5.2.1 武術指南
御堂からして、イジン家を象徴する色は“緑色”だと見えた。
トーラレルが継いだ先祖代々の魔道鎧『イルガ・ルゥ』も緑を基調としたカラーリングであるし、御堂に勝負を仕掛けた当主のレジンスの魔道鎧も緑色だった。
トーラレルは幻術の他にも風を操る魔術も得意としている。おそらくはその家族もそうだろう。
得意な魔術である風のイメージカラーということで緑を使っていると言うのは、地球人的な感性が強く出過ぎている気もするのだが、それが一番しっくりくる理由だった。
なぜ御堂がこんなことを考えているかと言えば、夕暮れになった城の城門前で待ち構えていた人物のせいであった。
「や、お前がミドールという授け人かな?」
背が高く細いというのが第一印象だった。その身体を包む緑色の緩い服装に、短く切り揃え後ろへ流している金の髪とエルフ特有の笹耳の形を見て、その男がトーラレルの関係者、より具体的には血縁者だろうと御堂は推測できた。
「いかにも、自分はイセカー領より参りましたミドールと申します。そちらはイジン家の方と見ましたが?」
名乗りと問いを投げて、隣で固まっているトーラレルを見やる。彼女はこの人物を知っているようで、驚きに目を見開いている。御堂の推測が正しいことを証明するには十分であった。
「ああ、俺はエスピール・アシカガ・イジンだ。うちの妹が世話になってるな」
隣にいる少女を妹と呼ぶ。つまりはこの男がイジン家の長男であり、次期当主という大物だとわかる。トーラレルの頼みを今は忘れて、小さく頭を下げて礼節を整える。
「大したことはしていません。妹様は自分の指導をよく聞いてくださっていますから」
「このじゃじゃ馬娘をなぁ、よく御せてるもんだ」
「とんでもない、優秀な方です」
「……ところでなんだが、その話し方はやめてくれねえか? 背中がむず痒くなる」
台詞は日常会話地味ているが、御堂を捉える胡乱気な瞳は、非日常的な雰囲気を察知させた。元よりしている御堂の警戒心が、無意識にも強くなる。
目の前の男は何か仕掛けてくる。これは疑念というよりも、確信であった。
「こちらとしては、一介の騎士が領主にするであろう一般的な態度を取っているつもりなのですが」
「言うなあ、それでもやめてくれよ、色々と困る」
「色々とは?」
エスピールが片足を僅かに引く。
腰に添えている両手は無手。
相手の視線もこちらの手足に向けられている。
確信が的中した。御堂は隣にいるトーラレルの背へ咄嗟に手を回し──
「遊びに集中できねえだろう!」
次の瞬間には飛び込まれる。そう思ったときには相手の右手には長く細い直剣が現れていた。
対し、片手でトーラレルを押してその攻撃圏内から逃したために、御堂の回避運動は致命的にまで遅れている。
(間に合うか!──)
自由な右手を背中に回し、ジャケットの裏に隠していた愛剣を引き抜く。それを構える暇すら惜しく全力で横薙ぎした。
がいんっと硬質さと弾力を感じさせる音が響く。若干痺れを感じる右手を無視して、剣を弾かれて止まった相手にハイキックを見舞う。
「ふっ!」
「おっ!」
相手の顎を揺らそうとした突き上げは、関心しながら飛び退かれて空を切った。
更に下がったエスピールは直剣をだらんと垂らして揺らし、御堂は手にした刃渡り二十五センチのコンバットナイフを構え微動だにしない。
数秒の睨み合い。
「いやさなになに、これは想定よりいいな」
「それは褒めていただいていると受け取っても?」
「だからその喋り方はやめろって、集中できないだろ」
会話の間も互いの視線は一切ブレない。御堂は相手の一挙動も見逃すまいと見張り、エスピールは相手に斬り込むタイミングを計っている。
「あ、兄上はいつお戻りに、というかなぜミドールにこんなことを?! やめてください!」
ようやく現状を認識して再起動したトーラレルが半ば叫ぶように訴えかけるのだが、エスピールは妹の言葉を無視して、一方的に語り出す。
「トーラレル、見てみろよこれを……俺が、イジン家次期当主が魔術で生み出した刀身に、この授け人はここまで深く傷を入れた。お前が言った通りのやつみたいで嬉しいぞ」
「それがわかったならもう良いでしょう!」
「ダメだな、それじゃ面白くない」
トーラレルの必死の静止を、エスピールはあくまで無視するつもりらしい。兄妹がしばらく一方通行な問答をしている間に、御堂は状況を整理し始める。
(この長男が仕掛けてきたのは、これまでのイジン家の面々を見ていればそう不思議に感じられない。むしろ何かしらあるだろうとは思っていた)
戦闘を吹っ掛けられた御堂もトーラレルの静止はほぼスルーしていた。というより、相手が止まらない限りはどうしようもないと判断しているし、それは実際正しかった。
(俺の技量を確かめたいということだろうが、ナイフを持ち歩いておいて正解だった。そして、トーラレルがここまでやめさせようと言うのは)
事前の備えがなければ、自分は頭をかち割られていた可能性があるくらいの強敵だからだろう。御堂はそう断じた。
妹であるトーラレルも剣捌きは軽く速かったが、御堂を相手にするには軽過ぎた。対し、その兄の一撃は同等の速さを持った上で重たかった。
ナイフで打ち払いをした右腕に残る感覚は、そう主張している。
「で、だ。トーラレルがここまで言うなら俺はやめてもいいんだが、どうする授け人?」
気だるそうな口調だが、じろりとこちらに向ける目は拒否することを拒否していた。久しぶりに感じる明確な殺気は、結果的に御堂の退路を絶っている。
