれが授け人の持ち込んだ武器であるならば、この世界で修復、模造は困難を極める。あそこで叩き切れただけでも、良しとできる。
考え込む上司に、部下はやれやれと頭を振った。部隊単位の損得勘定はこの部下の役目だ。この上司はどうにも、武人気質が過ぎるところがある。
「上はそれだけで黙りますかな、対象の拉致も出来ず、精鋭も死んでしまった。魔道鎧も城一つ分が破壊されていますが?」
「ふん、黙らなければ、黙らせるだけだ。姫巫女様に口答えできるだけ気丈な者をそうするのは、惜しい気もするがな」
「おお、恐ろしや……」
こう言ったら、ラヴィオは実際にそうするだろう。暗部の一部隊の隊長としては、この男が持つ力は強すぎる。密かに消されかけたことも幾度とあったが、どれも失敗している。結果、聖国は立場と役割、それに見合った報酬を与えて、飼い慣らすことにしたのだ。
「して、あの授け人、どれほどの力でしたか?」
「志は高く、戦い慣れている。だが、魔術を使えない。武器と鎧が無ければ、凡愚と見えたな。イセカー家の娘の方が、余程に脅威だった。俺の魔術を、触媒なしで止めてみせたのだからな」
「それはまた……手に入らぬのが惜しいですな」
「ああ、良い“材料”になっただろうにな。あの娘が捕まらぬせいで、何人が替わりの贄にされるのか、考えると哀れで仕方ない」
ラヴィオは陰惨な笑みを浮かべる。部下も低い笑い声を出した。彼らはすでに、この領地から逃げ切れることを確信していた。そのための手段は用意してあるし、逃走経路の安全も、まだ伏せている部下が確保している。それに、人を隠すなら人混みの中。雑多に人々が歩く街中に紛れ込んだ荷馬車から賊を見つけ出すなど、困難を極めた。
街中を進む荷馬車の上、ラヴィオは、一度だけ城を振り返った。
(しかし、俺の邪魔をしたことは、必ず後悔させてやるぞ。授け人……ミドール)
結果として、追撃に出た兵士たちは南の森を執拗に探索しており、北の城下町へと向かったラヴィオと部下たちは、まんまと逃げ果せたのであった。
***
御堂が牢から逃げ出した罪と、ラジュリィがそれを手助けした罪が不問に付されたのは、その活躍が認められたからである。そして翌日の朝、
「ミドールよ。もう一度だけ聞こう。我が城に残り、騎士になってくれまいか?」
昨晩の騒ぎの後始末。殺害された者の埋葬や、破壊された城の修復が忙しく、ムカラドの側には、兵も家臣もいなかった。そんながらんとした謁見の間で、ムカラドは御堂に訪ねた。
「それは命令でしょうか、領主様」
それだけ領主から信頼を得ているというのに、御堂は冗談めいた口調で返した。
「あまり苛めないでくれよ、これは願いであり、頼みだ。もう、其方を牢に入れるようなことはせぬ。二度も娘を救い、城と騎士たちの窮地も救ってくれた恩人だからな」
「自分は、己の責務を果たしただけです」
「……其方は本当に謙遜が過ぎる。それがミドールという人間なのかもしれんがな。では改めて礼を言わせて欲しい。感謝するぞ、ミドール。我が恩人よ」
言って、ムカラドは口元に微笑をたたえる。御堂は少し照れ臭そうにしてから、表情を整えると、ムカラドの顔を真っ直ぐ見据えた。
「領主様。その願いは、帰る場所がある自分には重すぎるものです。何度言われようとも、自分は元の世界へ帰る手段を探します。自分の手で」
その瞳には、強い意志がこもっていた。ムカラドは嘆息を吐いた。本当に、この男はこうと決めたら曲げようとしない、大した頑固者だと思った。その頑固さが、この戦士を生み出したのだとも思えた。なので、ムカラドはそれを否定しようとは思わなかった。
「其方の考えが変わらぬことはわかった。しかしだ、娘、ラジュリィの件がある。私も強く頼むしかないのだ」
「ラジュリィ様のことですか……」
それを出されると、御堂も弱くならざるを得ない。あの少女が自分に対して好意を抱いていることを知ってしまった。そして、それを悪く思っていない自分がいることも、自覚している。御堂は困ったように眉を曲げた。
「……私のような外の人間が、ラジュリィ様のような方から好意を抱かれるのは、好ましくないかと」
「いや、娘の目に間違いはない。だからこそ、秘術を使ってまで、其方を助けたのだろうからな」
「それは、状況から仕方のないことではなかったのでは? あそこに居たのが自分ではなくオーランやブルーロでも、同じことをしたでしょう」
ムカラドは、微笑みを苦笑に変える。そして、自身の前にいる、ものを知らない若い授け人に教えてやろうと思った。
「いいや、それはありえん。もし私が毒に犯されても、娘は秘術を使うことを良しとはせんだろう。何故だかわかるか?」
その問い掛けに、御堂は一つの答えを浮かべた。しかし、あまりにも身の程知らずで自惚れたものだったので、口を噤んだ。
「……その顔は、わかっているようだな? だが口に出すのは憚られると……」
あっさりと御堂の心中を看破したムカラドはその若さ、青々しさがおかしく思えて、くくくと低く笑った。
「良いか、あの秘術を使うということはだな――」
ラジュリィの父親であるムカラドから、答えを聞いた御堂は、自分の浮かべていたことが正解であったことを知り、更に羞恥の感情が湧いてきた。日本に居た頃も多少はモテたものだが、ここまで強い好意を受けたことはなかった。
「ですが、自分にはそれに応えると確約はできません」
その意味を知ってもなお、御堂は首を縦に振らない。ムカラドは思わず「頑固者め」と呟いた。
「この場ですぐに拒否はしません。少し考える時間を頂きたいのですが、よろしいでしょうか」
「うむ……」
流石に、それはならんと止めることは、もうしなかった。ただ静かな口調で、自分を真っ直ぐ見る御堂に告げる。
「ここに残ってくれれば、私は嬉しく思うが、其方がどうしてもと言うならばもう止めはしない。あれだけの力を持っているのだ。良く考え、己の利になるように行動する権利を持っているよ。其方は」
「で、ありますか」
「恩人にして若き授け人よ。後悔を無くすことはできんが、それでも、己の選択に後悔が少ないようにするのだな」
言って、ムカラドは席を立つ。そして御堂の肩を一度叩いて、謁見の間から去っていたのだった。




