1.1.3 現状認識
御堂は森から抜けるに際して、ラジュリィをどう扱うかに迷った。機密の問題上、コクピットに入れるわけにはいかない。それにこの機体は、人命救助用の副座などは用意されていないのだ。
だが、ラジュリィは特に躊躇いもしないで、跪いている白い機体の掌に腰掛けてみせた。
「どうしたのですか、騎士ミドール? 私が案内しますから、早く行きましょう」
「……まぁ、良いか」
先ほどのAMWらしきものからして、この異世界とやらにはあの手の兵器が普通に存在するようだ。彼女は普段からそれに接しているらしい。
普通、八メートルもある巨大な兵器に乗るなど、多少は戸惑うものだ。それなのに、彼女は自分から巨人の腕に座った。
であれば、この少女は普段からこうして移動しているのではないだろうか?
(本当に、異世界だっていうのか?)
これが通常の移動手段だと言うのなら、車も電車もないのかもしれない。そんなこと、地球ではジャングルの奥地かサバンナか。その類いの極限地帯でなければあり得ない。
頭に浮かべている推測から、ますます彼女の語った話が正しいということを裏付けているように感じてしまう。御堂はその感覚を否定するように首を振った。
「馬鹿馬鹿しい……」
「騎士ミドール?」
「今、行きますよ!」
まだ、これが壮大などっきり企画の撮影という可能性もなくはないのだ。異世界に飛ばされたなんて話よりも、その方がよほど現実味がある。そう思いたかった。
御堂は愛機の装甲を軽やかに登ると、コクピットに身体を滑り込ませた。操作用のヘッドマウントディスプレイ、ヘルメットを被る。AIが網膜認識を完了させ、御堂を主と認識すると、機体が動き出した。
手に乗っている民間人に配慮して、ゆっくりと機体を起こす。そして完全に立ち上げると、御堂は機体のカメラでラジュリィの様子をそっと観察した。
掌の指に片手を添えて掴まっている彼女は、そこからの眺めを楽しんでいるように見えた。集音装置が、彼女の呟きを拾う。
『まぁ……父上は、こうしたことをさせてくれないから……遠くまで見える』
その声音からは、高所や不安定な腰掛けに対する不安など、一切なさそうだった。視線を巡らせると、確かに、樹木の上にある視界から、様々なものが見えた。遠くには青白い山脈がある。これは、日本の地形ではない。
「……お気楽なことだ」
嫌なものを見てしまった気分になった。その感情を濁すように言ってから、御堂は外部音声を入れた。
「イセカーさん。目的地はどちらです?」
『はい、ここから南の方角。今、この鎧が向いているの方向へ真っ直ぐ進んでください』
「わかりました。真っ直ぐですね」
一応、方角を確かめるために、地形レーダーやGPSマップを起動させてみた。前者は地形情報がロストしていて、センサー頼りの危なっかしさで地形を描写している。後者に至っては、オフラインの文字しか写らない。
物証が一つずつ揃っていき、ここが異世界だという現実が証明されている気がして、嫌気が指した。
(まったく、まだ夢の続きなんじゃないか)
念じる。静かに、機体が歩き始めた。
***
機体を歩かせること十分ほどで森林地帯を抜ける。その先で、御堂はここが少なくとも日本ではないことを証明する証拠を突き付けられた。大きな、中世ヨーロッパにでもあるような、石造りの立派な城が見えたのだ。
その周囲にはこれもまた中世染みた町並みが広がっている。そこから農業地帯が伸び、森から出てきたところにまであるのだ。
遠目に馬や馬車、人らしき動くものが見えるが、自動車などの影は一切ない。
「……ここが別の世界だという話に嘘はないのか……冗談ではないな」
御堂は、おそらくはこの状況に陥る原因となった夢を思い出そうとした。しかし、どうしても極彩色と光しか浮かばない。何かに語りかけられていたような、そんな記憶も薄らとあるのだが、肝心の内容が記憶にない。
(ここが本当に異世界だとして、飛ばされた原因はなんだ? 俺はフォトンダイト採掘施設で、テロリストと戦って、それを終えて帰還するところだったはずだ)
夢の内容は思い出せないのに、その直前の記憶は簡単に思い起こせた。やはり、これはまだ夢の中なのではないか? そう疑って、御堂は己の左手の甲を、思い切り抓ってみた。
