4.1.13 Mrs.ミドールの長い一日 その十三
翌日、ミドール女体化事件と称された事の顛末について、学院長室で話がされていた。
「ミドールを売り物にしようとした一味じゃが、まぁ予想通り非合法の奴隷売りだったようじゃ」
背もたれの高い椅子に腰掛け、手に持った書き物。衛兵から渡された商人たちの処遇について書かれた報告書の写しに視線を落としながら、クラメット老人は言った。
机を挟んで反対側に立つ御堂は、「でしょうね」とわかっていたように頷く。
「帝国の奴隷制度については以前に書物で読みましたが、ああ言った手合いもやはりいるのですね」
「左様、いくら潰しても湧いて出てくる、害虫みたいな奴らじゃ」
「学徒に被害がなくて何よりです」
「まったくもってそうでじゃが、講師に被害が出ても大変なことじゃよ。運と巡り合わせが悪かったにしても、少し迂闊であったな、ミドール」
ちらりと、書から御堂の顔に目線を移したクラメットに、御堂は深く頭を下げた。
「あのような者と相対する機会が無かったとは言え、自分が不用心でした。自身の不明が巻き起こした騒動事です。如何なる処分でも」
「……其方はいつもいつも処分をしてくれと頼んでくるのじゃな。時折、其方の身が心配になるのじゃが、他の貴族連中の前でそのような態度を取ってくれるな」
古い貴族でもある老人は、この自責的な若者の将来を少し憂いた。理解がある者なら良い。だが人の弱みに付け入り蹴落とすことを是とするような、性悪の貴族に目をつけられたらと思うと、クラメットも少し肝が冷える思いだった。
そんな学院長の考えも知らず、御堂は頭を下げたままである。
「ですが、これは自分の――」
「良い! わしが許すから頭を上げよ! そも、何を許せば良いのかもわからなんだ。奴隷商人を捕らえた功績を讃えるならわかるがな」
「はぁ……学院長がそう仰るなら」
それでようやく、御堂は面を上げた。
事実、これまで捕まらずに拉致行為と非合法な奴隷商を行っていた犯罪組織を一つ潰したというのは、決して小さくない功績であった。
しかも、今は帝都で貴族令嬢の拉致、失踪事件が発生している最中である。帝国はこの手の犯罪者の取り締まりを強化していた。
御堂の知る由もないが、捕まった奴隷商人らは帝都に連れられ、厳しい尋問が行われる運びとなっている。前述の事件に関わっている可能性が少しでもあれば、それは重大な問題であるからだ。
これも御堂たちが知る由のないことであるのだが、後日の帝都で一つの不可思議なことが起こる。
帝都に御座す皇女殿下が、話題の奴隷商を摘発された件で「学院にいる授け人が活躍したおかげである」という話を耳にした。
それからしばらく、皇女は大層機嫌が良くなり、側に控える近衛たちがどうしたのかと怪訝顔で首を捻ることになった。
閑話休題。
「とかくじゃ、其方は学徒に害が及ぶ前に危険因子を排除した。それを褒めことすれ、叱りつける道理はない。良いな?」
「寛大なお言葉として受け取っておきます」
「うむ、ミドールに関してはそれで終わりじゃ」
一歩下がった御堂の左右の後ろから、肩を落としてしょぼくれた様子の女学徒が二人、前に出た。
今回の騒動を引き起こす切っ掛けとなったラジュリィとトーラレルである。
「……わしはのう、君らも少しは平常心を持っておるものだと思っておった。色恋に眼を曇らせたと言うほど、盲目になっていないとな。それがのう……」
静かな口調で、怒気というよりも残念そうな学院長の態度は、むしろ強く、少女二人に罪悪感を抱かせた。
「君らだけで騒ぐならまだしもじゃ、他の学徒をも巻き込み、その上で講師までも加担させるとは、流石にお咎め無しとはできん」
ちなみにだが、その加担した講師であるトイズは講師主任であるトルネーにこっぴどく叱られた。
くどくどと叱られている間、彼女の長い耳はこの場にいる二人の肩と同じくらい、しょんぼりと下がっていたという。
「はい……非常に申し訳ありませんでした……」
「反省しております……」
すっかりしょげているらしく、二人の謝罪もそれの応じて弱々しかった。
二人とも、先日の時点で御堂からの静かながらも苛烈なお説教を受けているのだ。
そのときの二人の落ち込み様は凄まじく。御堂が一言「君らには失望しかけた」と言った際など、ラジュリィは大粒の涙を零し、トーラレルは顔面を真っ青にしたほどである。
