1.2.7 少女の策
御堂が大型の魔獣を一人で打ち倒してみせたという話は、瞬く間に城下町や城の者たちに広まった。まず変化があったのは、城にいる兵たちだった。彼らはこれまで、御堂を領主に取り入った、得体の知れない不審人物と見ていた。そんな彼らが、御堂が近くを通ると声をかけて挨拶してくるようになったのである。誰も彼も、その顔には尊敬の意がある。これはこれで、御堂としては困ったことだった。
城下町の方へ機体で降りてみると、そちらでも、人々が歩く機体に手を振ったりする。物珍しげに眺める好奇の視線が、城の兵士たちと同じものに変化していた。集音装置が、機体の足下にいる町民の声を拾う。
『ラジュリィ様の新しい騎士様、大層強いんだってなぁ』
『兵隊を助けるために、一人であのバルバドに立ち向かう勇気があるお方だってよ』
『うちの旦那にも見習わせたいわねぇ』
『おめぇんとこの旦那じゃ、バルバドの餌になっちまうだろうよ』
なんて会話をしているのが聞こえ、御堂は憂鬱気に小さく息を吐いた。これでは悪目立ちが過ぎる。一方で、いつものようにネメスィの白い腕に座っているラジュリィは、町民たちの反応を聞いて笑顔になっていた。自分の騎士になる予定の御堂が褒め称えられているので、嬉しいのだ。
『騎士ミドール、町民に愛されるのは、騎士としての誉れです。誇ってください』
「自分はまだ騎士になっていませんし、なるとも言っていませんよ」
『もう、こういうときの騎士ミドールは素直ではありませんね』
言いながらも、ラジュリィは上機嫌だ。御堂はどうしたものかと考えながらも、機体を大通り沿いに座らせた。目的の場所についたのである。今日もまた、大工仕事の手伝いだ。
御堂が機体から降りると、すっかり顔馴染みになった大男が手を振ってやってきた。
「よう、騎士様。随分と活躍なされたそうで」
「その話はよしてくれ、早く作業の打ち合わせをしよう」
御堂が謙遜していると思ったらしく、大男は夜戦服の背中をばしりと叩く。そして何が気に入ったのか、髭の濃い口元を曲げて笑みを浮かべた。
「そういう偉ぶらないところ、俺は好きですぜ。騎士様」
「俺は目立ちたくないだけなんだ……遠くない内に、ここから去る人間だしな」
御堂が告げると、大男はぎょっとして目を丸くした。
「騎士様は、ずっとここにいらっしゃるのではないので? 帝都にでも行くんですかい」
「いいや、俺が授け人だというのは話しただろう。元の世界に帰るんだ」
「それはまた……いやいや、考え直しませんかね?」
男が宥めるように御堂に言う。それも否定しようと、御堂が口を開こうとしたその時。周囲からざわめきがした。
気付けば、自分と男を囲むように、人集りができていた。住民たちが、魔獣を倒した騎士を一目見ようと集まってきていたのだ。老若男女の人垣から、困惑の声が聞こえてくる。
町民からすれば、件の授け人であり騎士でもある彼が、この領地から出て行くというのは、とんでもない話なのだ。
「本当かい、今の話は」
「騎士様、どこか行っちゃうの?」
「授け人っていうのは、ずっとこの世界にいてくれるんじゃないのか」
「ああ、いや……」
振り向いて町民を見た御堂は、自分の行いを少し後悔してしまった。機士の矜持として、人々を助ければ助けるほど、自身の目的が遠くなってしまっている。そんな気がしたのだ。これは機士としては、恥ずべき考えだが、異世界人である御堂の状況からすれば、そう考えてしまっても仕方がない。
「行かないで、騎士様!」
一際大きい子供の言葉に呼応して、他の町民たちも「お願いします!」「ここにいてください!」などと騒ぎ始めた。人垣が段々と迫ってきて、各々の表情が窺える距離になる。全員、英雄に縋るような顔をしていた。
