4.3.11 帝国貴族の在り方について その十一
リッデムに来て三日目の朝。
御堂は何故か朝からずっと不機嫌だったラジュリィを、起床から朝食までの一時間ほどをかけて宥めるはめになった。
どうにかして機嫌を上向きにすることを成功させ、食事を済ませる。落ち着いたところで、改めて隠し扉の向こうへ入る方法を解説する。
「やはり、あそこへ入るには会員証なるものが必要だった。どうにか一つ譲ってもらえて良かった」
「それが、この貨幣もどきということですか」
そうです。そう肯定して、御堂は机に置いた金色のコインを指で軽く叩く。直径五センチもあるそれは、この世界共通の貨幣とは大きさもデザインも異なっていた。
ラジュリィが手を向けて少し集中するように瞼を閉じる。五秒ほど間が空いて、目を開いて、首を横に振った。
「魔素は感じられません。正真正銘、ただの丸い金細工ですね」
「むしろその方が都合が良いかもしれないな、変に探知の類が施されていたら罠にかかったかもしれない」
「それは同感です」
少なくとも、これ自体に盗聴などと言った機能はついていないらしい。それがわかったところで、御堂は話を続けた。
「これを係の者に提示することで何もない壁の向こう側へ通ることができるらしい。昨日の様子から、一人が持っていれば最低でももう一人連れて行けるようだ」
「それなら、ミドールと私で潜入できますね」
「顔が割れていなければ、そうしたのだがな……」
ここまでに決して無視できない懸念事項が生じていた。御堂もラジュリィも、相手に顔と、もしかしたら身分も露呈しているのだ。
それなのに敵のアジトへ乗り込むのは、自ら罠へ飛び込むようなものである。さて、どうしたものか。
「……それならですが、私に一つ考えがあります」
「昨日のようなものでないなら、喜んで聞こう」
「からかわないでください!」
昨日の行動を言及され、少女は拗ねたように頬を膨らませてぷいと顔を背けた。今はまだ冷静らしいと判断した御堂は「いや、すまない」と小さく笑いながら頭を下げた。
「緊張をほぐせればと思ったんだが、怒らせてしまったか?」
「……このくらいの戯れなら、許します」
「そうしてくれるとありがたい、それで君の策を聞いても良いか?」
素直に謝罪されたラジュリィは小さく息を吐いてから、気を取り直して自身の考えた作戦を語り出した。魔術師ならではの、御堂には思い至らなかった発想から成されたそれは、
「はい、その方法なのですが、こういったものはどうでしょうか」
慎重派の御堂に首を縦に振らせるには、十分な効力が見込まれたのだった。
***
「はじめてのお客様ですね、こちらの遊戯についてご説明させていただいても?」
再び貴族用カジノにやってきた御堂とラジュリィに、昨日と同じボーイは“初対面の相手にするように”そう話しかけてきた。
「いや、友人から大まかなことは聞いているし、何より新鮮さを持って遊びたい気持ちもあるのでな、遠慮しておこう」
「それは失礼致しました。何かありましたらいつでもお声がけください」
「ああ、その時はまた頼むよ」
深々と頭を下げるボーイに軽く手を振ってから、二人は一直線に件の壁へ向けて歩いて行く。
遊戯機器の裏にある空間へ足を踏み入れると、立っていた黒服の一人がずいと前に出てきた。
「失礼、こちらは何もありませんので、お戻りいただけますか」
威圧感を混じえた至極普通の対応。これに対して御堂は短く返した。
「知っていたら戻れない」
「……失礼しました、お客様、提示物をお出しください」
催促された通りに懐から金細工のコインを取り出して、黒服の手に乗せる。それをまじまじと確かめた黒服は無言でそれを返却すると、また黙ったまま壁の方へ腕を向けた。
「ありがとう、それでは」
短く礼をしてから、御堂とラジュリィは壁へ向けて踏み込む。壁に爪先が衝突するかと思われた矢先、足が壁を貫通した。続いて体も壁の向こうへ吸い込まれるように消えて行き、ついには完全に姿を消した。
「……上手く行きましたね」
壁の向こうは薄暗い通路だった。そこを進みながら、ラジュリィは安堵の息を吐いた。隣の御堂も周囲を警戒しつつも「君の術はやはりすごいな」と褒める。