日本で言うなら土下座とも取れるほど低く低く、床に頭をつけて謝罪の言葉を連呼し、「どうか見捨てないで」と懇願しながら自身の足に縋り付く少女らに、逆に御堂が罪悪感を覚えてしまった。
お人好しな部分もある彼が「わかった、この件についてはもう咎めない、頭を上げてくれ」と口にし、二人を許してしまったのも不可抗力と言えるだろう。
だが、学院長であるクラメットは流石にそこまで甘くはない。
「君らには処罰を与えねばならん。軽いもので済ますこともできん」
声を低くした老人の言葉に、ラジュリィもトーラレルもびくりとした。後ろで聞いていた御堂は、まさか退学までもあり得るのかと早合点すると、再び前に出てしまった。
突然の行動に怪訝だと眉を顰める学院長と、驚いてこちらを見上げる少女たちからの注目を受けながら、口を開く。
「お待ちください、自分が奴隷商を捕らえることができたのは、二人のことがあったからでもあります。言わば、二人のおかげで功績を得られたということでもあるのです」
「……ミドール、其方はそこが問題では無いとわかっていて、そのようなことを口走っておるのか?」
クラメットは呆れた様子で尋ねる。御堂も大人である。二人を咎める意味も理解していたし、自分が口を挟むことでもないことなど百も承知。
けれども、御堂は庇い立てる言葉を止めなかった。そもそも、自分が不用心に魔法薬を飲んでしまったのが全ての原因だと考えているから、というのは半分の理由。
「いえ、自分にはわかりません。ただ、自身のみが功績を受け取り、この二人が厳罰を受けるということには、納得しかねます」
「しかしのう、其方が納得するかどうかも関係がないのはわかるじゃろう?」
「この騒動における被害者は自分です。その者が相手を許し、処罰を望まないと言っているとしてもでしょうか」
もう半分は、男としての性が出てしまっている、俗っぽいとも言える理由だった。
クラメット老人も伊達に歳を重ねているわけではない。若者の暴走のわけなど、すぐに見抜いた。
「ふむ、ミドールがいた世界ではそれで収まるのかもしれんが、ここにはここのやり方がある。これもわかっておるだろう? だが、其方は納得できんと言う」
学院長は目を細め、御堂をじっと見つめる。目上の者からされる品定めじみたそれを受けても、御堂の瞳は真っ直ぐとクラメットの目を見返していた。
数秒、根比べのような時間が過ぎ、先に視線を外したのは老人の方だった。
「……わかった、わしの負けじゃ、厳罰とするのはやめてやろう……けれど、処罰無しとはいかん」
「それだけでも有り難きことです……物分かりの悪い自分の言い分を聞いて頂き、心より感謝します」
また頭を深く下げた御堂に、クラメットは手の平をひらひらと揺らした。御堂がわざとわからない振りをしていたことなど、最初からわかっていたことである。
その上で、馬鹿を演じてまで二人の少女を庇い立てる姿勢を蹴飛ばすなど、この老人にできるはずもなかった。
「あー良い良い。其方も案外、馬鹿な男だという意外な事実が知れたことで、諸々は許してやる」
「重ね重ね、ありがとうございます」
「じゃが、あまりわしを困らせないで欲しいのう……若さの輝きというのは、この老眼には眩しすぎる」
眩しい眩しい、と目元に手をやって揉んでみせる老人だった。
「もう二度と馬鹿をやらなくて済むよう、二人には自分から良く言い聞かせますので」
「そうして欲しいのう、まったく……処罰については追って知らせるから、それまでは自室で待機しておるように」
それで会話は終わりだと、クラメットは椅子を回して背を向けた。小さく頭を下げて踵を返した。その彼を、ずっと話に置いてかれていたラジュリィとトーラレルが見上げる。
「み、ミドール……全ては私が悪いことなのに、どうして……」
「何故、学院長に逆らってまで……」
困惑を隠せない二人に、御堂はまた溜め息を吐いて答える。
「俺の不明が原因で起きた騒ぎで、二人が重い罰を受けたら嫌だからな」
「ですがそれは私が……」
「くどいな」
並ぶ二人の顔、その間に顔を近づけ、小さく囁く。
「二人がいなくなったりしたら、俺が困るんだ。それで納得してくれ」
それは一撃必殺級の威力を持っていた。顔を紅潮させた少女二人が、その場でへなへなと崩れ落ちなかっただけ、褒められたものだった。
我ながら臭いことを口にしてしまったと、言った本人も少し頬を染めながら、部屋から出ようとしたそのとき。
「おっとそうじゃった。ミドールよ、これを持って行くと良い」
クラメットが三人を呼び止めた。




