1.3.6 頼み事
それから、機体を降りた御堂は、ざわめくギャラリーの声を尻目に、仰向けで倒れているウクリェの元へ駆け寄った。
「おい、大丈夫か?」
機体によじ登り、胴体正面、円形のコクピットハッチを叩いてみる。すると、がこっとハッチが動いた。開いた扉を押し上げて出てきたファルベスは、脳震盪を起こしているらしく、くらくらと頭を揺らしていた。
「すまないファルベス。君の剣術があまりに勢いがあったので、つい本気で反撃してしまった」
御堂はそんな言い訳をする。実際には、本気の半分も出していないのだが、フォローのつもりであった。言われた彼女は、ぐらつく頭を手で支え、気丈にも御堂を睨み付けた。
「ま、魔術を使うなんて卑怯よ……」
「そんなものは使っていないし、俺はそれを使えない」
「じゃあ、今のはなんだっていうの」
「合気と柔道の合わせ技だよ」
「……なにそれ」
説明が理解できないらしいファルベスに、御堂は噛み砕いて説明することにした。ここでいちゃもんをつけられるよりは、しっかりと説明した方が良いと思ったからだ。
「要は投げ技を使ったんだよ。相手の力を利用して、地面などに叩き付けることで威力を発揮する。そういう技だ」
「な、なるほどね……」
揺れる頭でもなんとか納得できたらしいファルベスが、限界だとばかりに搭乗口の縁に上半身を寝かせた。よほど、衝撃が強かったように見えて、御堂は心配した。
「大丈夫か? 兵たちに言って運んで貰うか?」
「いいえ、大丈夫。ただね……」
「ただ、なんだ?」
問いかけた御堂は、突っ伏すファルベスの肩が震えていることに気付いた。彼女は、嗚咽を堪えていた。その顔を他人に見られまいとしていることまでわかって、御堂はようやく察した。
武器を持った相手と素手で相対して、あまつさえ普通に勝ってしまった自分が、どれだけこの少女のプライドを傷つけたのかを。
(しまった……そこまで気が回らなかった。焦りから視野狭窄になっていたか)
己の目的を達成することばかりに気を取られて、深く考えられていなかった。御堂は、自分の失態に頭を掻いた。してしまったことは仕方がない。なんとか諭そうと口を回す。
「すまない、ファルベス。だが、俺と君とでは、経験に差がありすぎる。どれだけ才能があっても、培ったものがなければ無意味なんだ。それがわかっただけでも、収穫があったと思ってくれないか」
「騎士にとって、負けることはあってはならないことなのよ……それなのに、あんな呆気なく負けて、私……もうラジュ姉様の騎士になれなくなっちゃう……」
「負けられないのは実際の戦いにおいてだろう。これは模擬戦で、練習でもある。君だってブルーロのようなものから指導を受けて、そのときは負けただろう。それと今と、何の違いがある?」
ファルベスは顔を上げる。御堂を見るその目には涙を浮かべ、しかし気の強そうな形だけは変わらなかった。
「貴方との戦いは、実戦と変わらないのよ! 私にとっては、それだけ重要な勝負だったの!」
「それは、どういうことなんだ?」
自分のように賭けがあったならともかく、それがない彼女が何故、この模擬戦における勝ち負けに拘っている。御堂はそれがいまいちわからなかった。だが、次の言葉で、その理由もわかった。
「だって、バルバドを倒した貴方に勝てれば、ムカラド様もブルーロ様も、ラジュ姉様も、私を認めてくれるはずだったのよ……それなのに……」
最後は言葉にならず、再び突っ伏して、ついにファルベスは泣き出してしまった。御堂はどうしたものか、とまた髪を掻く。この年頃の少女がこういう感情を持っているのは、知識として理解できる。だが、それにどう対処すればいいのかまでは知らなかった。
「どうしたのファル、何を泣いているのですか?」
