4.3.3 帝国貴族の在り方について その三
山岳地帯の麓にあるリッデムの街は、かつてより交易で栄え、今もなお盛況を続けている都市だった。
周囲を山岳地帯と森林地帯に囲われるこの地域において、道が舗装され、ある程度以上の規模を持つ都市は、それだけでも重要な立ち位置となる。
イセカー領と隣接する領地だけでなく、近場にある他領もここを経由して交易に訪れる場合も多く。更には、今ほどに関係が冷え切る前の聖国とやり取りをする玄関口として利用されることもあった。その街は、正しく要所であった。
(字面だけで地理を捉えようとすると、頭が少しばかり混乱するな)
駆竜が二頭で牽く馬車の中、揺れも小さい座席に腰掛けた御堂は、ムカラドの城で聞いた街の位置を再確認していた。腕を組み、黄ばんだ幌の天井を見上げて思考する。
(大陸を真上から見て北を上にしたら、イセカー領は大まかに逆三角形に近い形をしている)
頭の中にはだいぶデフォルメされた地図を浮かべられた。そこに、自身の知っている情報を書き込んで行き、詳細を作っていく。
(領主の城があるのは三角形の真ん中ではない。中身からやや右下側にある。今回行くのは、そこから西へ向かった端だ)
三角形の左側にリッデム、更に以前から知る土地として右上の北東に魔術学院、右の東に共和国。そして南に聖国と書き込む。これに加えて大きく左上、北西に行けば帝都があるのだが、それは割愛して描画する。
(次は土地についてだ。三角形の東側に深い森があり、それが共和国との境で伸びている。逆に聖国側には山脈が広がっていて、それぞれが国境となっている)
先に名前を出した街、リッデムも国境線にある立地なので要所だ。しかしそれ以上に、ムカラドが納めるこの辺境そのものが、帝国にとって重要な領土と言えた。
(同盟関係である共和国はともかくとして、聖国に対して睨みを効かせられる領地だからな、あの領主が納める理由も良くわかる)
重大な土地を任せられている自分の雇い主、ムカラドが帝国から高い評価を得ているのだと再認識したところで、重要な領地故に考えられる懸念についても推測する。
(この土地が邪魔に思うのは聖国で間違いない。賊に扮した魔導鎧で破壊活動をするくらいだ……しかし、腑に落ちないこともある)
「ミドール、まだ考え事をしているのですか?」
そのおり、隣から声がかかった。思考を止めて幌を見ていた視線を戻せば、薄らと頰を膨らませいつもの不満顔を作る少女がいた。
「もう、ミドールはいつもそうです。隣に淑女がいるというのに、何事かを考えてばかり」
言いながら、ラジュリィは白く細い指で思い人の頰を数度、ちょんちょんと軽く突つく。言外に『もっと私にかまえ』と主張していた。それを紳士的な力加減で払った御堂は、小さく頭を下げた。
「……申し訳ありません、今回の件についての情報を整理していました」
「それも淑女から見れば良くありません。女性を放置して役目だけを考えるなど、失礼に当たりますよ?」
これを翻訳すると『仕事と私、どちらが大事なの?』という意味になる。
相変わらず、この娘は自分が関わると真剣さが欠ける。呆れを隠しながら、諭すつもりで会話を続ける。
「騎士として見た場合は、間違っていないと思うのですが?」
「それは確かに、役割を果たすべき騎士であればその通りです」
「では、自分が怒られる理由がないのでは」
御堂は『それがわかっているなら、仕事の邪魔をしないでいただきたい』という意味を込めてそう言った。のだが、ラジュリィは納得せずむしろ不満を強めた。
「いいえ、これは貴方と私の役目にも関係することなのですから、こちらを優先していただかないと」
その言葉の意味を考えて、すぐに気付いて、溜息を飲み込んだ。つまり、
「ミドールと私は大商人とその連れ、つまり夫婦としてリッデムの街へ潜入するのです! 今からその役に入り込まないといけません!」
ということだった。御堂は後頭部に手をやって掻く、困ったときの癖である。
「前者は自分も承知していますが、後者については了承していません。貴族の令嬢がただの騎士にそのような……」
「いけません! 周囲の者に事実なのだと思わせられるだけの質が問われるのですよ! ならば、深い絆で結ばれた間柄でなければいけません!」
「……一応、伺っておこうと思うのですが、その根拠は?」
「今時の劇の役者がするには当たり前のことだと、ファルとローネから聞きました!」
今、目の前で放たれている狂言の原因を知り、令嬢の幼馴染である従騎士と従者に「あの二人、余計なことを……」と薄ら恨言を呟いた。
そんな御堂の心中など意に返さず、ラジュリィはもたれかかるように御堂の左腕を抱き抱える。
