4.3.9 帝国貴族の在り方について その九
(……殺人に慣れ切ってしまっているな)
自分でも手際良く敵を三人倒せたと思うことに、喜びよりも悲しさを覚えた。
引き抜いたナイフを黒づくめの布で拭ってから鞘に戻す。
「して、主人はご無事か?」
振り向いてみれば、部屋の片隅で震えている宿の主人がいた。自分の宿で荒事が起きるなど夢にも思っていなかった様子で、倒れ伏している男たちと御堂の間で視線が行ったり来たりしている。
「こ、こいつらはいったい……それに貴方たちも……」
「しがない貴族です、私たちの厄介ごとに巻き込んでしまい、すみませんでした」
主人を守ように立っていたラジュリィが頭を下げて謝罪する。「き、貴族様が襲われるので?」そんな疑問を口にする彼に、少女は答えずに「それよりも、するべきことがあります」と御堂に視線を向ける。
そこには昼間に見せた年相応の姿ではなく、貴族令嬢としての彼女があった。
「敵が攻めて来たということは、私たちの目的がバレているということで間違いないですね」
「仰る通りかと、顔も割れていると見るべきでしょう」
「では、この街の宿泊施設を使うのは危険ですね。それに、この方も」
ちらりと横目で見られ、主人は「えっ、なんで……」と漏らして怯え始め、ついには尻餅をついた。己も口封じで殺されてしまうのではないのかとでも考え、腰が抜けたらしい。
それを察したラジュリィはにこりと、相手を安心させるつもりで微笑んだ。屈んで店主に視線を合わせる。
「ご安心を、私は自分の領地にいる民を、無闇矢鱈に害そうとは考えていません」
「自分の領地……も、もしかして貴方たちは」
「それよりもです。貴方がたも私たちと共に来ていただいてよろしいでしょうか?」
ラジュリィからの提案に、主人は怪訝な表情になった。なぜかと尋ねる前に、御堂が答える。
「敵からすれば、主人は自分たちの情報を持っている人間だ。そしてこの賊を見ればわかる通り、こいつらは用済みの者を放置するような、そんなに優しい手合いではない」
この意味がわかるな? そう告げるまでに、主人の顔は真っ青になっていた。流石は多くの客と接していた経験がある。すぐに状況を察せられていると、御堂は関心した。
「ど、どうすればよろしいので……」
「だから、私たちが保護いたします。貴方、ご家族は?」
「妻と娘がおります、部屋で寝ているかと」
「では急いで起こして、身支度をさせてください」
「どこまで連れて行くにしろ、家財はどうするので? 運ぶ時間も余裕もありませんが」
御堂の質問にラジュリィは少し考える素振りを見せてから、また微笑みを浮かべた。しかし、先とは違い、目元が笑っていない。
「どこかへお連れする必要はありません。連れてきた護衛に守らせれば良いでしょう」
「この街からr逃げ出さなくて良いのでしょうか? それはありがたいですが、なぜ……」
まだ不安そうにする主人に、ラジュリィは「もちろん、大丈夫です」と頷いてみせる。
「私とこの騎士がすぐに黒幕を成敗するのですから、心配は無用です。数日も要りませんから、しばらく宿を閉めることは我慢してくださいね?」
あまりにも自信有り気にそう告げた少女に、宿屋の主人は首を縦に振るしかないのだった。
***
宿屋の一家とラジュリィ、それを護衛する御堂の一行は闇夜に紛れて足早に駐機場へ向かった。
寝ずの番をしていた兵は備え付けられていた小屋の扉がノックされたことを不思議に思いながらも出てみると、そこには調査に出ているはずの二人がいたのだ。
そして臨戦態勢の御堂を見て即座に状況を理解し、周囲を警戒し始める。それをラジュリィが「今の所は大丈夫です」と嗜め、改めて何があったのかを伝えた。
「それはまた……我々はどうすれば?」
説明を受けた護衛の魔術師は、ラジュリィらの後ろに控える一家を見て悩ましげに唸る。
彼らからすれば、領主の娘である護衛対象を守り、また役目を果たすために同行すべきだと考える。しかし、その相手から見ず知らずの平民たちを守ってほしいと頼まれてしまった。
口には出さないが、せめて納得の行く理由が欲しい。彼の表情にはそんな感情が浮かんでいた。
「理由は三つあります。一つは私の父が領地の民が、企てに巻き込まれて害を受けるなどあってはならないことだから」
それは領主たる貴族からすれば当然……でもない。他の領地であれば、貴族からすれば平民など斬って捨てるような扱いをすることも珍しくはない。
だが、イセカー家はそれを良しとしないことを、仕える魔術師は良く理解していた。
「二つは、私たちが後顧の憂いなく企てを暴きに行けるようにするため、人質などにされたら、厄介ですから」
