4.1.6 Mrs.ミドールの長い一日 その六
大脱走作戦はローネ、ファルベスの手腕もあり、無事に成功した。二人に見送られ、御堂は学院の裏から学院都市へ向かう道を行く。
(一応のためと、羽織る物を貰えたのは行幸だったかもしれないな)
今の御堂の服装は、野戦服の上に丈が長い薄手のローブを纏っている。目立つ服装ではいらぬトラブルに巻き込まれてしまうのでという、ローネからの気遣いの品だった。
実際、今の御堂をぱっと見ただけならば、どこぞの令嬢に見えてしまう様相である。黒い髪と対照的な白い女性服。布地に施されたシンプルな装飾が、逆に着ている者の育ちの良さを彷彿とさせていた。
(あの娘たちも街までは追いかけてこないだろうし、しばらくは学院長の捜索に専念できるな。まずは情報収集から始めなくては)
まず、御堂は学院の正門側にある通りにまわった。移動の最中、どうにも視線が気になったが、今の服装が目立つはずがない。気のせいだろうと考えて無視する。
正門の大通り沿い、商店だけではなく立ち食い形式の飲食店も立ち並ぶそこは、買い食いをしている学院長が良く目撃されるのだという。他の従者から聞いたというローネの情報であった。
「失礼、主人に少し聞きたいことがあるのだが、よろしいだろうか」
肉と野菜の串焼きを売り出している軽食屋に目を付け、網に視線を向けている店主に声をかけた。いかつい顔をした男性店主は、御堂の方を見ずぶっきらぼうな口調で返す。
「なんでぇ、食い物に用がないなら余所に行き……」
途中、ちらりと店先にいる女性を見て、店主は硬直した。
「すまない、食事には今度うかがうから、話を――」
「お、おう! なんでも聞いてくれやお嬢さん! あとこれやるよ!」
急に態度を変えた店主が突き出した、塩を振った根野菜の串焼きを渡される。変に思いながらも、御堂はそれを受け取った。
「すまないな、この辺りにクラメット老人、いや学院長殿が来なかっただろうか」
「お嬢さんは学院の人か? ここいらじゃ見ねぇようなべっぴんさんだったが、お貴族様だったんだな」
「世辞はよしてくれ、そんな良い出の者じゃないんだ。それより……」
「おう、学院長のじいさんだな! それなら一時くらい前にうちで肉焼きを買って、この通りを学院の反対側に歩いて行ったぞ」
「なるほど、向こうか……」
店主が指差した方角、大通りを通って行ったという方向を見る。今日は休日ということもあり、人通りも多い。この中から人を探し出すのは一苦労しそうだ。
「主人、そのときの学院長殿の服装に覚えはないか?」
「ん? じいさんならいつも学院の外套と縦長い帽子だな」
「つまり、いつも通りの格好ということか……意図が掴めないが」
普通、日中に学徒や講師が学院から外出する際には目立たない私服に着替える。無用なトラブルに巻き込まれるかもしれないし、貴族の関係者だと見せしめる利点が少ないからだ。加えて、あのクラメットが自身の権威を見せびらかすようなことをするとは思えないのもあった。
探す側としてはありがたいが、不可解でもあった。顎に手をやって思案する御堂だったが、
「着替えが面倒くさいからって聞いたな、あのじいさん、偉い割に横着だからな」
「……そういう理由か」
案外、深く考えることもない理由であった。
「もう一つ聞きたいのだが、学院長殿が向かう先に心当たりはないか?」
「そうだなぁ……そういや、じいさんは休日の日はいつも書店巡りをしてるって、他の商店の奴らが言ってたっけなぁ、小難しい本じゃなくて、俗っぽい読み物を買うんだとよ」
「書店か……そう言った物を扱う店は、この辺りにどれだけある?」
ようやく大きな手掛かりを得られた。更にクラメット老人の行き先を更に絞ろうと、追加で店主に尋ねる。あまり街を出歩かない御堂は、書店の場所がわからないのだ。
「お嬢さん、ここは学院都市だ。つまり書物を扱う店なんてぇのは山ほどある。流石にそのどれに行ったかは俺にもわからねぇな」
しかし、御堂の目論見は呆気なく頓挫してしまった。言われて見ればここは学院都市なのだから、それに付随する形で学徒向けの書物や、逆に学院から出された学術書、魔術書を扱う店舗が多くなることは明白であった。
(これはかなり難しいな……いや、書店ということに縛れただけマシか)
捜し物というのはいつも、すんなり上手くはいかないものだ。御堂はそう切り替えて、話を打ち切ることにした。
