4.2.1 ダンジョン・アタック! その一
注意
むさくるしい章です
帝国が辺境にて防衛の要衝、国防の盾を一手に担うイセカー領は、帝都の重鎮も軽んじられない重い存在である。その主にあたる領主、ムカラド・ケントシィ・イセカーは、自身の居城にある執務室で重い溜息を吐いた。
大柄な体躯を持つ彼はらしくもなく、眉間を揉むように指をやって顔をしかめた。領主として、貴族としてやっていくため、これまで何度も苦難することはあった。
だが、今回の件はそういった事柄から少し外れていた。
ムカラドの目の前、執務机に鎮座している一枚の書類。それが辺境伯の悩みの種となっている。それがなにかと言うと、
「彼奴、学院で何をしているのだ……?」
地球で言うところの通信簿であった。魔術学院へと送り出したムカラドの娘、ラジュリィ・ケントシィ・イセカーがそこでどのような生活を送り、どのように学を得ているのか、その詳細がインクで綴られている。
手紙の封を開けるまで、ムカラドも子の親として人並みに娘の頑張りを知る楽しみを持っていた。それが蓋を開けてみれば出てくる出てくる、学院での娘の暴走っぷり。
これには流石のムカラドも呆れた。領地を出る前の娘はもう少し分別と言うものを持っていたように見えたが、それは錯覚だったのだろうかと己を疑う。
その娘も明後日には、学院からイセカー領まで一時的に帰郷する。夏季の長期休暇があるからだ。
普通の貴族であれば、再会した子息子女を表向きには叱咤激励し、あるいは業績を褒めあげるものだ。が、娘が学院で騒ぎを起こしている問題児となれば、叱りつける他ない。
「だが、こちらが言った手前、上から叱るわけにもいかん……」
再度、ムカラドは重い息を吐く。何を隠そう、ラジュリィを焚き付けた一人がこの父なのである。なので、娘が暴走している理由もすぐにわかった。
「確かに、授け人を抑えるために多少は無茶をしろと言ったが」
授け人、イセカー領に現れた伝説上の存在である御堂るいを手中に収めるため、ムカラドは娘を利用しようと画策した。
幸いなことに、ラジュリィも御堂を悪く思っていない様子で、むしろ気に入っている様子であった。なので、ムカラドは確実に授け人を抑えるため、娘に激励の言葉をかけていた。
それを要約すると、次のような内容になる。
『ミドールを手に入れるためには、女としての武器を使ってでも魅了する必要がある。お前の母が私にしたように、苛烈と言われる手も用いてみせよ』
これを仰々しく過分に装飾された話し方をして、学院へ出立する直前のラジュリィに告げていた。
その結果、ラジュリィはこれを拡大解釈。どのような手を使ってでも御堂を我が物にしようと奮起した。
それでどうなったのか、ムカラドも学院からの遠回しな抗議文で理解するに至った。
周囲の貴族から「深海の真珠」とまで呼ばれた奥手で純心だった生娘はどこへ行ったのやら、今では獲物を追い回す猟犬……と言うよりかは狂犬である。
「これは早急に手を打たねばならん……」
この有様を他領地の貴族に知られれば、それは領地と領主にとっての弱みになってしまう。それだけは避けねばならない。帝国において、悪い噂というのは領地の評価に決して小さくない影響を及ぼす。
領主が軽んじられれば、それは領地も軽く見られることになる。そうなればムカラド自身の面子が潰れ、何より領地で活動している民の生活に悪影響が及ぶ。
帝国貴族の中では珍しく「貴族は領民の働き無くして立ち行かない」と考える彼にとって、かなり重大な死活問題であった。故に、恋に盲目状態である娘を落ち着かせなければならないのだが、
「どうするべきか……下手に引き離すと、何をするかわからんし……」
領地にいた頃からの娘の様子から推測したムカラドの予想が正しければ、ラジュリィは御堂に首っ丈だ。下手に引き剥がそうとすれば、こちらに魔術を放ってくる危険性もある。
「逆に、早々に娘とミドールを婚約させてしまうのは……駄目だな」
自分で言ってから、すぐにその案を否定する。
御堂はムカラドが叙任した騎士である。その格は相応に高く、下手な貴族となら肩を並べられた。だがそれでも、騎士は騎士、貴族は貴族と考える者が多数派である。皇帝がそうだと認めていても、下の者がそれに納得するとは限らない。
つまり、間違いなく外部からの難癖を受けることになるのだ。それは看過できない。
さてどうしたものか、頭を抱えたくなるのを堪える領主。その時、机の端に積まれた羊皮紙に目が行った。臣下からの陳情である。内容を思い出し、ムカラドは閃きを得た。