御堂はこうなるのが嫌で、目立ちたくなかったのだ。帰るべき場所がある人間が英雄に、ヒーローなんかになって、良いことなどない。
この騒ぎを穏便に収めるにはどうすれば良い。御堂は思考を巡らせた。一つ、嘘でもつくべきだろうか。それをした場合のリスクを考え始めたその時、ラジュリィが動いていた。
「静まりなさい!」
少女の良く通る声が、大通りに響き渡る。それだけで、町民たちは一斉に静まり返った。怖々と町民たちが声がした方に注目し、その視線の先にいたラジュリィが、手で道を開けるように促す。すると、人垣がざっと割れた。そうしてできた道を、領主の娘はしっかりとした足取りで進む。
「ラジュリィさん……」
御堂のすぐ側まで歩いてきた、貴族らしさを見せる彼女に、御堂はどうすれば良いのかと迷っている視線を向けた。それに微笑んで応えると、彼女は高らかに宣言した。
「彼、騎士ミドールは、確かな帰る方法を得るまではこの領地に留まり、私の騎士になると仰られました!」
「え、いや騎士になるとは……」
「故に、皆が危惧するようなことはありません! この方は、領地を守り、民を助け、我が領地を救う、良き授け人となるでしょう!」
御堂の小声の抗議を無視して、ラジュリィはそう言い切った。これを聞いた町民たちは、安堵した者と、興奮する者に別れた。前者は女子供に老人で、後者は若い男衆であった。拍手までしている。
「ラジュリィ様が仰るなら本当だな!」
「これでこの街も安泰だ!」
「イセカー家と授け人様に栄光あれ!」
彼らは盛り上がって歓声をあげた。御堂は「どうしてこうなった」と顔に手をやって俯いているが、それを気にする者はこの場にはいない。完全にラジュリィの独壇場である。
「さぁ、騎士ミドールは仕事があります。皆も己の仕事に戻りなさい!」
ラジュリィが場を締め括ると、町民たちは散り散りに自分たちの職場へと戻っていった。そして残された御堂は、ラジュリィに感謝と抗議した。
「……ラジュリィさん。騒ぎを止めてくれたのには感謝します。しかし、騎士になるという嘘をこんなところで広めるのは、どうかと思います」
「あら、なら嘘でなくせば良いのです。帰る手段を探すのは、とても時間がかかることになると思います。それだけ長くここにいるのでしたら、私の騎士になった方が、色々と都合が良いのですよ? 騎士ミドール」
「あまり、この地に縛られる気はないのですよ。自分は、必ず元の世界に帰ります」
「ふふ、貴方が嫌がっても、そうせざるを得なくなります。少しは、場に流されることを覚えた方が良いと思いますよ?」
その時のラジュリィの微笑みは、御堂から見て怖いものを感じる、妖艶な笑みだった。御堂は一瞬、まさかという考えが浮んだ。が、それを直接本人に聞くようなことはしない。諦観したように首を振るのみだ。
「その話は、また次の機会にしましょう。自分は作業に入りますので、ラジュリィさんは離れていてください」
「はい、頑張ってくださいね」
大工の男の下へと向かう御堂を見送るラジュリィは、笑みを浮かべたまま、内心では自身の企みが上手く運んでいることに安心していた。企みというのは、
(城下町に騎士ミドールの情報を流させたのは、正解でしたね)
そう、住民たちに御堂がバルバドを倒した話を吹き込んだのは、彼女の息がかかった者たちなのである。こうすれば、彼は帰るための情報を集め難くなる。素直に話して、町民が協力するはずがない。それに、こうして民の前で宣言したことで、言質も取れる。
ラジュリィがこのような策を打った目的は、ただ一つ。
(ミドール、逃がしはしませんよ……絶対に、私の騎士になってもらいます)
愛しの相手を、己がものにする。それを成すためならば、ラジュリィは悪魔と契約すらするかもしれない。それほど、彼女は御堂に熱を抱いていたのだった。




