1.3.7 鎖
その晩のこと。御堂は自室で椅子に座り、どうしたものかと頭を抱えていた。どうすれば、波風立たせずにファルベスの頼みを断れるか考えていた。だが、良い案が思いつかないのである。
(何せ、あの年頃の娘というのは、正論だけでは絶対に納得してくれないからな……)
正論、つまり御堂の事情やらを話して断るのだけならば簡単だ。しかし、それで彼女たちを納得させられるか考えると、間違いなく揉める。もしくはこちらが承諾するまで、しつこく食い下がられることが簡単に予想できた。そのどちらも避ける良い方法はないだろうか、頭を悩ませる。
「どうしたものかな……」
そのおり、部屋のドアがノックされた。
「ミドール殿、少しよろしいか」
声で相手がブルーロだと察した御堂は、席を立ってドアを開けた。そこには、禿頭にいつもの白衣をまとった男、ブルーロと、背が高く体格のよい男、オーランが立っていた。その二人の組み合わせから共通することを思い浮かべ、御堂は間違いなく昼間の模擬戦についての話だと悟った。
「模擬戦でのことか?」
「流石はミドール殿。察しがよろしいですな、中で話しても?」
「ああ、構わない」
二人を部屋に招き入れてからドアを閉めて、振り返る。改めて見ると、二人とも少し難しそうな顔をしていた。
「何か俺に話が?」
「ああ、その通りだ。ミドール殿、ファルベスのことなんだが……」
「やはりそのことか……まずはオーランに謝らせてくれ、自分の配慮が不足して、君の娘にまで恥をかかせてしまった。本当に申し訳ない」
言って、頭を深く下げた御堂に、オーランは慌てた。
「いやいや、あれは俺の娘が未熟だったからだ。しかも聞けば、それについて諭してくれたそうじゃないか。むしろ、娘が無礼を働いてすまなかった」
「お互いに謝罪は程々にしておきましょう、話が進みませんのでな」
頭を下げ合っている二人に、ブルーロが割って言う。
「悪いブルーロ、それで、改まって何の用事だ?」
「それなんだが、ミドール殿。ファルベスがしたという願い、聞いてやってはくれないか?」
「戦闘の技術を教えるという話か? しかしな……」
御堂は考えるように顎に手をやって悩むふりをした。断るという結論はすでに出ているので、それを曲げようとは思っていないのだ。
「そもそも、父親として、俺のような余所者などに娘を任せて良いのか?」
「ファルベスは、俺には勿体ないくらい良く出来た娘なんだ。それが、もっと強く育てられると聞けば、是非もない。ブルーロ殿もお認めになっていることだ」
「ブルーロも?」
彼女の本来の指南役であるはずの彼が、他人に生徒の教育を許す。それが御堂には少し信じられない。そういう意味を含んだ視線を向けたが、ブルーロは肩を竦めてみせるだけだった。
「良いのか、教え子なんだろう?」
「私も正直、あれの教育には悩むところがありましてな……剣術はしっかりと教え込んでいたはずが、ミドール殿には全く通用しなかった。これは、教え役としては恥ずべきことです」
「この世界では、あのような剣術が一般的なのだろう。俺の知る剣術とは違ったし、偶然、対応する術があっただけだ」
「ですが、私の教えた剣術で負けさせてしまったのです。その私が、ファルベスがミドール殿に教えを乞いたいと言うのを、どうして叱れるでしょうか」
「だがな……俺は遠くない内に……」
「この地から去ると? ムカラド様やラジュリィ様も仰られたと思いますが、それはあまり勧められませんな」
「……そこまで、俺の力は魅力的か?」
「力、品性、能力、どれも魅力的な御仁でありますがね。聞いたかも知れませんが、授け人が帰れたという記録は一つもないのです。私としては、好ましく思えるお方が、無謀な旅に出ることを止めたいと考えています」
「帰れたから残っていない。というのはないか?」