「そうか、これならば……!」
娘に納得させつつ、授け人を一時でも引き剥がす手段を得たムカラドは、早速それを実行するための根回しを開始するため席を立つ。
惚れた相手に付きっ切りだから、恋の熱も冷めないのだ。であれば、一刻でも側に想い人がいない環境を作り父として直接、過激な行動を控えるように諭す。こうすれば、暴走している娘も少しは落ち着きを取り戻すはずだ。
確信とも呼べる自身を持って、ムカラドは企てを実行に移すため動く。
もしこの時、御堂がこの場にいたならば、次の言葉を口にしていただろう。
「子の心、親知らず」
***
「魔獣の異常発生ですか?」
「そうだ、これの原因を其方に探ってもらいたい」
数日の帰路を得て御堂とラジュリィ、それに従者のローネとファルベスの四人は、久方ぶりにイセカー領まで戻ってきていた。それからすぐ、御堂とラジュリィの二人は謁見の間へ通され、呼び出しの主であるムカラドから用件を聞かされていた。
「そう言った調べ事も騎士の役目とのことであれば、喜んでお引き受け致しますが……申し訳ありませんが、自分も学者ではありませんので相応の時間を頂くことになるかと」
片膝を着き、首を垂れていた御堂は疑問を口にした。
領主であるムカラドは片手を上げて「面を上げて良い」と許し、騎士は素直に応じて顔を上げる。
「いや、其方に学士の真似事をさせようとは思っていない。役割が違うであろうしな」
「と、あれば自分は何をすれば?」
「原因を探ると言っても、下調べ自体は済んでおる。魔獣の現れる場所だけだがな」
「そう致しますと、父上は騎士ミドールにそこを調べさせるおつもりなのですね?」
御堂の後ろに控えていたラジュリィの解釈に、ムカラドは大きく頷いて見せた。それで主人が自分に何をさせたいのか、御堂は正しく理解した。
「そこは魔導鎧を持ち込める場なのでしょうか」
「いや、報告では洞穴であると聞いた。多少は動ける広さだとのことだが、魔導鎧では満足に動けまい」
「としますと、生身で調査する必要があるわけですね」
領主からの話に、御堂は薄らと困り顔を表した。機動兵器を用いての魔獣駆除であれば、難なくこなしてみせる自信はある。だが生身となれば話は別である。多少は刀剣の扱いに心得があると言っても、それは同じ人間を相手にした場合のことだ。
未知の怪物を相手に有効な術を御堂は持ち合わせていない。
ムカラドもそれは承知の様子で、「不安に思うことはない」と和やかな口調で口を開く。
「其方を一人で向かわせるほど私も考えなしではないし、其方の武勇を過大評価もしていない。大人数にはせぬが、数名腕が立つ者を付ける」
「それはありがたいことです。これが単身で臨めと言われましたら、肝が冷える思いでした」
「其方であれば、それはそれでどうにかしてみせるのではという予感もあるがな」
「お戯れを……」
領主である父と自身の騎士が和気藹々(のように見える)な会話をしている間、ラジュリィはまた一つ企てを立てていた。
(ミドールと言えど、生身で魔獣を倒す経験はない……であれば、窮地に立たされることもあるでしょう……これはつまり)
要するに、調査の最中に襲われた御堂を自分が助ければ、好感度が大きく上がると考えていた。更に付け加えると、そこで吊り橋効果の要素が加わることで、あわよくば的な展開に持ち込めるのではと、淑女がするには少しはしたない妄想もしている。
「それでは父上、私と騎士ミドールは早速調査の準備をしますので」
もはや彼女の中で、計画が成功することは確定事項となっていた。柔かな笑みを浮かべて御堂を引っ張り立たせて退室しようとする。まるでピクニックにでも行くような雰囲気すらあった。
「何を言っている、お前を行かせるわけがないであろう」
その雰囲気は、ムカラドの当然と言えば当然の言葉で粉砕された。
「……なぜでしょうか、父上?」
笑みだけは変わらず、しかし声音が少し低くなった娘からの問いに、父は怯むこともなく淡々と答える。
「お前は我が娘であるぞ、何故に騎士と連れ添って魔獣の駆除に赴かねばならん?」
「そ、それは……」
「少しは自身の立場というものを弁えよ。とかく、ミドールへの同行は認めん」
この会話の最中、ラジュリィに腕を掴まれたままだった御堂は「ここで魔素を撒き散らさない辺り、この娘も成長したものだ」と、周囲にダイアモンドダストが発生しないことを踏まえ、齢十六歳の主人に対する感想を抱いたのだった。




