5.2.7 探りを入れた代償
「そも、最初聞いた話では、トーラレルの踊り相手を務めれば良かったはずでは?」
「それも必要なことだ。しかし相手は人間を嫌っている類の貴族故、それだけでは足りんかもしれん」
「武力を行使しないと言うのは」
「相手側の用意した舞台でならば問題ないに決まっておろう! 無闇矢鱈に暴れて威圧するのはいかんという意味だ!」
まとめれば結局のところ、ネメスィの力を用いて戦うことになることは確定事項のようだった。
(紛らわしい言い方をされたものだ)
後頭部にやっていた手を戻して、咳払いした御堂がこの後に必要な段取りについて話し出そうとした矢先、
「旦那様、よろしいでしょうか」
食堂に従者の女性がやってきてレジンスに一礼した。彼女から「お客様が参りまして」と、来客があった旨を伝えられる。
「誰がきた? 事前の連絡もなしにやってくる無礼者ならば、お引き取り願え」
「それが……いらしたのは」
言いづらそうに口籠った従者の様子で、レジンスは誰が訪れたのかを察した。普段御堂がするような大きい溜め息を長々と吐き出す。
「言わずともわかった、それは追い返すわけにもいかんな」
「レジンス様、もしかしなくとも」
「そういうことだ、ミドールの存在を察知して探りを入れにきたようだな……」
面倒なやつだ。ぼやいたレジンスが歩き出すのを見送ろうとした御堂だが、
「何をしているミドール、お前も来るのだ」
「いえ、しかし……」
「お前の存在を知られている時点で隠し立てする意味などない。むしろ見せ付けてしまえば良かろうよ」
依頼主にそう言われては仕方がないし、確かに敵を事前に知れる機会を逃す手はない。「さっさと来んか」と急かされて、御堂はレジンスの後に続いた。
***
端的に言えばやってきた貴族、『ボースハフ・スパイト・ラギュシ』は、本当に絵に描いたような悪徳貴族感を露わにしていた。
「ほっほ、ご機嫌麗しゅうな、レジンス殿」
良く肥えた腹を揺らして喋るボースハフに、レジンスは「はっ」と不機嫌さを隠さず鼻を鳴らした。それでも、油ぎった顔に貼り付いた笑みは崩れない。
「こちらは大切な客人をもてなすのに忙しかったんだがな」
「ほお、この私よりも大事な客人というのは……まさかそこの人間ではないでしょうな?」
ボースハフのじろりとした目が御堂に向けられる。御堂の方は取り合うつもりはないとばかりに視線を外していた。その態度が癪に触ったのか、
「随分と無礼な客人ですな、たかが人間がエルフに向けてそのような態度を取るとは……よろしければ、この無礼者をこちらで躾けて差し上げましょうか?」
嫌味ったらしい笑みを浮かべ、後ろに控える屈強な従者に何か指示しようとしたボースハフを「勝手な真似をするな」とレジンスが制した。
「余計なお節介だ。そもそも、こいつはお前程度に御せる男ではない」
「それはそれは、此奴が授け人だからですかな?」
そこまでの情報は得ていたらしい。意外でもなんでもないので、レジンスも御堂も驚きは見せない。
「知っていたか、ならばこいつに我らの常識は通用しないこともわかるだろう」
「ええ、理解しておりますとも……こいつが人間にも劣る“魔無し”という、特別下劣な存在であるということはね」
ほほほ、と嘲笑するボースハフが御堂を見て反応を伺うが、顔色一つ変えていない。
この手の輩は学院で嫌というほど相手にしたし、そうでなくともこの程度の挑発に乗るほど未熟な精神は持ち合わせていない。だが、隣にいたレジンスは顔を怒りで赤らめていた。
「……貴様、我が家の客人を愚弄し、我が家と所縁がある授け人を真正面から侮蔑するとは、叩き斬られたいか?」
「ほほ、そのようなことをすればどうなるか、わかっておりましょうに」
「少なくとも、我が娘を狙う薄汚い豚を一匹駆除できるな?」
言いながら魔素を集め始めたレジンスを、まずいと見た御堂が手で静止した。
「落ち着いてくださいレジンス様、自分は気にしておりません」
「だがな、こいつはお前だけでなく我が家までを貶したのだぞ」
「このくらいの低俗な口車に乗せられても利はありません、然るべき場で話をつけるべきかと」
