1.3.10 拒絶
日に一度は扉が叩かれる。この部屋は本当に来客が多いなと思いながら、御堂は身を起こして、ベッドに腰掛けて客を迎える姿勢になった。
「誰だ?」
「ラジュリィです。少し、よろしいですか?」
訪ねてきたのは、自分が厄介な敵だと考えている少女だった。一応、立場を上としている相手だったので、ベッドから腰を浮かせる。
(先手を取られたか?)
中腰で身構えそうになったが、平常心を装う。ここで考えを悟られるのはまずい。御堂は「少しお待ちを」と返事をして扉を開けた。
そこには、先日と同じく寝間着姿のラジュリィが居た。従者も連れておらず、一人でやってきたらしい。親子揃って不用心が過ぎると、御堂はまた呆れた。
「今夜はどうしましたか、ラジュリィさん」
「少しお話がしたかったんです。駄目ですか?」
自分の顔を真っ直ぐな目で見上げる少女に、御堂は少しだけ警戒心を解きそうになった。貴族の娘ではなく、年相応の少女に見えたからだ。
(いや、油断するな、御堂 るい)
その考えを即座に消して、御堂は思案する。ここで無理に返すのは不自然であるし、警戒心を持たれかねない。一秒だけ考えた末、部屋に招き入れることにした。
「大丈夫ですよ、話というのは中でしますか?」
「はい、立ち話では、すぐに終わってしまいますから」
「わかりました。そちらにお掛けください。茶も出せませんが」
御堂に促され、嬉しそうに微笑を浮かべるラジュリィは、しかし椅子には座らなかった。それを無視して、ベッドに腰掛ける。御堂がそれを怪訝そうに見てから、ではと自分が椅子に座ろうとした。
「何をしているのですか騎士ミドール。こちらへ」
それを、自分の隣を手で叩いたラジュリィに止められた。その意図を掴みかねて「は?」と動きを止める御堂に不満を覚えたようで、少女は頬を膨らませた。
「もう、こちらへ来てくださいと言っているんです!」
戸惑う御堂の手を取ると、強引に引っ張る。どう対処すべきか困惑していた御堂は、大人しくベッドに座らされてしまった。彼女の力が思っていたよりも強いのもあった。御堂の隣にラジュリィが座り、満足そうな笑みをして、擦り寄ってくる。
「あの、ラジュリィさん。これはどういう……」
「騎士ミドールのすぐ側で、お話がしたかったのです」
「しかし、異性とこのようなことをするのは、貴族の娘としてどうかと思うのですが」
「良いではないですか、自分の騎士に、身内になる人間と近く接しても、誰も文句は言えませんよ」
そんなことを笑顔で言う彼女を見て、御堂は首を振った。まるで、本当に自分に対して恋慕を覚えているように見えるが、彼女は権力者の子女である。これもおそらくは計算の内だろうと御堂は推測する。
(流されてはいけない。それに、相手は十六歳の子供だぞ。意識することなどない)
あえて、ラジュリィに視線を向けず、前を向いたままにする。少し失礼をしている気もしたが、彼女がそれを咎めることをせず、会話を切り出した。
「騎士ミドール。本日の稽古の様子、私も見ていましたよ」
「そうなのですか、兵に教えるには、拙い技を見せてしまったかと」
「とんでもない。貴方の強さをまた垣間見れて、嬉しかったですよ。術士たちにも、良い刺激になったことでしょう。明日もまた、稽古をつけてあげてください」
「……明日ですか」
明日、それは城からの脱出を図るタイミングの候補だった。そこで御堂は思考を始めて一瞬、会話を止めてしまった。何事かを考える御堂の横顔を見て、ラジュリィはその心中を目敏く見抜いた。
「明日、何かあるのですか?」
口元に微笑みを湛えたまま、目がすっと細まった。彼女の方を見ていない御堂は、それに気付かない。
「いえ、この指南役はいつまで続けることになるのかと思いまして」
「それは勿論、騎士ミドールがこの城にいる限り、続けるのですよ。それが貴方のこの世界での役割です。違いますか?」
「自分には、別の世界で、別の役割があります。それを放棄するわけにはいきません。その役割を頂くには、自分は相応しくないかと」