「もしかしたら、あるかもしれませんがな。少なくともここ数百年、記録というものがつけられるようになってからは、いないのです」
「ミドール殿がそこまで帰りたがるのもわかる。その帰るまでの短い間だけでも良いんだ。どうか、娘に稽古をつけてはくれないか。あいつの願いを、叶えてやってほしい」
会話に入ってきたオーランが、先ほどより深く、腰を折って頭を下げる。ブルーロはそうはしないものの、無言で、御堂に対して何か期待するような視線を向けてきている。二人の男、父親と講師に頼み込まれて、御堂は深い溜め息を吐いた。
「……わかった。俺がここから去るまでの間だけだ。それも、教えられることはあまり多くない。それでも良ければ、引き受けよう」
根負けする形になった御堂は、不機嫌さを隠さずに了承の言葉を口にした。それでも、顔を上げたオーランは気難しそうな顔を破顔させ、ブルーロも、どこかほっと安堵したような表情を浮かべた。
「いやはや、そう言って頂けてよかった。もし断られたら、どうしようかと」
「そこまで、重要だったのか?」
「ああいや、お気になさらず、こちらの話ですので……それでは、明日の朝から、よろしくお願いしますぞ」
ブルーロは少し口を滑らしたという顔をしたが、すぐにいつもの微笑を戻し、オーランを連れ添って部屋から出て行った。
その背中を見送った御堂は、最後の言葉の意味が胸に引っ掛かったが、推測しようにも材料が足りない。とりあえず、引き受けてしまったことは仕方がないので、明日、どうやって稽古とやらをつけるかを考えることにしたのだった。
***
御堂の部屋から離れた通路で、オーランと別れたブルーロは、薄暗い通路で自分の主でもある人物に、先ほどの会話の結果について報告していた。
「ミドール殿は、快くとは行きませんが、あの件を受けてくださりました。ラジュリィ様の思惑通り、事は進むかと」
話している相手は、寝間着姿のラジュリィであった。後ろには、従者のローネが控えている。騎士からの報告を聞いた彼女は、嬉しそうに年相応の微笑みを浮かべて喜んだ。
「そうですか、それは大変よろしいです。これで、しばらくの間は、騎士ミドールは帰るための方法を探すことから、気が離れます。ファルに付きっきりになれば、時間的な余裕はなくなりますし、ファルを通じて、我々に愛着を持ってくれるかもしれません」
「でしょうな、しかしそれだけでは足りないのでは」
「足りない、というと?」
「ミドール殿を縛り付ける鎖は、一本でも多い方が良いだろうということです。私の方から手を回しますか?」
「……そうですね、お願いしましょうか」
ブルーロの提案を認めたラジュリィが手を振ると、禿頭の騎士は無言で礼をして去って行った。彼の後ろ姿が闇に消えて離れたのを確認したローネは、小さく嘆息した。
ファルベスが御堂に教えを乞いたいと言い出したのは偶然だが、そうなるように仕向ける予定はすでにあったのだ。従騎士が自分から言い出さなければ、ラジュリィから誘導をかけ、今と同じ状況に持ち込む。そういう算段だった。
今のところ、その計画は上手く行っているように見える。あの授け人は、自身が気付かない内に、蜘蛛の糸に絡め取られようとしているのだ。その蜘蛛であるラジュリィは、またうっとりとした表情をする。何も知らない人間が見れば、愛らしく見えるかもしれないが、その心中を知っているローネからすれば、恐ろしい捕食者の表情に思えた。
「ああ……騎士ミドール、このままゆっくりと、貴方の故郷への執着を取り除いてあげますからね……」
独り言を呟く主人を、従者は心配せざるを得なかった。こうなってしまえば、あとは彼女の思惑通りに事が運んで、あの授け人が諸々を諦めてくれることを祈るしかない。そうならなかったら――
(きっと、あの方かラジュリィ様、どちらかが破滅してしまう。いや、もしかしたら、両方かもしれない)
その嫌な予感が、ローネの心中から消えないのだった。




