4.3.8 帝国貴族の在り方について その八
外はすでに日も落ちて真っ暗だった。街灯もない市街地を照らすのは月の光しかない。
安宿の窓を開けて見える暗闇を見て、御堂は意外だと思った。
(賭博が盛んなのだから、夜間は歓楽街のようになると思っていたが、静かだな)
買い置いていた夜食、パンも具も硬めで噛み応えがあるそれを齧りながら窓を閉める。
今の状況とは関係のないことだが、木造二階建ての古い宿でも歪ながら窓ガラスがあるのは、また技術体系が奇妙なことだと思った。
最後の一切れを飲み込んで、部屋の灯りをしているランタンの火を確かめる。照明機器の類がないため、室内で視界を利かせているのは淡い光を放つこれだけだ。
「そう長話もせずに寝るのだから、ちょうどいいな」
布製のカーテン、と呼ぶには質素かつ簡易なそれを窓にかけて、その上から軽く叩いてみる。硬い感触がして、こつこつと音を立てた。
「この世界の時代感からすれば、まだ鎧戸が一般的だと思うのだがな……」
「ミドール、お湯を貰いましたよ」
振り向くと、寝巻きに着替えたラジュリィが長い瑠璃色の髪にタオルを当てていた。備え付けのシャワールームと水洗トイレがあるのも、また技術のあべこべを感じる。
口の中で「いつまで経っても不思議なものは不思議だ」そう呟いてから、机に向かい、丸椅子を引いて主人へ座るように促す。ラジュリィは「ありがとうございます」短く礼を述べた。
「周囲に怪しい気配はありません、魔術をかけていただければ盗み聞きをされる心配はないかと」
「ミドールは本当に真面目ですね、淑女と部屋で二人きり……この場合で口にする言葉は違うのではないですか? それに、口調も戻していますし」
「今は演技をする必要もありませんので」
本当は「風呂上がりの少女相手に気安い口調で接するのは危ない」と考えているのだが、当然、そんなことを伝えることはしない。その必要性も感じなかった。更に言えば、この少女がそれで調子に乗るのは目に見えている。
「もう……明日からは元通りにしてくださいね?」
「外ではそうさせてもらいます。それで今日の内に得られた情報をまとめようと思うのですが、よろしいですか?」
「ええ、有益な情報もあれば無益なものもありましたから、慣れているミドールに整理していただければと」
「わかりました、では──」
許可が下りたので、御堂はあらかじめまとめていた調査で得られた情報を語り出す。
「まず疑惑についてですが、間違いなく黒であると思われる情報が多く得られました。貴族のみを集めた賭博部屋には、厳重が過ぎる警備がされた隠し部屋がありました。それに地下の競技場には何らかを隠す大規模な魔術。疑惑を確信とするには十分過ぎます」
話を聞くラジュリィは一区切りごとに首をゆっくり上下させて、理解していることを示す。
「次に企てに関わっている者たち、及びに推測される規模ですが、現状で知り得る範囲では小規模だと思われます。町民や商人たちが関わっている様子はありませんでした」
「ミドールは、そう言った人間の機敏がわかるのでしたね?」
「確実にとは言えませんが、その類の訓練も受けていましたので、逆に賭博所で警備をしていた男たち、あれは明らかに軍人か、それに近い者でしょう。立ち振る舞いに隙が無さすぎました」
実際、等間隔で立っていた黒装束の男たちは全員、荒事に対処するためだけに存在するかのような威圧感を放っていた。貴族だけがいる場にはやや不似合いだ。この世界に来て日が浅い御堂でもそう感じた。
「とかく、まとめると怪しさ満点ということですね?」
「その通りです、ただ一つ懸念があります」
「……お聞きしても?」
「これだけ怪しさを出しているならば、自分たちでなくとも気付く者がいたはずです。それが最近になって密告者が出るまで、領主にも悟られていない……これが意味することはつまり」
ラジュリィもその意味をすぐに聡く理解した。タオルを机に置き、椅子から腰を浮かせて周囲の音を聞こうと押し黙る。数秒して、御堂に動きがないことで警戒が無意味であったことを察すると、座り直した。
「……それを裏付ける情報もあるのですね?」
少しだけ気まずいような口調で尋ねる少女に、御堂は安心させる情報を与えたかった。しかし、現実は無常である。
「先程、この宿に泊まっていたであろう他の客が出て行くのを見ました」