そこへ、御堂にとっての救世主がやってきた。ラジュリィが、身軽に機体に登り、ファルベスの側に座る。気付いたファルベスは、慌てて目元を擦り立ち上がった。が、まだふらつく様子で、見ていて危なっかしい。大きく揺れた身体を、御堂が咄嗟に支える。それを振り払う気力もないほどに、ファルベスは弱々しくなっていた。
「ら、ラジュ姉様……みっともない戦いをお見せしてしまい、申し訳なく……」
「いいえ、貴女は頑張りましたよ。見ていた皆も、そう思っています」
「でも、あんなあっさり負けてしまって……」
「そもそも、騎士ミドールのような正式の戦士に、まだ従騎士のファルが勝てると思う方が間違っているのでは? 勝とうとするあまり、相手の力を見誤った。そこだけは、貴女の落ち度ですよ、ファル」
「うっ……」
ラジュリィの正論に、ファルベスは更に肩を落とす。またじわりと涙が浮かんできた少女の頬に、小さい手が触れた。
「ですが、誰だって最初は未熟なのです。落ち度が全くない人間など、どれだけ歳を重ねたとしてもいないのです。だから、ファルが特別、酷い失敗をしたということでは、決してないのです。そうですよね、騎士ミドール?」
「ええ、自分から見れば、ファルベスはまだまだ若く未熟ですが、逆に言えば、これからずっと伸びる余地を残しているということです。その歳で魔道鎧を扱い、従騎士となれたのは、その伸び代が認められたからだと、自分は思います」
「さ、授け人殿……」
「大丈夫だ、ファルベス。君はこれからもっと学んで、もっと強くなれる。ラジュリィさんの騎士になるのは、それからだって、決して遅くないはずだ。そうだろう?」
至近距離にいる御堂の、真っ直ぐな視線を伴った言葉を受けて、ファルベスは思わず視線を逸らした。その頬が、若干赤くなっている。それに気付いたのはラジュリィだけであった。
(あら、この子ったら……)
妹分を見るラジュリィの目がすっと細くなったが、それには二人とも気付かなかった。
「授け人殿……いや、ミドール殿、私に技を教えてくれないかしら……」
「え、俺が? いやしかし……」
「お願い、私よりずっと強い貴方に教わることができれば、私も強くなれると思うの」
少女の潤んだ瞳で見上げられ、御堂は少し悩んだ。できれば断るべきだが、今さっき、偉そうなことを言ってしまった。その上で断るのは、中々に難しい。だが、御堂はなんとか理由をつける言葉を捻り出した。
「俺は遠くない内にここから去る。そんな者が、半端に戦い方を教えるわけにはいかない。だから」
「駄目なの……?」
ファルベスは何を思ったか、御堂に身を預けるようにもたれかかって、野戦服を掴んだ。これまでの彼女からは考えられない態度の軟化の仕方だった。御堂はそれに少し困惑する。
「少し、考えさせてくれないか。明日には返事をするから」
「明日ね? 聞きましたか、ラジュ姉様」
「ええ、確かに聞きました。優しい騎士ミドールのことですから、ファルのお願いを断りなんてしませんよ、良かったですね」
「いえ、もう決まったことのように言われても困るのですが……」
困ったように後頭部に手をやる御堂を見て微笑んでいるラジュリィだが、目元がまた笑っていない。ふと妹分に向ける視線が、絶対零度の冷たさを放っている。だが、ファルベスも御堂も、それには最後まで気付かなかった。
なお、このやり取りを聞こえずとも見ていた兵士たちは、
「あの男嫌いのファルベスが……」
「流石は授け人殿だな……ラジュリィ様に続いて」
「やはり、あの美貌は伊達じゃあないってことだな」
などとまた勝手に、静かに盛り上がっていた。後日から、御堂が影で「女殺しの授け人」と呼ばれるようになるのだが、それを御堂が知る機会は当分、先の話になる。