痛みが走る。ディスプレイ越しの視界に薄らと写される手の甲に、赤い痕が残った。痛覚があるということは、覚醒状態である。いささか子供染みた認識の仕方だった。それでも、御堂に現実を突き付けるには、充分であった。
「本当に冗談じゃない……」
『騎士ミドール、このまま街の中を直進していってください』
気付けば、もう麦畑帯を抜けて、あと少しで城下町に入るところだった。人混みの中を八メートルある機体で通るわけにはいかないと、普通に迂回しようと考えていた御堂は、呆気に取られた。
「人がいる中を?」
それこそ、機士からすれば冗談ではない。危険が過ぎる。だが、彼女は構わずに言う。
『大丈夫です。大通りならば、鎧でも問題なく進めます』
「……わかりました」
仕方が無いので、御堂はその指示に従うことにした。見える範囲で、城下町は城を中心に楕円形に広がっているように思えた。これを迂回するには、反対側に回るしかなさそうだったからだ。
「足下の動態検知を厳に、オートバランサの精度を上げろ」
《了解 アクティブセンサ オートバランサ 設定を高感度にセット》
AIに、万が一にでも生身の人間を踏み潰さないようにする調整を行わせてから、御堂は機体を街道へと入らせる。
町並みもまた、中世か近代のヨーロッパを思わせる作りだった。木材造りの二階建て建築が居並ぶ大通りを、白い巨人が闊歩する。それを見上げた住民たちは、慌てて巨人に道を譲った。
彼らの服装も、やはり建物と同じ年代のものだった。御堂が期待していた、スーツ姿のサラリーマンなどがこの中にいたら、さぞや浮いただろう。カメラが脇へと寄った住民たちの表情を捉える。その顔は不信感や不安感を表していた。
(当然だ。日本ですら、AMWが街中を歩いたら今でもこんな顔をされる)
そう考えていたが、住民たちの視線が、機体の手に乗ったラジュリィに移った。途端、彼らの表情が和らいだ。集音装置が音を拾う。
『なんでぇ、ラジュリィお嬢様の魔道鎧か』
『あんなものまで持ち出してお散歩なんて、お転婆が過ぎるわねぇ』
『乗ってるのは騎士様か?』
そんな会話が聞こえてくる。この手に乗っているラジュリィお嬢様とやらは、普段から城下町を出歩いているらしい。住民と顔馴染みになるほどに、随分と庶民的な貴族様だ。
『騎士ミドール。私の身に何が起きてああなったのか、今のうちにお話しておきたいのですが、お顔に私を近づけてくれませんか?』
「顔? ……ああ」
顔というのが、機体の頭部だと言うことを察して、御堂は慎重に腕部を操作した。視点がさらに高くなり、ラジュリィがアトラクションに乗っているかのように小さくはしゃぐ。
『これは住民には知られたくないのですが、城下町を散歩していたところを、私は不届き者に連れ攫われたのです』
「……でしょうね」
『しかし、私とて魔術師見習いの端くれ。隙を見て賊を打ち倒し、荷車から逃げ出したまでは良かったのですが』
「そこを、あの兵器に襲われたと」
『はい……まさか、あのような賊が魔道鎧を所持しているとは思わなかったのです。そして、窮地となった私を助けてくださったのが、貴方なのです。騎士ミドール』
「一つ、忠告させていただくなら、あまり身一つで城の外に出るべきではないと思いますよ。権力者の娘であるなら、なおさら」
『……もう、貴方まで父上や従者のようなことを言うのですね』
「それが大人というものです」
『私は二年前に元服を終えた大人です! 子供扱いしないでください!』
「わかりましたよ。それより、自分からも聞きたいことがあるのですが――」
『それは城の学士がしてくれます。私のような小娘から聞くよりも、余程良いでしょう』
少し拗ねた様子で言って、頬を膨らませているラジュリィ。御堂は少し失敗したなと反省した。
「申し訳ありません。自分の国では、元服はもっと歳を重ねた者が行うのです。自分の常識で物を語ったことを、許してください」
『……それなら、許します』
そうこう話をしている間に、御堂の機体は城門へと辿り着いた。歩哨の兵士が、白い巨人に槍を向けるが、その手にラジュリィの姿を認めると、戸惑いながらも矛を収めた。
(本当に、貴族様なんだな)
『さぁ、中庭にこの鎧を置ける場所がありますので、そこまで行きましょう。騎士ミドール』