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3.4.9 伏兵

 女が最後に縋った人質策も完全に打ち砕かれた。この場の動ける手下も三人だけ、もはや作戦は失敗したも同然ということは明白だった。


「くっ、貴様は学院を、そこの授け人を憎んでいたはずだろう! それがなぜ!」


 手下に周囲を守らせ、逃げ腰になっている女がヒステリックに叫ぶ。対し、ゲヴィターは静かに答えた。


「確かに、この男は心底気に入らん。それを認めている学院の在り方にも疑問はある」


「ならば!」


「だが、私は一度たりとも、学院に所属する魔術講師としての矜持を捨てたことはない。それを証明するためならば、一時は裏切り者と誹られようとも構わん」


 この講師を引き込む段階、最初からこの作戦は瓦解していたのも同然だと知った女は怒りで頭髪を逆立てながらも、最後の足掻きを図った。


「もう良い! 全員ここで消し飛べ!」


 言い放ち、女はありったけの魔素を込め、手にしていた魔道具を御堂らに向けて投げつけたのだ。そちらに相手全員の視線が集中した隙に、手下を引き連れて出口から駆け出す。


 投擲する直前に女が叫んだ言葉と、強い光を放つ魔道具を見れば、それが次に何を起こすかは明らかだった。御堂が無駄を承知で温存していたコンバットナイフを投擲しようと構えるが、


「しっ!」


 それより先に、ゲヴィターの指先から一際に強い雷が走った。全力で放たれる強力な魔術を二度も受けた魔道具は、床に落ちる寸前で粉々に砕け散り、部品を四散させた。

 一瞬、場がしんと静まり返り、予想された最悪の結果が防がれたことを認識すると、御堂らはどっと脱力した。


「ふう、今日一番肝が冷えたわい。良くやったぞ講師ゲヴィター」


 この中で特に魔術の造詣が深いクラメットは、あれが周囲に致命的な衝撃波を放つ爆弾と化していたことを瞬時に見抜いていた。故に、貴重な敵の手掛かりが破壊されてしまったことよりも、命が助かったことの方が、余程に重要であるとして、ゲヴィターを褒めた。


「しかし、私は今ので魔術を使い切りました。敵を追うことができません」


「それならば後は我らが引き継ぐ、講師らは殿下の警護を頼んだぞ」


 言うが早いか、ペルーイが抜剣したまま部下を引き連れて出口から駆け出して行く。それを見送った御堂は、やっと窮地を脱せたことに安堵した。流石に疲れがあって、長椅子に腰を落とす。


「情けない。やはり武芸が達者なだけでは大した取り柄に成り得んな」


 それをゲヴィターが鼻で笑った。御堂は言い返す気も起きず。「我ながら情けない限りだ。助けられたよ、講師ゲヴィター殿」と素直に礼を口にした。実際、彼が逆転の一手となったのは事実であるし、彼が味方でなければ御堂は今頃死んでいる。


「ふん、私はお前をここで処理できなかったことが、口惜しくてしかたないがな」


「口が減らん奴よのう、講師ゲヴィターは」


 この細やかな共闘を得ても、この魔術至上主義者とはきっと相容れないだろう。そう予見した御堂は、乾いた笑みを浮かべる他なかった。


「それよりも、私はそこの講師殿と父上がどう知り合ったのかが、すごく気になります。後で詳しくお聞かせ願えますね? 講師ゲヴィター殿。ミドールにも聞いていただきましょう、そうすればお二人の不仲も解消されるかもしれませんし」


 さり気なく御堂の隣に座り直したパルーアが、ゲヴィターへにこりとした笑みを浮かべて告げる。お願いではない実質の命令に、ゲヴィターは「いえ、それは……」と口籠もった。


「皇女殿下、私の部下をあまり苛めないでいただきたい。其奴はただの講師でありただの下級貴族、それだけの男なのですから、殿下に話して面白い話題も持ち合わせておりませぬ」


 困り顔になったゲヴィターへ、珍しいことにトルネーが助け船を出した。皇女は「うーん」と少し考える素振りを見せてから、残念そうな口調で、


「しかたないですね、今回は追求しないでおいてあげますね。父上から聞いても一緒かもしれませんから」


 そう言って、ゲヴィターから関心を無くしたように御堂の腕に手を回す。くっつかれた方は、もう突き放す気も湧かなかった。


「それにしても、講師殿はああ言いましたがミドールの短剣捌きは素晴らしいものでしたね。まるで魔術のようでした」


「あの程度、少し訓練すれば誰でもできるようになります」


「ふふ、謙遜しなくても良いのに……しっかりと、私を守る騎士の役をしてくださりましたね」


 言いながら、周囲の視線など気にせず、御堂の耳元に顔を寄せる。


「だけど困ったわ、本気で欲しくなってしまうじゃない。いけない人ね、ミドール」


 そう、先ほどまでとは違う妖艶な口調で囁く。御堂は小さく「お戯れを」と返す。


「自分は今はまだラジュリィさんの騎士です。引き抜きをかけるなら、主人の許可を取ってください」


「あら、無理難題を言うのね……いえ、困難だからこそ、やり甲斐があるということかしら」


 すっと身を離した皇女の顔を見れば、そこにはいつも通りの表情。だが、そこには権力者としての笑みではなく、一人の少女としての楽しげな笑顔があった。これを守り抜くことができただけでも、命を張った甲斐があったと、御堂も微笑んで見せる。


