4.3.1 帝国貴族の在り方について その一
「まだ少し脇が開いているな、もう少し締めてから振ってみろ」
「こ、こうかしら」
御堂が付き合いの長い従騎士に剣の手解きをしていたのは、朝も早くまだ暑さの弱い、涼しい空気が漂う時間帯だった。二人が仕える辺境伯、ムカラド・ケントシィ・イセカーが居城にある庭園は、即席の貸し切り訓練所になっていた。
「まだ姿勢がぎこちないな、慣れない振り方だとは思うが」
「そうかしら……こんな感じ?」
ぶんと空気を斬る音を鳴らし、上段から振り下ろす動作を繰り返す少女に御堂は「もう少し鋭さを意識してみてくれ」と告げてから、ふと考える。
(この世界における剣術は、どうにも荒っぽい部分が目立つ)
地球人である御堂がこの異世界、ミルクス・ボルムゥにやって来てもう数ヶ月が経つ。その間に師範や講師の真似事をして得られた知識経験から、こちらでの剣術体系に対する理解が深まりつつあった。
(魔術という個人技法があるからだろうか、いまいちこの世界の剣術は実用性が薄く感じる……いや)
逆に取れば、実用的ではあるのだ。ただ鈍器のように振り回して叩き付ける。それだけをする武器として扱っていれば、技術など不要だろう。
(そう取れば、日本での刀剣の扱いと同じなのか?)
例えば戦国時代の刀。あの時代の剣術も実用的かと言えば少し違うだろう。戦で刀を抜くのは最後の最期である。戦の主流は弓や槍、銃であったからだ。
それでも個人の武勇を示すものとして、剣術は残り続けている。歴史に詳しいわけでもない御堂にはいまいちわからないことだったが、彼の師である『現代の侍』は語っていた。
『刀や剣って言うのはね、使う時に最も技量差が大きく出る武器なのよ。だから、個人の武勇を競い合うには持って来いだったわけね。そして、その技量差は他の武器を超えることだってできる。要するに伸び代と可能性を併せ持った武器なのよ』
それだけ話してから、彼女は最後に『まぁ全部持論だけどね、私も日本史の成績悪かったし、てきとーな考えよ』などと言い、笑っていた。
けれども、御堂はその語り全てが個人の持論だけで収まる言葉とは思わない。
(その考えが魔術という存在で無用の長物とされていたから、この世界の剣術はああも……)
「ちょっとミドール殿、また考え事?」
はたと気付けば、木剣を降ろしたファルベスが不満さを抱いた目を御堂に向けていた。せっかく師範をしてくれているのに、自身を放って考え事に耽っているのはよろしくない。そんな様子だった。
「すまない、ファルベスに俺が知る剣術をどう教えるべきか、考え込んでしまった」
「そう、それなら許してあげる……考えた結果を具体的に教わっても?」
「勿論だ」
再度構えを取ったファルベスに歩み寄り、後ろから華奢な両腕を掴んだ。突然のことに少女は「ひゃっ」と驚いて声をあげる。頰も相応に朱に染まるが、後ろにいる御堂は気付きもしない。
「すまない、だが姿勢を正さないと基礎ができないからな」
「き、気にしないでいいわよ……そ、そそ、それで?」
「ああ、二の腕をもっと胴に寄せて……」
両腕を寄せて、ファルベスに剣道で言うところの中段の構えを取らせる。これを傍目から見れば、頭一つ小さい少女を男性が後ろから抱きすくめているように見える。されている側も、そうとしか認識できていなかった。
「は、はわわ、はわ」
「……よし、この姿勢からゆっくり振り上げて」
ファルベス・アルベン齢十四歳。異性との接し方など、戦士としての訓練で嫌というほどに知っている。だが恋愛的な意味で気になっている異性との接し方に関しては全くの無知であり、素人も素人だった。
後ろから感じる温もり、後頭部から頭頂部にかけて吐息を感じる。意中の人に包まれているかのような感触は、それはもう年頃の女子には猛毒であった。
ファルベスは力も抜けて何とか木剣の柄を持っている状態だが、肝心の相手はそれにも気付かない。ただただ、腕を取って振り上げ振り下ろす動作をやってみせる。
「振り下ろす時に効き足を前に出す、忘れているぞ」
「ひゃ、ひゃい」
構えがなっていない。言いながらファルベスの細い足に自分の足を重ねて、前にぐいと押す。
あくまで師範として接している御堂からすれば、なるべく親切にわかりやすく教えているつもりだが、これは逆に冷酷とも言えよう。
