5.1.1 新たな出向先
ムカラド・ケントシィ・イセカーは、御堂からすれば少なくない恩がある人物である。
異世界に飛ばされて頼るあてもなかった御堂に衣食住を与え、仕事を与え、情報を与えてくれた貴族だ。
帝国の辺境伯であるために、その考えから御堂に害を成そうとしたときもあったが、それも彼の立場を考慮すれば然も当然の対応であったと、やられた本人も理解している。
そんなトラブルからすでに数ヶ月経ち、すでにわだかまりもほとんどない。上下関係の中でも、御堂からして非常に友好的な帝国貴族であった。
だからこそ、彼からの指令や依頼を快く引き受けているのだが、今回ばかりは御堂も困惑せざるを得なかった。
「……単身で共和国に、ですか」
「うむ、其方には苦労をかけることになるが……頼めないだろうか」
いつもの玉座の間、いつもの玉座に腰掛けたムカラドは、珍しく額に皺を寄せた表情を御堂に向けていた。決して、眼前にいる男へ不満や不快感を抱いているわけではない。
「ムカラド様からの指示であればお受けしますが、経緯を伺っても?」
暗に「納得のいく説明を」と急かされ、ムカラドは膝の上で指を組み目を伏せた。後ろめたさを感じさせる仕草だった。
「以前、どこかしらで共和国にあり、我が地と隣接している領地について話したことがあったな、覚えているか?」
「はい、しかしそのときは治める貴族について、具体的な説明を受けていませんでした」
「やはり其方は物覚えが良いな」
ふっと微笑を漏らしたが、それもすぐに仏頂面に戻る。
「彼の地を治める貴族の名はイジン家。我らイセカー家が最も長く交流している共和国貴族だ」
「イジン家……まさかそれは」
「左様、その名に聞き覚えがあるだろう、講師ミドールよ」
御堂の呟きを耳聡く聞いたムカラドが、あえて魔術学院での呼び名を使った。
それだけで、彼にイジン家の娘にして、教え子であるトーラレル・アシカガ・イジンとの関係性を知られていると察せられた。
「そう身構えるな、それを咎める気は毛頭ない」
驚きが態度に現れていたらしい。姿勢を正したのを確認して、再度問い掛けた。
「其方の教え子であるイジン家の娘、其方は大層に関係が深いと聞いたが、どうだ?」
「それは……」
「変に隠し立てすることはない。再度言うが、この件に関して其方を罰したりする気はないのだ」
そう告げるムカラドの目からは、誠実さが見られた。変に事情を隠すよりも、伝えた方が有益だと判断した御堂は、
「わかりました、彼女とは──」
それから数分かけて、トーラレルと関係を持った切っ掛けや慕われているらしいこと、ラジュリィから受けるのと同程度かあるいはそれ以上の恋慕を抱かれている旨を話した。
聞いている間、ムカラドは無言だった。しかし表情は言葉よりも雄弁に感情を語るもので、状況を理解するにつれて額の皺がより一層増していった。
「──これが、自分が把握している限りのことです」
「うむ、よくわかった……よくわかったが、これはなんとも……」
其方も苦労しているな、までは流石に言わなかったが、ムカラドの目が先ほどとは違い憐れみを帯びている。
この領主自身、ラジュリィが産まれると同時に亡くなった妻から熱烈かつ猛烈な想いを抱かれていたが、それでも自分より女難の相が見える男が身近にいるとは、思ってもいなかった。
(いや、ああなってしまった我が娘から想いを寄せられている時点で……)
(俺が他家の、それも隣国の貴族と知り合っているのは面白くないだろうからな……警戒されるのも無理はないか)
自身の娘への評価が窺い知れることを考えている父親の心情までは察せられず、御堂は次の言葉を待っていた。
「ああ、うむ……して最初の話に戻るが、其方に頼みたいのはそのイジン家へ向かってもらいたいということだ」
「まだ理由を聞けていないのですが」
「そうであったな、騎士ミドールにならば詳細を話しても良いか」
御堂の口が固く、同時に義理堅さも持ち合わせていることをムカラドは重々に知っていた。なのでこれは信頼の証でもある。貴族に従う騎士でも、命令の意図や事情について教えられることは滅多にないのだ。
「先日、イジン家の領主から早馬の文が届いた。書かれていたのは遠回しな救援の依頼とその具体的な条件。そこにミドール、其方の名があった」
「自分を名指しで指名してきたと」
「そういうことになる」
「それで自分の教え子でもあるイジン家の娘について聞かれたということですね」