「ミドール、兄上に付き合うことなんてない、早く剣をしまった方がいい」
「だそうだが、お前はこんな子供に心配されて剣を引っ込める類か?」
「挑発はやめてください!」
「事実確認だろ、お前が散々自慢してた授け人は、この程度のやつだったのかを確かめてるだけだ」
御堂を、というよりはトーラレルを挑発するような話し口だ。なるほど、と感心すらしてしまう。
(俺のような相手には、有効な手段ではある)
そう自覚している。ゆえに挑発を無視してやり過ごす選択肢も取れる。それが御堂という男だ。しかし、
「妹様の……いや」
腰を低く沈め直し、相手の顔を強く見据える。そこには貴族を気遣う騎士の顔はない。あるのは御堂るいという一人の戦士としての顔だった。
「トーラレルの沽券に関わるとなっては自分が引く理由はない」
相手は確かに貴族の長男であるが、それでも自身の妹を出汁に使ってまでの挑発をしてきた相手に対して、まったく何も感じないほど冷めた人間でもない。
何より、大切な教え子を遠回しに侮辱してきたのだから、親族と言えどもお灸を据えてやらなければならない。御堂はもうそう決めていた。
「いいな、これでこそ確かめ甲斐がある。貴族だ騎士だの関係がない方が楽しめる」
「確かめる? 楽しめる? 何か勘違いしているな」
「……なに?」
先まであった敬いの口調が削がれ切った口振りに、エスピールの眉が僅かに揺れる。
手応えあり、そう判断した御堂の口端が僅かに上がり、
「武術に多少の覚えがある若造が、妹の講師から教えを乞う場面だろう、これは」
淡々としながらも凄まじい挑発だった。当主の長男に対して酷い侮辱をしていると言っても間違いではない。怒るよりも先に呆然としたエスピールに、構えを解いて更に言い放った。
「直接言わないとわからないか……自分がきちんとした戦い方を教えてあげよう」
無手の左手で手招きをして、
「来なさい」
このとき、トーラレルはこう見えて実は冷静である兄の、俗に言う“堪忍袋の尾”が切れたとしか言いようがない表情を初めて目撃した。
トーラレルの三つ上のエスピールは魔術学院の卒業生であり、戦士としては妹よりも優れた成績を残している。当時の講師陣からして「教えれることはもうない」と言わせるほどであった。
本人もそれを大きく誇示はしないが、同時に自負もしていた。それからも負け無しであり、イジン家に伝わる一体の魔道鎧を授かっている。優秀さの証であった。
御堂がしたのは、それらをまとめて真正面から踏み躙る行為だった。
しかも無自覚に相手の地雷を踏んだのではない。「そんなところだろうな」というあたりをつけて行われた、正真正銘の挑発であった。
しかも、これは御堂も知らないことだが、エスピールは旅の道中の御堂を見て、内心では『魔道鎧以外は大したこともない相手』と見ていたのだ。
そんな相手に煽られて冷静でいられるほど、この若者は熟していなかった。
もはや挑発の応酬すら出さない。殺気だけを漏らす表情で直剣を振り上げて駆け出している。先よりも突進力は上で、第三者からすれば明らかに御堂が危険だと思えるだろう。
だが、トーラレルは真逆の予想を立てていた。
(兄上は負ける)
御堂と何度か立ち会っているからわかる。冷静さを失った時点で、格上に勝てる可能性など一つもない。それは自身が何度も教え込まれていることだ。そして、すぐにそれは実証される。
右上からの大振り、速度も重量も乗った一撃は、コンバットナイフでは受け切れないし弾くのも厳しい。ならば、御堂がするのは一つだけである。相手の剣筋はすでに見切っているのだから、
(若いな)
そこから外れるように身体を動かせば良い。あえて剣がある方向、エスピールから見て更に右側へ滑るように動いた。それに気付いたころにはもう直剣は振り下ろされて、隙だらけの側面を晒し出してしまっている。
「しまっ……!」
た、と言い切れなかった。肉付きの薄い頬に御堂の掌底が入り、脳が揺れる。ぐらついても剣を落とさなかったのは見事でもあり、不幸でもあった。
「む……」
弱かったか、御堂は右へ振った身体を左へ振り直し、エスピールの脇腹と鳩尾を貫く追撃の膝蹴りを入れた。いつの間にかナイフは鞘にしまわれている。
魔術学院で負けることがなかった彼にとって、呼吸が止まる一撃を受けたのは生まれて初めてのことだった。
崩れ落ちかけた身体をついに離さなかった剣で支えるが、それも悪手であった。
「存外しぶといな」
もはや相手を貴族どころか敵とも思っていない呟きと同時に、御堂の両手でエスピールの襟首と袖を掴む。あっとそれを知っているトーラレルが制止するよりも早く、ぐんっという風切り音がした。
どしゃっと言う鈍い着地音。空中で一回転して背中から地面へ落下したことで、ようやくエスピールは意識を手放した。手から離れた剣が崩れるように消え、御堂もようやく気を抜いた。
「……さて、トーラレル」
「な、何かな」
自分にとって絶対の強者でもあった兄を、これまで見たことがない体術を持ってして容易く制圧した講師は、トーラレルにとっては突然赤の他人へ変貌したように感じられた。だが、振り向いた彼は雰囲気を一転して珍しい困り顔を見せると、
「当主様は、どう言えば許してくれるだろうか」
そう尋ねてきた。そのギャップがなんだかおかしくて、トーラレルはくすくすと笑ってしまったのだった。




