4.1.5 Mrs.ミドールの長い一日 その五
豹変した同僚に焼き殺されかけ、少女たちに再捕捉され、逃げ回ること半時ほど。
御堂はどうにか人通りの少ない従者、下男用の通路に身を隠した。
「流石に……くたびれるな……」
壁に背中を預け、立ってもいられないと床に尻をつける。それほどまでに疲労していた。反撃を許されない状況で逃走を続けるのがここまで大変だとは予想だにしていなかったのである。
(そもそも、どうしてこんなことになっているんだ……)
恐るべきは、娯楽に飢えた学徒たちがしている噂話の効力であろう。同じ子供であるラジュリィやトーラレルはともかく、いい大人であるトイズまでああなってしまうとは、
(ジェネレーションギャップ、とは少し違うかも知れないが)
世代的なズレよりも、世界観的なズレを強く感じた。少しして、なんとか息を整えた御堂は立ち上がろうと床に手をついた。そこへ、
「あら、見ない顔ですね」
女性の声、御堂はぎょっとして飛び上がろうとしたが、それが聞き覚えのあるものだと気付く。恐る恐る声の主を見れば、そこにいたのはラジュリィの従者であるローネであった。その後ろには、怪訝そうな顔の従騎士ファルベスもいた。
「その服装……ミドール殿のお知り合いかしら」
訝しげにこちらを見る二人、御堂は唯一の希望を賭けて平伏して言った。
「ふ、二人とも、俺の話を聞いてくれ」
もはや縋り付く思いで知人である二人に這うようにして懇願する。見知らぬ女性のそれを見た二人は顔を見合わせ、もしやと言った顔になったファルベスが、御堂に尋ねる。
「一つ確認したいのだけれど、貴女がこの世界に来てすぐに戦ったのは、この私だったわよね?」
突然の問い掛けに一瞬、何のことかと戸惑いかけたが、御堂はすぐに彼女の意図を理解した。少し早口になりながら答える。
「いや、戦ったのはラジュリィさんを襲った賊の黒い魔道鎧だ、ファルベスと戦ったのはそれから少し後になる」
「……まさかとは思いましたが、やはりミドール様でしたか」
「わかってくれたか、けれど良くわかったな」
「服装と雰囲気が、どこかミドール殿のように思えたのよ。だからちょっとかまを掛けさせてもらったの、ごめんなさい」
やっと、自身の正体を察してくれた相手に出会えて、御堂は安堵からへたり込みそうになった。流石にそれは情けないと立ち上がり、二人に深く頭を下げた。
「ありがとう、ここで二人に不審人物として扱われたら、命がなかったかもしれない」
「それは大袈裟では……と思いましたが、学院内での騒ぎを聞く限り、誇張でもなさそうですね」
「何か騒ぎになってることは知ってたけど、まさかよね……どうしてそんな姿に?」
「ああ、話すと長いのだが――」
それから御堂は順を追って説明した。ブルーロから届いた薬のこと、身体の変化のこと、ラジュリィとトーラレル、おまけにトイズから狙われ、追いかけ回されていることを伝える。
話を聞いていたローネとファルベスは、最後まで聞いて溜め息を吐いた。
「騎士ブルーロ様も、悪意があってのことではないでしょうが……」
「たまに変な失敗をすることがあるのよね、あの方は……」
「その辺りは良くわかっている。それより、今は元の身体に戻す方法を探さないといけない、そのためにクラメット学院長を探しているのだが、二人は何か知らないか?」
聞かれ、ファルベスは首を横に振った。だがローネは心当たりがある様子で「そういえば」と話し始める。
「学院長様でしたら、先ほど正門から出て行くのを見ました。おそらく、日課の散歩でしょう、以前に他の従者がそんな話をしていたのを聞きました」
「そんな日課があったのか、知らなかった……」
であれば、いくら学院内を探し回っても見つからないはずだ。しかし、他の下男や従者に尋ねてもそんな情報は出てこなかった。それについて御堂がローネに聞くと、
「多分、ミドール様のお姿が原因でしょうね。そのような服では不審がられてしまいます」
言われて、御堂は改めて自身の服装を見下ろす。だぼだぼの迷彩服で講師のマントも身につけていない、学院の関係者も見知らぬ女性。なるほど確かに、どう見ても不審者であった。素直に重要人物に居場所を答えなかった従者と下男が、余程に賢い。
