4.1.3 Mrs.ミドールの長い一日 その三
トルネーの助言に従い、御堂は学院長室へと急いだ。その途中、他の講師らに姿を見られ怪訝な顔をされたが、気にしてはいられないし、弁明する時間も惜しい。
そうして目撃者を増やしながら学院長室へと辿り着いた御堂は、両開きのドアをノックして「学院長、ミドールです。少しよろしいですか」と声をかけた。しかし、返事は無い。
「……不在なのか?」
扉に耳を寄せて中の様子を探ってみる。物音など人の気配は感じない。席を外しているらしい。ではどこへ……と御堂が思案していると、
「あの、そこのお方? いったい何を……」
そこへ学院の従者が通りかかり、学院長室に聞き耳を立てているどう見ても不審人物である御堂に声をかけた。かけられた御堂は、今の自身がどう見られているかを理解すると、さっと扉から離れる。
見知らぬ顔の何故か講師ミドールと同じ服装をした女性がする挙動は、従者からすればどう見ても不審であった。訝しげな従者に「こほん」と咳払いをして、御堂は誤魔化すように和やかな笑みを浮かべた。
「いや、失敬。学院長殿に至急伝えなければならない、大事な用件があって来たのだが、どうも不在のようで……すまないが、学院長殿がどこにいらっしゃるか知らないだろうか?」
「はぁ……クラメット様でしたら、図書室の方へ向かわれたのを見ましたが」
不審に思いながらも従者は一応、相手が学院長の客人であったことを考えて答えた。それを聞いた御堂は微笑み、従者に小さく礼をした。
「助かる、ありがとう。では自分はこれで」
言って、御堂はそそくさと図書室がある方向へ立ち去る。
「……あの騎士様と似たような服装だけじゃなくて、同じような話し方をする人だったわねぇ……」
女性がした話し方に、どこか自分たち従者や下男と親しく接してくる授け人の面影を感じて、従者は首を傾げるのだった。
***
(図書室ならばむしろ、こっそり相談するには適しているな、急がないと)
足を速める御堂の足下が、講師棟の赤い床から学徒棟の緑の床に移った。図書室は学徒たちが過ごす場所を挟んで講師棟の反対側にある。つまり、強制的に学徒がいる場所を通ることになる。それがどういったことになるかと言うと、
「なんだあの女性は、新任の講師か?」
「あんな見目麗しい方、学院にいただろうか……誰か知らないか?」
「凜とした素敵な方ですわ……」
休日と言えど、学外に出る学徒ばかりではない。開放されている講堂や教室、廊下でたむろしている者も多くいた。であれば、御堂の姿を多くの学徒が目撃することになる。
今まで学院で見たことが無い美女が早足で学院内を歩いているとなれば、どうしたって興味関心をひくものだ。
「だがあの服装は……あの男と同じじゃないか、奴の関係者か?」
「しかし魔素は感じる。授け人ではないな」
「どこぞの貴族に思えるが、何故あんな珍妙な服を」
しかも、注目の女性が着ているのは、学徒たちからは奇異の視線で見られている魔無しの授け人講師と同じ服。そうなれば嫌でも彼の者と関係がある人物だと思う。
ここで内向魔素が感じられなければ、もしかしたらこの女性の正体に気付く学徒もいただろう。だが、薬の効果によるものか、今の御堂の体内には少量の魔素が宿っていた。
故に学徒たちは「授け人の関係者と見られる謎の美女」と御堂を認識した。更に、女学生たちはもっと深く考え、妄想を膨らませていた。即ち、
「もしかして、かの講師の愛人では? だから同じ服を……そういうことですの?!」
「でも、あの方にはラジュリィさんとトーラレルさんがいらっしゃいますでしょう」
「これは波乱の予感が致しますわね……!」
女体化した御堂を「授け人講師の恋人」と考え、ひそひそと噂話という形で情報を伝播させ始めた。その速度は地球のSNSにも劣らぬ驚異的なスピードで、学院内に広まった。ただし、余計な尾ひれがついた上で、である。
それが二人の女子。御堂に恋い焦がれ続けている帝国貴族と共和国貴族の令嬢たちの耳に入ったのは、そう遅いことではなかった。
***
「失礼、ここに学院長クラメット殿がいらしてないだろうか?」
学院の図書室。御堂も調べ事のため度々ここに訪れているので、いつも受付にいる司書とは顔見知りであった。今の姿では初対面となるが、彼女の性格は良く知っている。
「……学院長でしたら、少し調べ事をしてお戻りになられましたが」
彼女は読んでいる本から僅かに顔を上げ、初見の女性をちらりと見てそう答えたかと思うと、すぐに本の文字列へ視線を戻す。
正しく本の虫、周囲に対して無関心な司書なのだ。おかげで変に詰問されたりしないことが、今の御堂にとっては有り難かった。
「そうか、どちらへ向かわれたかは知らないだろうか」
「私に学院長の行動を把握する義務はありませんので」
「それもそうだな、時間を取らせて申し訳なかった」
一応尋ねて見たが想定通りの返事を貰い、御堂は礼をして立ち去る。学院長はいったいどこへ行ったのか、手掛かりもなく、闇雲にでも探すしかなさそうだ。そう思案しながら出て行った御堂の後ろ姿を、司書はまたちらりと見る。
「……あの授け人に、似ていた?」
時間を見つけては図書室で書物を漁り、熱心に何かを学ぼうとする男性。本と学びを大切にする司書からすれば、嫌でも印象に残るし、何なら好印象を持っていた。今の女性がそんな彼に近い雰囲気を持っていたことを、今更になって感じ取ったのだ。
「もう少し、きちんと会話すればよかった」
ぽつりと呟いた司書だったが、過ぎたことはやむなしと再び読書に没頭し始めた。
十分後、二人の女生徒が尋ねてくるまで、平穏な読書時間は続いた。
***
(どこだ、どこにおられるクラメット老人……!)