「それもそうだな、すまない店主、店先を塞いでしまった」
「いやいや、お嬢さんみたいなお客さんならいつでも歓迎だぜ、今度は串焼きを買って行ってくれよな!」
「ああ、必ず」
受け取った串焼きを振り、御堂は店を後にした。後ろから年季の入った女性の「あんた! 何でれでれしてんだい!」という声と悲鳴が聞こえた気がしたが、今は手掛かりを増やすことが先決である。歩幅を緩めず、塩をかけたジャガイモのように見える根野菜に齧り付く。咀嚼して、ぽつりと呟く。
「中々、美味いな」
***
それから御堂は街中を歩き回り、人に道を尋ね、店舗を覗き、聞き取りを行っていた。けれども、結果は芳しくなかった。
(おかしい、妙だ)
目撃証言を頼りに、学院長がいるとあたりをつけた書店から出て、御堂は考える。ここにも探している人物はいなかった。これは明らかにおかしい。
(クラメット老人を見たという話から時間を逆算すれば、この周辺にいる可能性は高いはずだ。なのに店だけでなく、人混みの中でもあの目立つ様相の老人が見つからなかった)
あの老人の対応をしたと、店員もはっきり言っている。覚えていないだとか、わからないという者はかなり少なかった。思案しながら路地を歩く御堂は一つの推測を思い浮かべた。
(店舗以外、通りかかりの住民は皆、あの目立つ服装を見ていないと言っていた。ますますおかしい……店の人間が覚えていて、道行く人が覚えていないなど、普通はありえない)
そう、普通ではありえない。おかしい。しばらく唸りながら、地面を睨みながら歩き回る。数分かけて御堂はやっと思い出した。この世界には“普通ではない”事象を起こす術があり、学院長はその優れた使い手だということを。
「魔術か……認識を阻害するとか、記憶を曇らせるとか、そういう類か?」
以前トルネーから聞いた話では、そう言った他者の脳に作用する魔術はかなりの難易度であると言う。だが、学院長ならばそのくらいは容易くやってのける気もする。
ここに来て、目的の人物を見つけ出すのが非常に困難であることに気付いてしまった。げんなりした気分になり、御堂はぼやく。
「まいったな……」
「何がまいったんだい? 綺麗なお嬢さん」
独り言に返事をされて、御堂は思考を止めて「ん?」と周囲を見渡した。そこは路地裏の奥にある、馬車などを駐車しておくために作られた少し開けたスペースであった。
商業区とは離れた住宅地でもあり、人の気配もほとんどない。どうやら、相当に集中して考え事をしていたので、知らず内にこんな所に来てしまったらしい。
して、そんな御堂の前にいるのは、屈強な印象を受ける大柄な男だった。身長が元より少し下がったので、その顔を見上げる形になる。切り傷がある顔には、下世話な笑みが張り付いていた。
見るからに、アウトローとかそう言った言葉が似合う男だった。対し、御堂は貴族令嬢とかそう言う言葉が似合う女性になっている。この相関関係から導き出される答えは、どう考えても碌なものではない。
「いや、ちょっと道を間違えた。失礼する」
こういう時は会話もせず、さっさと立ち去るべきである。それを実行しようと回れ右して元来た道へ戻ろうとするが、御堂の華奢な手に野太い腕が伸びて、がっしりと掴んだ。
「まぁ待ちなよ嬢ちゃん。俺ちょっと困ってんだ、助けてくれないか?」
「すまないが、自分のような者では大して力になれない。腕を離してくれないか」
振り向いた御堂が険を強めて男を睨むが、相手にはまったく効いていない。それも当然、今の御堂は見目麗しい女性である。それに睨まれたところで、この男にとっては怖くもなんともない。
「まぁまぁ、ちょうど嬢ちゃんみたいなのが必要だったんだよ。これで雇い主にどやされなくて済む」
にやりと笑みを強めた男に、御堂は強い危機感を覚えた。
「……しつこいぞっ!」
掴まれた腕を引き、捻るように動かす。力で負けていても柔術は使える、想定外の動きに男は一瞬「おっ?!」と驚いた表情になった。
(このまま……?!)
しかし、御堂の抵抗はそこまでしかできなかった。相手を引き寄せ、足を掛けて転倒させようとしたが、男はびくともしなかった。重量差がありすぎるのだ。いくら力を込めても、万力で固定されたようである。
「へっ、少しは心得があるみてぇだが、それだけじゃな」
御堂の華奢な身体に、こちらの腕を掴むのとは逆の手が迫る。