「慌てて部屋から出たからな……他の服も持っていないし、不可抗力だ」
「仕方ないかもしれないけど、そのまだら模様の服じゃなかったら違ったでしょうに。私たちは見慣れているけれど、慣れてない人が見たら変な人にしか見えないと思うわ」
「……そんなに変か?」
自分より二回りは年下の少女から、自身の服装センスに関する率直な酷評を告げられ、御堂はちょっとしょげた。緊張感が抜けきる前に、ローネが咳払いをして場を戻す。
「ミドール様の服装に関するセンスは置いておきましょう。今はクラメット学院長を見つけ、解決策を尋ねることが大事でしょう」
「そ、そうだな……しかし」
御堂がちらりと、従業員通路と廊下を隔てる扉に耳を向ける。合わせて息を潜めた二人にも、外の様子が窺えた。近くで、何人か駆け回る足音が鳴っている。
「追っ手が増えているな」
「ラジュリィ様でしょう、あの方は人を扇動することが得意ですから、他の学徒を焚き付けて手伝わせているようです」
「厄介なものだ……」
どれだけの学徒が御堂捜索に加担しているかはわからないが、足音から察するに少なくはないだろう。彼ら彼女らに見つからず学院外へ出るのは、至難の業に思えた。
「どうしたものか……」
「正面突破、は駄目だものね」
「それができれば、苦労はしないさ」
三人がうーんと考える。数秒して最初に口を開いたのは従者であった。
「それでしたら私に良い考えがあります。少しお待ちください」
言って、ローネがこの通路の先にある倉庫の扉を開けると中へ入っていく。御堂とファルベスが伺う中、彼女は何かの取っ手を引っ張りながら戻ってきた。それは側面と前後に布が張られた、大きな台車であった。上には簡易的な蓋もついている。
「あ、そっか、それで洗濯物を運ぶ振りをして、ミドール殿を外へ運び出すのですね?」
流石はローネ姉様! とファルベスが膝を打った。作戦を知った御堂も「これは思いつかなかった」と感心するように頷く。従者として働く彼女だからこそ浮かんだ名案であった。これならば、発見される危険は小さくて済む。
「良く働く者だからこそ閃いたわけだ」
「あまり褒めないでくださいませ、身に余りますので」
言いつつも悪くは思っていないのか、ほんのり頬を染める。また咳払いをして、作戦を説明する。
「今のミドール様の背丈なら、苦も無く隠れられるでしょう。これなら、私とファルベスで外までお連れできます。お連れする先は従者が出入りする裏口ですので、正門より安全なはず。ですが、そこから先は……」
「わかっている。それ以上二人に手を借りようとは思っていないさ、自力で学院長を見つけ出す」
「肝心なところでお力になれず、申し訳ありません」
謝罪するローネに、御堂はいやいやと慌てた。脱出の手段を用意して、手伝ってくれるだけでも大変ありがたいというのに、頭を下げられるいわれはないのだ。
「この窮地を救ってくれるだけでも、二人には大恩ができたんだ、感謝しても仕切れない。だから謝らないでくれ、俺が困る」
「いいえ、ここは謝らせてください」
「……そうね、私も謝るわ。ごめんなさいミドール殿」
それでも顔を下げたままの従者に続いて、従騎士まで頭を下げたので、流石に御堂も困惑した。
「どうしたんだ二人とも、こちらが困るぞ」
「だって、ミドール殿が困っている原因って……」
ファルベスが理由を言いかけた時、扉の外から足音に混ざって大声が聞こえた。
『どこに逃げたのですか! 絶対に見つけ出して、ただでは済ませませんよ!』
外から聞こえてきたその怒声が、自分たちの主人であることに気付くのに時間はかからず、御堂は二人が謝罪する意味を正しく理解した。
後頭部に手をやって、「あー……」とコメントに窮した。
「……我が主人が件の発端ですから、その従者としては謝っても足りません。誠に申し訳ありませんでした」
「いや……二人のせいではないのだから、気にしないでくれ、本当に」
あまりの気まずさが空間を漂う中、どう答えるべきか悩んだ結果、当たり障りのない返事しかできない御堂であった。