あれからずっと、御堂はあちらこちらへと学院内を歩き回って学院長を捜索していた。けれども、目的の人物は一向に見つからない。途中で会った従者や下男に話を聞いても有益な情報が得られず、八方塞がりであった。
(こうなると足で探すしかないのだが、ここまで探して見つからないものだろうか?)
すでに学院長がいそうな場所はあらかたまわった。なのに、老人の姿形どころか居た形跡も見つからないのだ。学院内の地理も、流石に数ヶ月働いていれば異邦人の御堂にも把握できているのに、これは不可思議である。
(もしや、俺が知らない部屋でもあるのか? 隠し部屋の一つや二つ、あるかもしれないな……)
御堂の知るファンタジー作品における城と言えば、隠された秘密の部屋があるのは定石である。そんなところにいられたら、御堂にはお手上げだ。どうしようもない。
(冷静になろう……そもそも、探し回らずに素直に学院長室の前で待っていた方が確実だったかもしれないな、一度戻るか)
今になってそんなことを考え出し、動かしていた足を止めた。そこでふと気付く。ここはまだ学徒棟なので、周囲には学徒がいる。その彼ら彼女らの様子がおかしい。
(……周囲の視線が、こちらに向いている?)
ここでやっと、冷静になった御堂は気付くことができた。自分がどれだけ周囲から好奇の目で見られていたか、その状態で学院内を練り歩けばどうなるか。そして、自分の服装を思い出す。
(凄まじく、嫌な予感がする)
急いで人目がつかない場所へ移動しなければならない。そんな警鐘が心の中で鳴り響く。警告に従い、踵を返して講師棟の方へ向き直る。
「そこのお方」
「ちょっと良いかな」
果たして、御堂は間に合わなかった。振り向いた先にいたのは、和やかな、だがどこか攻撃的な笑顔を浮かべているラジュリィと、じろりとした敵意を浮かべた目をしているトーラレルだった。
「あー、いや、自分は少し急いでいまして」
なんとか誤魔化すか、あるいは正体を告げてしまうか。どちらが最良の選択であるか試算する時間を稼ごうとするが、一歩下がった御堂に二人の貴族令嬢はずいと迫る。
「お時間は取らせません、少し、私の騎士との関係についてお話いただけないでしょうか?」
「貴女が講師ミドールの恋人であると風の噂で聞いたから、確認させてほしいんだ。勿論、違うよね?」
「あ、いや……」
並々ならぬ殺意、殺気を感じていた。見れば、二人の周囲ではダイヤモンドダストのように空気が輝いている。御堂の周囲で何度も発生している現象、それが意味することは明確であった。
「下手な誤魔化しは不利益をもたらしますよ? それとも口に出来ないことでも?」
「言い淀むということは、何かあるってことだよね? じゃあ……」
二人の瞳が、すっと細まる。
「少し痛めつけても構いませんよね?」
「多少強引な手を使っても良いよね?」
弁明する隙も惜しく、御堂は全力で後方へ駆け出した。この世界に来て何度目かの生命の危機を感じ取ったからだ。後ろから追いかけてくる少女二人の笑い声は、何よりも恐ろしいものに感じられる。捕まったら何をされるかわかったものではない。
(なぜ、こうなる……!)
とにかく、今の御堂には恋する乙女の魔の手から全力で逃れるしか選択肢はないのだった。