御堂が窓を開けて外を見ていたのは、ただ黄昏ていたからではない。複数の足音を聞き、一階出入り口から何人かの男女が、少し慌てた様子で立ち去るのが見えたからだ。
かなり強い、嫌な予感がしていた。
「聞いておこうと思いますが、私たちは逃げ出さなくても良かったのですか?」
「この暗闇で逃走劇を繰り広げられるほど、自分は強くありませんから」
もしラジュリィに意味が通じるならば、自分は忍者ではないとでも言いたかった。もしも御堂が想定する事態が起きて、敵がやってくるとしたらそれは──
それを口にする前に、木製のドアがとんとんとノックされた。向こうから「失礼、お客様にお荷物が届いております」という宿の主人の声がした。
「……嫌な予感が当たりましたね」
ラジュリィさんは後ろへ、そう小声で告げてから「わかった、少し待ってくれ」足音を極力消して、台詞に反して即座に扉へ向かう。静寂の魔術がかかったままなのが助けになった。
「なるべくお早く出てきてもらいたいのですが」
扉のすぐ前まで来るとわかる。主人の声が若干強張っている。
この扉は外開きだ。
「ああ、すまないもうすぐ着替え終わる!」
言い切る前に、足を振り上げて蹴破るつもりでドアを押し開けた。向こう側にいた主人が「うわっ」と悲鳴をあげ、何者かが倒れ、鉄鎧でも着ているらしい音を立てた。
「やはりそういうことか!」
幸いにも正面側に倒れ込んでいた主人の足を掴み、強引に部屋へ引き込む。半分放り投げる形で部屋の奥へ逃し、同時に片手で腰の得物を振り抜いた。
直後、扉を破壊しながらそれらは踏み入ってきた。全身に黒い布を被った人型、異形なのは左右の手先に鈍く光る刃を生やしていることだ。
唯一の穴二つから、冷酷な瞳が窺えた。それが三人。
(二人を守りながらでは、正直辛いが……!)
それでもやるしかない。
右手で刃渡り二十センチのコンバットナイフを構え、左手を懐に入れる。相手は無言のまま足音も出さずに飛びかかって来た。
「シッ!」
正面へ向けて懐から振り抜いた投擲ナイフを投げつける。寸分違わず首へ飛んだ刃は硬い金属音と同時に弾き飛ばされた。
(確認は取れた!)
ここまでは想定内。慌てない相手にも構わず、まず一人が爪を小さい挙動で振り降ろしてくる。
対して御堂は左へ摺り足で滑るように動く。胸元数センチ先を爪が降りて、その腕を左手で掴む。
「せいっ!」
変則的な投げ技が炸裂した。ぐるりと半回転した黒づくめが床へ叩きつけられる。息の詰まる音だけでダメージの有無を確かめ、背後から来るもう二つの気配に対処する。
投げ終わった姿勢は無防備に見えただろう、だが陸上自衛隊で学ぶ体術は生半可なものではない。
見ていたラジュリィからは、それが舞いのように見えた。人を投げて見せた御堂の背に爪が迫ったかと思うと、彼の身が空気のように軌道から逃れた。今度は御堂が水平に半回転している。
身を深く沈めた状態での足払い。硬いブーツと鍛え上げられた脚力は凄まじかった。内張の鎧によって重さと頑強さを誇っているはずの黒づくめ二人の足が、宙へ浮ぶ。
背中からひっくり返った二人を尻目に、先程倒れ、今にも起き上がりかけていた敵の胸元を踏みつける。両手で保持して振り上げたナイフが、驚愕してる片目に突き刺さった。
ぐちゃり、という柔らかい音。片目を潰されても悲鳴をあげなかったのは暗殺者の忍耐強さか、それとも──顔面に十五センチほど突き刺さった刃で絶命したか。
もう片足で顔面を踏みつけ強引にコンバットナイフを引き抜く。すぐさま身を翻した御堂が、今度は二人の内で片膝をついている方へ狙いを定めて襲いかかる。
懐から二本目の投擲用ナイフ、小さいながらも確かな鋭さを持ったそれを左手による刺突で眼球へ深く突き刺す。
今度は小さく「ぎあっ?!」と悲鳴をあげた。爪がついた手で顔を抑える男の頭部を、刺したままのナイフを押し込むように蹴り倒して、隣で起き上がりかけた男に同じ要領で大振りの刃先を突き刺した。
刺さりが浅い分だけ、ぐりっと捻りを加えて絶命させた御堂は「さて、最後の一人」と振り向く。
これまで多くの標的を消してきた暗殺者の目に、彼はどう映っただろうか、無表情で何も感じていないように仲間を惨殺する標的。まだ無傷の目に怯えが浮かんだ。
男が悲鳴をあげて逃げ出そうとするよりも早く、残っていた目も潰された。