「それとも、私では足りませんか? ミドールの伴侶役として……」
一転して気弱な態度を取る少女。これが御堂でなければ、くらりと来ていたかもしれない。だが御堂は理性の鬼であった。生半可な小技など通用しない。
「地位も立場も、自分の方が足りていません。お戯れも過ぎては悪影響となりますよ」
「うう……いつにも増して、ミドールが素っ気ないです……どうしてそのような意地悪をするのですか?」
「御自覚がないと?」
責めるような眼差しがラジュリィの方へ向く。彼女は「うっ」と呻いて、視線をそらした。御堂の左腕は離さないが、引け目はあるらしい。
わかっているなら、どうして。幌馬車の外、先ほどから重い足音を立てる二体の魔導鎧、ウクリェが運んでいる車輪のついた木箱。四辺がそれぞれ五メートルはあり、魔導鎧やAMWを運ぶことに適していることがわかる。
問題は、それが二つあることだった。
「確かに、戦力としてだけで考えれば、ラジュリィさんの動向は理にかなっています」
「それなら、怒ることも……」
「貴女自身の身の安全などを含めたら、どう見積もっても理にかないません。ムカラド様がもう少し反対しておられたら、自分からも強く拒絶させていただきました」
「うう……」
しょげて崩れ落ちるのを御堂の腕に掴まって防ぐようにするラジュリィ。拒絶という言葉が思い人の口から出るだけでも、精神的なショックは計り知れなかった。
リッデムの街に蔓延る不正を調査する今回の仕事。これに彼女が同行することになった経緯は、端的に言えば『理性的駄々っ子の我儘』であった。
「確かに、貴女のティーフィルグンの特性は今回の件で役立ちます。彼らには悪いですが、ウクリェを随伴させるよりも余程にです」
六本の脚に大柄な胴体を持つ大型魔導鎧、ラジュリィの”ティーフィルグン“は、一見すれば潜入などを行う本件には不向きだ。けれども、この魔導鎧に隠された能力を発揮すれば、御堂と共に戦うに相応しくなる。ラジュリィはそう豪語した。
ラジュリィが話し始めてすぐは、ムカラドも家臣団も懐疑的な態度だったが、彼女が「私の魔導鎧の強さは、貴方なら良く知っていますよね?」と問われた御堂が、ついうっかり「凄まじい力だった」と答えてしまったことで、天秤は傾いた。
家臣団の「ウクリェを数機使うよりも成功するのでは?」という世迷言をラジュリィが拾い上げ、言葉巧みに話を誘導し、ついには父親のムカラドに首を縦に振らせたのだ。
本当に、人を扇動することに長けている少女であった。御堂は、その才能が末恐ろしいとすら思う。なので、この少女がそれで調子に乗らないように接する必要があった。
「ラジュリィさんは己の立場を過小に見すぎていることがあります。それも多いくらいにです。それが原因で何か起きたら、ムカラド様たちは悲しみますし、大きな損失になってしまう。だから自分は反対しているんです」
「……騎士ミドールは、私の身を案じているのですか?」
「以前より何度もそう言っていますし、何時でもそうだと言ってみせます」
顔色も変えずそう言ってのける御堂に、ラジュリィは頰を赤く染めた。「えっと、その……」と口籠る彼女に言葉を重ねる。
「自分が怒っていることを正直に言えば、ただでさえ難しいと感じている任務に、大事な人を守り通すということが付与されたことです。自分の頭を悩ませるには十分なことです」
「だ、大事な人……!」
無論、これは御堂の立場から出た言葉なのだが、そう理解できるほどラジュリィの思考回路は動いていなかった。一気に加熱し茹だった脳は「今が攻め時!」と謎のシグナルを発した。
「で、では今からでも私を城へ戻しますか?」
御堂がこれに肯定するはずがない。そうわかっていての問い。それに御堂は見事に引っ掛かる。
「いえ、ここまで来て戻れと言うには自分の権限を超えてしまいます。決定を下したのはムカラド様ですし、それに……」
「それに?」
「……いえ、これは伏せておくことにします」
ふいと、御堂はラジュリィから顔を背けた。これで話は終わりだという態度だったが、ここで急速回転した恋する乙女の思考が今度は「追撃せよ!」とシグナルを発した。
「な、なぜ伏せるのですか?! 続きをお聞かせください!」
その先に自身が望んでやまない言葉があるのだと確信したラジュリィはしつこくせがんだ。だが、御堂がそれを口にすることはなかったのだった。
ちなみに、これの続きは「護衛もなしに引き返させるのは危険だから」という、業務的な台詞なのだが、口にしたら間違いなくラジュリィが臍を曲げると察したので、御堂は黙ることにしたのだった。