「術封じとやらにこんな抜け道があったとは、知りもしなかった」
そう、貴族用のカジノにはイカサマ防止か、あるいはこの隠し扉の露見を防ぐためか、魔術を使用できなくする魔道具が仕掛けられていた。
しかし、今の御堂とラジュリィは他人から見れば鮮やかな赤い短髪と地味な長い茶髪であった。幻惑の術をかけることで敵を欺いたのだ。
ではどうやって術封じを掻い潜って魔術を利用したのか、それは意外にも簡単な理屈だった。
「あの魔道具はあくまで術の発動を阻害するものです。つまり、あらかじめ発動している術に対しては強く阻害することができないのです」
「しかし、並の術士では打ち消しに負けてしまうのだろう? 本当に大したものだ」
「あまり褒めすぎないでください、調子に乗ってしまいますよ?」
「それもそうだな、だが騎士としては鼻が高いと言わせてもらおう」
「……もう、煽て上手なんですから」
そんな会話をしながら薄暗い通路を通り、階段を降り、螺旋状のスロープを降りる。どうにも複雑な形で地下へ向かわされている。これもまた調査対策なのだろう。
もう五分以上は歩いたか、そんな距離で両開きの鉄扉が見えた。入り口だ。
「ラジュリィは魔術の維持に集中していてくれればいい、術が切れたら事だ」
念入りにラジュリィがこくりと頷いたのを確認すると、御堂は意を決して扉に手をかける。見た目よりも随分と軽いそれを押し開いて、中へ入った。
「……なるほど、だから丘の上にあったのか」
そこは上階にあった競竜のドームよりも更に広い空間だった。それこそ魔道鎧が十全に動き回り、戦闘が行えるほどには広いコロシアムであると、御堂は形容した。
なぜコロシアムと言い切れたのか、それは観客席に囲われた中心部で行われている試合。否、行為を見たからだ。
「これは、なんて……」
酷いと口にするより早く、御堂が少女の目元を塞いだ。直後、大きな衝撃音と同時に、中心部でグロテスクな赤い華が咲いた。それを生み出したのは、魔術で動く巨人が装備する棍棒であった。
『残り三人! まだまだ奴隷たちが解放される機会は残されています! ああっと、また一人潰れました!』
そんな実況解説が流れる。それが何を意味しているのか、理解できないほどラジュリィは察しが悪くない。
貧相な格好をした男たちは、腰が引けた状態で手に槍を持っている。対し、人間一人を叩き潰した魔道鎧は、次に潰す対象を決めるように、首を巡らせていた。
それに歓声を送るのは、見るからに貴族と思える服装をした者たちだった。老若男女、かなりの人数がいた。揃いも揃って、顔や目元を隠す仮面を身につけている。
それはつまり、自分たちの行いがどういうことか理解していることの証明であり、同時に自覚した上での行為であることを示していた。
「こんな、人を人とも思わないことを……!」
庇うようにしている御堂の腕を少女は両手で掴む。その手はわなわなと震えている。彼女が身を震わせているのは、恐怖からか、怒りからか。隣にいる御堂は、間違いなく後者だと言い切れた。
「……こういうことか、確かに公にはできないだろうな」
『さてもう最後の一人となりましたが、この奴隷はどうするのか! ああっと背中を見せて逃げ出し……お見事! 今回も奴隷は全員処分されました!』
御堂が見てる前で、逃げ出そうとした男が棍棒を投擲され、その下に消えた。一際大きな歓声を受けて、四人を殺害してみせた魔道鎧は腕を振り上げている。あれを操っているのも貴族だろう。
『他領の貴族からすれば、平民や奴隷の命など無いも当然』法で定められていても、皇帝がそうしろと述べても、それが及ばない地方の貴族など、このようなものなのだろうか。
御堂は今、自分を拾ってくれたのがイセカー領であることを、その領主がムカラドであったことを、幸運であったのだと強く感じた。
「ミドール……私たちが何をすべきか、これではっきりしました」
「はい」
「手伝ってくれますね、我が騎士」
「機士の名にかけて、必ず」
目元に涙すら浮かべたイセカー家が長女の瞳には、煌々とした強い怒りが浮かび上がっていた。それだけの行いを、敵はしていたのだ。
御堂からしても、穏便に済ます理由は皆目消え去っていた。