「もう、騎士ミドールは本当に、責任感が強いのですね。そこが良いところでもありますが、煩わしくも思えます」
切なそうな口調で話ながら、御堂の腕に手を回し、抱きしめるように身を寄せる。御堂はぎょっとして、ラジュリィの方を見た。口から「年頃の娘が異性にして良いことではない」と言葉を出そうとするが、それより先に、少女が小さく可憐な口を開く。
「騎士ミドール。何度か伝えましたが、私は貴方が欲しいのです。騎士としても、男性としても、側にいて欲しい。支えて欲しい。力になって欲しい。私に甘えて欲しい。そして、私と共に生きて欲しいのです」
それはもう告白であった。そこまでする彼女に、御堂はこれも貴族の意地かと誤解した。
「……お戯れを」
演技にしても力が入りすぎている。御堂はやんわりとラジュリィの腕を外そうとした。だが、少女はより一層に力を込めて、放すまいとする。御堂は溜め息を吐きそうになった。これ以上、少女の恋愛ごっこめいた誘導尋問に付き合うメリットはないのだ。会話を切り上げようとする。
「ラジュリィさん。これ以上は、冗談では済まなくなります。離れてください」
少女の顔を至近距離から見下ろして、脅すような、低い声を出して促す。が、深海の真珠と謳われるほどに整った少女の表情は、むしろ決意を固めたようになった。
「冗談などではありません! 私は騎士ミドールを、お慕いしております……貴方に奪われるのならば、本望です……!」
その瞳には、確かな熱があった。御堂は、その容姿から過去、日本に居た頃にも似たような視線を女性から向けられたことがある。故に、気付いてしまった。
(……ああ)
この少女の心中が、想いが、この段階になってやっとわかったのだ。そして、自分を抑えようとする意図も理由も察した。損得勘定もない。利益不利益でもない。立場からよるものでもない。ただの私情で、自分はこの少女から妨害を受けていたのだ。
御堂は何故だか、馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「……ラジュリィさん。もう、いい加減にしませんか?」
「いい加減とは?」
「自分は、貴女にどれだけ想いを寄せられようと、元の世界、地球へ、日本に帰ります。自分には、やらなければならないことがある。ご理解いただけないなら、無理にでも去らせてもらいます」
それを聞いた途端に、ラジュリィの笑みが消失した。能面のように無感情な顔と瞳が、御堂を見つめる。それでも、御堂は怯まず、諭しにかかった。
「ラジュリィさんのそれは、一貫性のものです。自分のような余所者に向けるべきではない。お互い、不利益が生じてしまう。貴族の娘なら、わかるでしょう?」
「……わかりません。そんなこと、わかりたくもありません」
気付かぬ内に、腕から手を外したラジュリィは、御堂から身を離し、立ち上がった。先ほどとは逆に、少女が御堂を見下ろす。その瞳には、情念の煮詰まったようなものが渦巻いていた。十六の子供がするような目ではない。御堂の背筋に、冷たいものが落ちた。
「騎士ミドール。貴方は、私を拒絶するのですね?」
それでも、御堂は告げる。
「それが、両方のためになります」
「……わかりました」
ラジュリィは背を向けて、ゆっくりとした足取りで半開きにしていた扉まで行き、部屋から出て行く。そして、扉を後ろ手に閉める直前に。
「……諦めませんよ」
そう小さく、しかし御堂にしっかり聞こえるように宣言し、去って行った。御堂は緊張が解けた気になって、息を吐いた。
(蛇に睨まれた蛙の気分とは、今のようなことを言うのか)
それから今のやり取りが致命的な失態だったことに気付いて頭を抱え、呟く。
「早まったか……」
この城から、一刻も早く逃げ出さなければならない理由が増えてしまった。今夜中にでも決行したかったが、夜の方が城の警備が厳しいことは知っていたので、諦めることにした。結果としてそうしたことが、功を奏するか、それとも致命的な過ちとなるのか、今の御堂には予測できなかった。