言われ、少し頭に上った血が引いたらしい。魔素を霧散させてふんっと腕を組んで収まった。一方、策が見抜かれたのと遠回しに馬鹿にされたのだと気付いて、ボースハフの顔が怒りに染まった。
「私が言葉を低俗と申しましたかな?」
「如何にも、貴族ともあろう方がなんと情けない手をお使いになるのか、自分は共和国が少し哀れに思えてきました」
御堂の鋭い毒舌に、横のレジンスが口を開けて固まった。こちらの方が直接手を出すのと同じか、それ以上に失礼な発言をしていた。
当然、ボースハフは憤怒したとばかりに顔をさらに赤らめた。
「きさ、きさっ貴様、人間のしかも魔無しが、このボースハフ・スパイト・ラギュシを!」
「相手の技量も察せられず、表面だけでしか相手を測れないようなエルフが、自分より上の存在とはとても思えませんね。本当に貴族かどうかも疑わしい思いです」
「お、おいミドール……」
いい加減やめろとレジンスが言い掛けたが、もう遅い。
「貴様ら、この無礼者を叩き斬れ!」
「し、しかしここは……」
控えていた従者らは流石に戸惑った。自分たちは脅しのためだけにここにいるのであって、他家の敷地内で剣を抜くなど不祥事にも程がある行為なのだ。
「構うものか! 私に刃向かえば貴様らを家畜の餌にするぞ!」
強く言われ、主人の怒りを買う方が恐ろしいと判断したのか、従者三人が腰の短杖を抜いて魔術を行使した。その先端から光り輝く刀身が具現化すると、レジンスらの後ろに控えていた女性たちが怯えて悲鳴をあげる。
「ボースハフ、貴様こそこの行為の意味を理解しておるのだろうな!」
「ええ、ええ、わかっておりますとも、しかしこれはそちらの客人が発端のことですからな、私はあくまでこの身の程知らずを処断したというだけですのでな」
ぐひひと汚い笑みを浮かべて、ボースハフはすでに眼前の授け人を殺せたものだと見ていた。憤ったレジンスがまた剣を具現化しようとしたが、またも御堂がそれを止めた。
「レジンス様、これは自分が引き起こしたことです」
「それはそうだが──」
「ご心配いただかなくとも、このくらいの相手に遅れは取りません」
言い切って、御堂はレジンスの前に出て敵と対峙した。やるとなった相手三人は殺気立っており、手にした短杖から光剣の刃が伸びている。
(刃を受け止めるのは無理だし、殺してしまうわけにもいかない……無力化には骨が折れるだろうが)
やってできないことはない。二人が武器を片手に飛びかかってきたにも関わらず、御堂は冷静であった。腰のナイフを抜くこともしない。
上段から二つの斬撃、横に避けるのではなくむしろ前へ素早く、大きく踏み込んだ。逃げるどころか態々斬られにきたような動きだったがあまりにも早く、急加速したと錯覚する身のこなしに「なにっ?!」と動揺した従者二人の首元、服の襟を光剣が振り下ろされるよりも先に掴み、
「せいっ!」
ぐんと前へ身体を出した反動を乗せて後ろへ引っ張り放した。ただでさえ前方へ勢いよく突進していた二人は御堂の両脇を通り過ぎ、その勢いのまま地面へ顔を突っ込んでぐへっと短く悲鳴をあげた。
続け様、そこに威勢よくもう一人が突きを放ってきた。
(動きが単調で助かる)
これは苦労もしない。ひょいと横に擦り足で抜けて、目の前にきた従者の胴に蹴りを叩き込んだ。ふごっ、と腹部に猛烈な衝撃を加えられた従者が杖を取り落とし、腹を抑えて倒れうずくまった。
ここまで十秒、いや五秒しか経たなかった。
「して、あとは誰が自分に躾とやらをしてくれるので?」
「き、貴様、このようなことをして……共和国にいられなくなるぞ!」
「それもまた仕方のないことですが、自分は共和国ではなく帝国に属する騎士です。貴方に自分を縛る権利がありますでしょうか」
「屁理屈を言うんじゃない!」
「確かに屁理屈ですが、事実でしょう。それに、自分はこの出来事を国に包み隠さず報告することもできます。それでもよろしければ、お好きに権力を振りかざせば良いかと」
自分の配下が傷一つ着けられないどころか息を乱すこともできていない。地位を利用した脅しも通用しない。
暴力と権力で敵対者を踏み潰してきた貴族は、それが通じない初めての相手に恐怖した。