一つ目と繋がり、魔術師は理解を得たと頷いた。仁義に厚い令嬢が人質という手段を取られたら、窮地に陥ってしまうことは目に見えていた。そして、話を聞くからに敵はその手の手段を用いるのに躊躇わないだろう。
「そして三つ目、これが一番の理由なのですが」
「それは、どのような?」
二つ目の理由を聞いた時点で、ほとんど納得できてしまった魔術師だが、興味本位で答えを促した。ラジュリィは横目で隣に控える己の騎士を見て、頰を薄く染めた。
「私の騎士が力を発揮すれば、あの程度の賊などいくらでも倒せるからです……納得できました?」
完全に身内贔屓、自身の騎士への想いを上乗せした理由だったが、沈黙を保っているその騎士がどれだけの使い手か、魔術師も良く理解した。なので、
「それは確かにそうですな、そう言われてしまったら我々はご命令を遂行させていただきます」
苦笑しつつも、ラジュリィに最高礼をして承諾したのだった。
***
護衛の魔術師が家族を連れて仮眠室へ入ったのを見て、ラジュリィは大きく息を吐いた。
部屋をランタンが淡く照らす彼女の横顔から、肩の力を抜いたように感じられた。緊張の糸が切れたのだろう。御堂はそう推測した。
「ミドール、少しだけわがままを言ってもよいでしょうか」
「なんなりと」
即答した御堂に小さく笑みを浮かべた彼女は、その胸元に飛び込んだ。大きな背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。
突然のことだったが、御堂はその意味をすぐに察した。動揺も見せずに、その小さい背中に手をやって、優しい手付きで撫でる。
「刺客がやってきて、ミドールの投げた短剣が弾かれたとき、私はとてつもなく不安になりました。貴方が負けてしまうのではと、己の騎士に疑念を抱いてしまったのです」
「それは仕方のないことだろう、けれど俺たちは無事だった。それで良いのではないのか……もう怖れる必要もないだろう」
学院にいるときの口調で慰めの言葉を口にする。しかし、少女は御堂の胸に顔をつけたまま左右に小さく振って否定した。
「それは違います……私は、自分の騎士の力を一瞬でも疑ってしまったのです! そんな自分が許せない……思ってしまったことがすごく悲しい……信頼が揺らいだことが、とても辛い……!」
ラジュリィは自分の思い人、凄まじい強さと頼れる背に抱いていた己の信頼を、一瞬でも自分自身で崩してしまったことに、深い罪悪感を抱いていたのだ。
思いの丈を漏らし、自分の胸元を涙で濡らし懺悔する少女に、御堂は背中にやっていた手を瑠璃色の髪へとまわし、繊細な手付きで撫でた。
「その信頼、信用を、俺は嬉しく思う。名誉でもあると言える。だが、それは時に危険を招く考え方だ。俺は、絶対無敵の存在ではない」
「ですが、貴方はこれまで何度も何度も、窮地を脱し、皆を救い、まもってみせて……!」
「忘れたのか、俺がこの世界に来て日が浅い頃、賊と戦い敗れ死にかけたことを……それを救ったのは誰でもない、君だろう、ラジュリィ」
御堂からすれば、この小さな主人が向けている評価は過大なのだ。慣れて来たとは言えど、生身の自分にそこまで期待されるような力はない。
機動兵器であるAMW、ネメスィを操ったときに初めて実力を発揮できるパイロットなのだ。
「でも、でも……」
「頼ってくれるなとは言わない。俺は君の騎士なのだから、頼ってくれて構わない……そうだな」
こういう時、自分を自衛官として育て上げた教官たちならどう答えるだろう。三人で一つのチームであった彼ら彼女らを思い出して、御堂はそれを口にした。
「俺のいた世界では、共に支え合い、共に戦う者たちを、パートナーと呼ぶ。この世界では、君とはそんな存在でいたいと思う」
「ぱーとなー……ですか?」
それはラジュリィにとって初めて聞く、未知の言葉だった。けれども、どこか良い感情を浮かばせる言葉だった。御堂はそうだと大きく頷いて一際強く、少女の頭を撫でた。
「護衛対象である君にこんなことを言うのはおかしなことだろう。けれど、今は一緒に敵の企てを阻止する身だ。だから」
「私にも、貴方を助けてみせろと言うのですね? ミドール」
「そういうことになる」
「……それは、凄く、凄く良い提案だと思います」
「俺が言うのもなんだが、貴族としてどうなんだ、それは」
つい勢いと場の雰囲気から出してしまった内容を認識して、御堂は顔に羞恥の色を出した。
顔を見ずともそうだと思ったラジュリィは、そんな彼の様子と自分の発言がおかしく思えて、くすくすと笑ったのだった。




