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5.2.8 絡み合う陰謀

「くそっ、くそっ! 魔無し風情がよくも……!」


 自分の屋敷に戻ったボースハフは荒れていた。迎えた従者に水差しを投げつけ、御堂に不甲斐なく負けた三人を牢に入れさせてもなお、怒りは収まらない。


 その怒りを表現するように、自室の棚に載っていた豪奢な装飾品を殴り、割り、床にばら撒いている。まるで子供のような癇癪は精神の幼さを良く表しているが、それを見咎める者はこの屋敷にいない。


「下劣な人間よりも更に下劣な、魔術も使えない異邦人が……!」


 見下していた相手から逆に見下したように見られる。プライドの塊であるボースハフにとって、これ以上の屈辱はない。


 一通り装飾品を床にぶちまけ、怒りをぶつける先がなくなってようやく荒げていた呼吸を落ち着かせる。それから椅子にどさりと腰掛けた。

 あの生意気な忌々しい授け人をどうにかして害してやろうと考えるが、良い案が浮かばない。


 相手は共和国に属さない帝国の騎士である。帝国における騎士階級とはそれなりに高い身分であり、同時に国から正式に認められた立場の人物を指す。これに喧嘩を売るということは、最悪の場合は帝国に喧嘩を売るということになりかねない。


 そうならなくとも、騎士が属している領地の主人は確実に激怒する。たかだか人間の一貴族が怒ったところでボースハフはなんとも思わないが、それが上に伝われば面倒なことになるのは違いない。


 共和国と帝国は同盟関係であるため、その調和を崩そうとするのは国の方針に逆らうということになってしまうのだ。

 しかも、何の目的で共和国にいるのかもわかっていない。下手に突いて藪蛇になったら厄介なことになる。


 これが後ろ盾も何もないただの騎士ならば、排除してから知らぬ存ぜぬで押し通ることもできた。が、授け人の後ろには共和国でも有数の貴族であるイジン家がついている。


 ボースハフのラギュシ家も、貴族間の影響力ならばイジン家に遅れを取らない。しかし国からの信用と信頼の重さとなったら話は別である。


 後ろ暗い手段で大きくなった成り上がり貴族と、遥か昔より国に忠義を示し続けてきた旧家とでは、どうやっても前者に勝ち目はない。その状況でイジン家が客人と迎えた授け人を害して問題になったら、ボースハフの言い分など通るわけがない。


「古いだけで戦うことしか能のない奴らが……」


 元々、軍閥の辺境伯という立場から潔白主義とも言えるほど真っ当な貴族をしているイジン家は、それとはほぼ真逆のラギュシ家から見れば目の上のタンコブだった。


 彼の家は自身の力が及ぶ範囲内で悪事があればすぐに動くし、賄賂など通じもしない。

 イジン家の下についている家を先に取り込んで寝返らせる策も打っているが、遅々として進んでいない。全ての家を寝返らせるなど不可能に近いと思えた。


 だからこそ、イジン家の娘を奪ってしまえばと考えついたのだ。


「あの娘さえ手中に収めれば、あとはどうとでもなる……」


 家の長女ほど人質に相応しい存在はいない。長男など家を継ぐ者でなければ他所からの横槍は早々入らないし、何より女の方が脅しの道具に都合が良い。


 そう考えていたのだが、


「……こんばんは」


 突然、鈴が鳴ったような声がしてボースハフは「ひっ」と身を揺らした。声がした方、部屋の隅を見れば、そこには黒いフードを被った白い少女がいた。

 いつからそこにいたのか、どうやって部屋に入ってきたのか、最低限の魔術の知識があるボースハフでは見当もつかない。


「こ、これはこれは遣い殿、どうなさりましたかな?」


 この少女は、数年前からボースハフの後ろ盾となっているスポンサーから送られてきた使いだった。彼女がスポンサーの意思をボースハフに伝える役割を持っている。


 そしてそのスポンサーが求めてきたのは、イジン家の長女の身柄であった。

 自身の目的達成に必要な人材を渡すことに最初は渋っていたボースハフだったが、今まで以上の助力の機会をちらつかせられれば、断るわけにはいかなかった。


「貴方が、情けないところを見せたので……」


「ほっほ、お見苦しいところをお見せしましたな」


 口調は穏やかだが、目元はひくつき顔は苛立ちに染まっていた。このような小娘に貴族である自身が馬鹿にされるなど、この男が許容できるはずもない。

 それでも直接手を出したり罵倒の類をぶつけないのは、そのバックにいる存在が何よりも恐ろしいからだ。


「すぐにでもあの男を始末して、娘も手に入れて見せますので、しばしお待ちいただければと」


「……姫巫女様は、貴方だけでは不足と、判断しました」


 言葉からは感情の起伏も感じられない平坦な声だったが、裏に明確な見下しの感情が入っていることはボースハフにでもわかった。掴んでいた肘掛けの先端がぎしりと音をたてる。