これでは生殺しにするかの如く、焦らされているようなものである。
故に、少女の思考回路はショート寸前であった。
「……何をしているのやら」
この様子を呆れた表情で見守っていた御堂の従者であるローネ・スクヤーは、骨抜きにされている従騎士にして幼馴染、砕けた言い方をすれば妹分を見て、息を吐いた。
この少女は、約十メートル前方で顔を真っ赤にしているファルベスや、もう一人の主人であるラジュリィ・ケントシィ・イセカーとは違った。二人よりも年上の年長者として、しっかりと立場を弁えて御堂と接していた。
仕事で接する相手にあのような醜態を晒すなど、あってはならない。ローネは今年で十八歳になっている。二年も前に成人した立派な大人だ。
だからこそ、仕事とプライベートはきっちり分けるようにしているし、それができてる。
「少し情けないですよ、ファルベス……」
思わず呟く従者であった。
ところで彼女が着ている従者の服、地球で言うメイド服を思い切り地味にした服装の下だが、それなりに豊かな胸元には、服の下に隠すようにして小さいネックレスが下がっている。
濃い橙色をした小ぶりな宝石がはまった、シンプルなデザインをしたそれは、彼女が密かに慕う男性から貰ったものだった。
ただの従者に送るにはかなり大袈裟な品であるし、そんなものを従者に渡す主人など聞いたこともない。
当然、ローネは受け取りを断った。しかしそれでも、その男性は日頃から世話になっているお礼だと言って聞かなかった。そしてほとんど押し付けるようにして、綺麗な布で包装された品をローネに渡してきたのだ。
流石に受け取ったものを返すなど失礼にあたるし、従者ではなく一人の女性として嬉しく思う気持ちがあったのも、間違えようのない事実だった。
だからローネはそのネックレス、ついている宝石の価値からして一介の従者では絶対に手に入らない品を、大切にしている。
それはそれとして、表立って身に付けるのは従者として不味いし、何よりもう一人の主人である少女に知られたら氷漬けにされかねない。だから、いつも服の下に隠すように身につけている。
(もっとも、あの方はこの首飾りの価値など、知らないのでしょうけど)
その送り主は今、教え子の様子がおかしいことにやっと気付いて、「おい大丈夫か、ファルベス?」と声掛けをしている。
主人と従騎士が惚れ込むほどの美丈夫。しかも伝説の存在となると、接する際に公私混同しないだけでも、十八歳の乙女には精一杯なのだった。
「あのお方も、鋭いのか鈍いのか、はっきりしないですね」
ラジュリィ様に対しては相当に鋭いのに、そうまでは口に出さず切なげに溜め息を吐くに留める。
さて、そろそろ骨の抜けたようになっている妹分へ助け舟を出そうかと思い、ローネが一歩踏み出したところ。
「すまん、ミドール殿はいるか?」
庭園の出入り口から革鎧を身に纏った背の高い男がやってきた。ファルベスの父親にして兵士長のオーランである。
御堂は彼の姿を認めると「どうした、何かあったのか?」とへたり込んだ少女から視線を外し立ち上がった。
騎士の足元でぐんにゃりしている娘の様子に少し戸惑ったオーランだったが、ある程度の察しはついたので、気を取り直して要件を告げた。
「ムカラド様がお呼びだ、またぞろ頼み事があるらしい」
「領主様が? どうにも最近は出番が多いな」
「それだけ頼られているということだろうさ、何かしていたようだが、来てもらえるか?」
「無論だ。すまないファルベス、この続きはまた今度だ」
彼女がこくこくと頷くだけの仕草をしたので、それを肯定と受け取った御堂は「ローネ、彼女を頼む」と介抱を頼んで、オーランと共に足早で去っていく。
「……ミドール殿、兵士ではなく一人の父親として一言だけ言わせて欲しい……できれば、責任は取ってやってくれ」
「ん? ああ、きちんとした剣術は扱えるようにするさ、それが勤めだからな」
「そうじゃなくてだな……いや、いい」
領主が待つ玉座の間へ行く道中、御堂とオーランの間でそんなやり取りがあったのだが、姉貴分に「ほらしっかりなさいファル、騎士としてはしたないですよ」と惚けた頰を叩かれている娘が知る由はなかった。