「さて、観客席の方もあらかた片付いたようじゃし、これからの対応について決めませんと――」


 クラメットがそう締め括ろうとしたそのときだった。外から破砕音が響いてきて、場にいた大人は一斉に音がした方へ振り向いた。方角は闘技場の外。御堂の脳裏に「まさか」という嫌な予感が浮かぶ。


 そしてそれは正鵠を得ていた。開けっ放しの出口から、警備兵の一人が飛び込んできて報告する。


「学院長! 敵の新手です!」


「そうじゃろうな、魔道鎧であろう?」


「は、はい! 所属不明の黒い魔道鎧が確認できる限りでも五体! すでに警備隊のウクリェが抑えに入っています!」


 そう告げると同時に、闘技場の外から一際大きい破砕音が聞こえた。この音が魔道鎧が損傷を受けたことを示すものだと、講師陣と御堂はすぐ理解した。警備隊のウクリェが敵を仕留めたと考えられる程、状況を楽観視できない。


「自分が行きます。殿下はここにいてください」


 先ほどまでの疲れが吹っ飛び、席を立って駆け出そうとした御堂の背に、パルーアの声がかかる。


「ミドールの力、信じているわ。だから――」


 その続きが耳に入るよりも先に、御堂は観覧席から外に飛び出していた。パルーアは自分が口にした言葉に、自嘲するように呟いた。


「言わなくても、伝えなくても、彼ならきっと承知しているわね」


 ***


 時を少し戻す。逃走を試みた女エルフは、観覧席から闘技場の外までに残りの部下を殿にして逃げ延びていた。外に出て、近くに積み上げられていた資材箱の裏に身を隠す。


(なぜ、こうなった……あの男を甘く見ていた? 術は作用していたはずなのに? 所詮は人間と侮っていたから?)


「その様子では、尻尾を巻いて逃げてきたというところか?」


 周囲に気を張っていたにも関わらず、女はその声の主がすぐ後ろに立っていることに気付けなかった。


「……ラヴィオ」


 男の名を呼んで、女は振り返る。そこにいたのは平民風の服装に目深く帽子を被った長身の男性、女の同僚であるラヴィオであった。


「まったく、こちらの役目は後詰めだと言うのに、間抜けの尻拭いに役割変更とはな」


 彼は肩を竦めて、やれやれと言った素振りで挑発するように言う。女はぎりっと奥歯を噛み締め、射殺すような視線でラヴィオを睨み付ける。が、相手はたじろぐどころか表情一つ変えない。


「貴方たちがもっと協力的であれば、こんなことには……!」


「協力? ほう、手柄欲しさに俺の介入を拒んだあの言い草は、遠回しに助けを求めていたのか、これは察しが悪くて申し訳なかったな」


「貴様……!」


 ラヴィオの言い草に、女は内向魔素を練り上げる。杖はなくとも、彼女の持つ“魔眼”は、術をかけた相手を誘惑し、操れることができた。

 その他にも、至近距離から全力で発動させれば、魔術師であろうと精神を乱して発狂させることもできる。魔素を操る術に長けるエルフ故の奥の手である。しかし、


「その眼が役に立つと言うから手伝いに来たというのに、とんだ期待外れだ」


 ラヴィオはそれを、杖すら用いず事も無く打ち払った。小蠅が飛んでいたから手で払ったような、その程度の労力であった。


「なっ……!」


「役に立たない上にこちらに牙を剥く手駒などいらん。さっさと去れ」


 そうラヴィオが告げて身を翻す。女を路傍の石程度にしか見ていない様子で、足早に離れていく。その背に向けて女が罵倒の言葉を浴びせようと口を開く。


 だが、その口から出たのは声ではなく鮮血であった。


「がっ、あ……?」


 小さな飛来音と共に、女の背中に複数方向から真空の刃が突き刺さり、華奢な身体をずたずたに引き裂いていた。周囲に眼前の男の部下が控えていて、杖を自身に向けていたことなど、想像もしていなかった。

 霞む視界の中、ラヴィオが顔を横に向けて、手向けのように言った。


「だからさっさと去れと言ったのだ。愚かな耳長」


 それが、視界が暗転する女の聞いた最後の言葉となった。


 ラヴィオは後ろで起きた惨劇などすぐに忘れて、さっさと歩き出す。そして資材箱、四辺が五メートルはあるそれの側面に手をかけた。すると隠し扉が開き、主人を中へ招き入れた。


「さて、せめて個人的な目標は果たしたいところだが、そう上手く行ってくれるかな」


 暗闇の中でも目が見えるかのように、歴戦の魔術師は愛機の装甲を駆け上がって行く。

 少しの間を置いて、木製の資材箱が突然に弾け飛んだ。その中から立ち上がった真紫の巨人の双眼が、鈍く光を帯びる。

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