「それは、私を軽んじたということで? 共和国で唯一、そちらに協力しているこの私を?」


「別に、貴方の代わりはいくらでもいる、と、姫巫女様は仰っています」


 遂にボースハフは椅子から勢いよく立ち上がった。吹き出した汗に塗れた顔は御堂を相手にした時よりも怒っており、今すぐにでも目の前にいる娘を縊り殺してやろうといきり立っている。


「この小娘っ、私が下手に出ていればよくも……!」


「……私に害を成すならば、相応の対応を、させていただきますが、よろしいですか?」


「ぬかせぇ!」


 杖も持っていない子供など素手でも痛めつけられる。そう考えたボースハフは我慢ならないと肥えた身体を揺らして少女目掛けて駆け出そうとした。

 だが小さな風の揺らぎが生じた直後、何かに気付いたようにその足を急停止させ、目の前で生じた現象に顔を青ざめさせた。


 自身と少女の間にある床が、音も前兆もなく円形に消失していた。それを成したであろう少女に視線を向けても、だらりと垂らした手に杖を持っている様子はない。唯一、魔術が行使されたことを示すように僅かな魔素の流れが感じられるだけだった。


「な、なにが……」


「次は、床の代わりに、貴方を、消します」


「ひいっ!」


 静かな死刑宣告を受け、ボースハフは腰を抜かした。少女が耳に聞こえない詠唱をしようとする。


「わ、わかった、謝罪しよう! 謝罪します! だからやめてくれぇ!」


 それが形を成す前にボースハフの命乞いが部屋に響いた。冷や汗と涙と鼻水を垂らす肥満男性のなんとも無様なことか、そんな感想も抱いていない無表情で少女は詠唱を止めた。


「別に、私は何を言われても、気にしません、任務の邪魔をしなければ」


「え、ええ勿論! 遣い殿の邪魔などしませんとも!」


「それなら、良かった、です……」


 ひとまず命は助かったとわかったボースハフは肩で息をして呼吸を整えようと必死になる。恐怖心が完全に消えず、整わない呼吸でぜひゅぜひゅと言っている男を無視して、少女は一方的に告げる。


「あの少女は、儀式の贄として、手に入れなければなりませんが、あの授け人がいる限り、貴方では、どうにもならないでしょう」


 イジン家の長女、トーラレル・アシカガ・イジンはエルフの中でも類稀なる才能の持ち主である。まだ若く経験も成長も足りていないが、それらが足りた時の能力は計り知れない。だからこそ、


「イセカー家の、長女と同様、姫巫女様の目的のために、必ず生きたまま捕らえる……そのために、私が手を貸すことに、なりました」


「そ、それはありがたいことですな……」


「あの授け人は、私が処理、します、貴方は、貴方の役割を全うして、ください」


「わかりました、それがあの方のお望みであれば……」


 ボースハフから肯定の言葉を聞いた少女は、また音もなく姿を消した。

 周囲を見渡し、人の気配もないことを確かめたボースハフは、よろよろと立ち上がって椅子に腰を預けた。


 もはや御堂や部下への怒りなど消え失せていた。それよりも巨大な死への恐怖から解放された安堵の方が大きい。

 なんとか落ち着こうと机に残っていた水差しを掴もうとするが、指が震えてしまいそれすらもままならないのだった。


 ***


(あの男の人が、授け人だった……)


 屋敷から離れる少女の脳裏に、一つ思い出されることがあった。

 自分に食事を与え、自分を不気味がる様子も見せず、普通の少女として扱ってきた相手は、少女の知る限りでこの世に三人しかない。

 一人は姫巫女、もう一人は上司である。それに数年ぶりに加わった男の顔が、印象深く心に残った。ふいに足を止め、数秒ほど何かを考えた少女は、


「……姫巫女様」


 ぽつりと、どこに向けてでもなく声を漏らした。周囲から見ればただ独り言を喋っているように見えるだろう。だが彼女は確かに何者かと会話をしていた。


「あの、授け人、邪魔を、させなければ、好きに……はい、わかりました……ありがとう、ございます」


 話し相手の返事を聞いた少女は、数年ぶりに薄い笑みを浮かべた。


2021/10/25

どうしても執筆時間を作れなかったため、次回更新は来週とさせていただきます。

度々の更新遅延をしてしまい、読者の皆様には申し訳ないと思っています。

しばしお待ちいただければ幸いです。

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