確認の意味を込めた言葉に、ムカラドはうむと大きく頷いて肯定した。
「その通りだ。其方の話を聞いて、私の推測が正しかったことが知れた」
「……自分も、この会話で事情が薄らと把握できた気がします」
揃って深い溜息を吐く。二人の脳内では、イジン家に向かうよりも厄介な問題が浮かんでいた。
「恐れながらお聞きしたいのですが、この件はラジュリィ様には」
「伝えられると思うか? 伝えたらどうなるか、私がわからないと思うか?」
「……その言葉だけで、懸念が確信に変わりました」
「であるか」
御堂は後頭部を掻き、ムカラドは額の皺を指で摘んだ。数秒、無言の間が開いて、
「我が娘に関してはすでに手を打っている。有効かはわからんが、時間稼ぎにはなろう」
そう、この件はすでにラジュリィ以外の同行者、従者のローネ・スクヤーと従騎士のファルベス・アルベンには伝えてあった。万が一、ラジュリィが事態を把握し、行動に移るようなことがあったら、全力で静止させろとも指示してある。
本当に時間稼ぎにしかならないだろうが、それでも何も備えないよりはマシである。ムカラド苦肉の策であった。
「素直に連れ添ってとは、行かないでしょうね」
「そんなことをすれば、イジン家の領地が氷漬けにされるやもしれん。娘の恋慕が原因で戦争を始める切っ掛けを作るわけにもいかん」
冗談のつもりだったのか、そう言うムカラドの口元は笑っていた。が、目元が一切笑っていない。御堂も笑い返したが、まったく同じ表情をしていた。冗談では済まない可能性の方が大きい、そんな嫌な予感がしていた。
「指示については理解できました。実際にはどう動けば良いか確認してもよろしいでしょうか」
「勿論だ」
また大きく頷いて、ムカラドは具体的な指示を語り始めた。
「まず、本件に関しては完全に其方自身の裁量で動いてよい。流石に、他国で我が騎士としての身分は意味を成さないだろうが、必要であれば使うがよい」
「逆に言えば、支援については期待できないと考えて良いのですね」
「心苦しいが、そうなってしまうな。我が領地がイジン家に肩入れしていると公には出せない。皇帝陛下はさして気にしないだろうが、他の帝国貴族が騒ぐからな」
事実、帝国貴族の大半は共和国に対して良い感情を抱いていない。魔術至上主義者が増えていると言っても、魔術で優れているからとエルフに媚びる者は少ない。
どちらかと言えば、嫉妬心や妬み僻みの方が強かった。
都合が良い考え方ではあるが、貴族とは大抵そんなものである。というのが理解している人間から見た貴族観であった。
「なるほど、秘密裏に行動する必要がありますね」
御堂からの確認の問いに、ムカラドは首を横に振って否定した。
「そうしたいところだが、相手の思惑がまだわからない。もしかすれば、其方の授け人という地位を利用したいと思っているかもしれん。ないとは思うが、帝国の騎士の立場が企てに都合が良いと考えているかもしれん」
「それで、実際に向かう自分の判断で行動しろということですか、現在では相手側の思惑もわからないということで」
「やはり其方は理解が早いな、良い騎士を持てて嬉しい限りだ」
「過分な評価かと」
深く説明しなくともこちらの意図を汲み取ってくれる。この世界ではそれだけでも相当な美徳だ。
日本人である御堂からすればできて当たり前と言われていることだが、近世レベルの文化圏でそれができる人間はやはり少ない。
「なるべくは、ムカラド様に不利益がないようすることを基準とすればよいでしょうか」
「それで頼みたい……だが、最優先すべきは其方の身の安全だ。それだけは忘れるでないぞ」
「持ったない心遣い、感謝致します」
「ふふ、私にとってはそれが利益になるだけのこと……と言っては、照れ隠しになってしまうな?」
照れた様子などおくびも出さないが、先ほどとは違いユニークさを表情に出していた。御堂が状況を理解して快諾したので、心のつっかえが外れたらしい。
「ありがたいことです。すぐにでも出立した方が良いですか?」
「そうだな、少なくとも我が娘が勘づく前には、出たほうが良いだろうな」
苦笑しながら言ったが、そのときはまた目元から笑みが消えていた。こればかりは、どうしても消えない懸念材料であり、全てを壊す危険要素でもあった。アンタッチャブルな娘だなと、御堂も乾いた笑みを返した。
「急ぎ支度を済ませます」
「頼むぞ、我が騎士よ」
一礼して身を翻した御堂は、少しでも早く城を出ようと早足で部屋へ戻るのだった。




