3.4.6 ゲヴィター・ウラドク・トンペッタ
絶体絶命の状況。それでも、御堂はパルーアを守るように立ち塞がる。近衛であるペルーイとその部下二人も、剣を構えたまま引かない。
端から見れば、最後の悪あがきとしか見えない。事実、近衛騎士たちは刺し違えてでも戦う腹づもりであった。
だが御堂は違う、状況打破への小さい可能性を見出している。
(講師ゲヴィターが出てきたとき、学院長も講師トルネーもまったく動じていなかった。それに、学院側はすでに敵のことを知っていた。それを伝えていたのがもし、俺の考えた通りの人物であれば……)
それだけでは御堂がしている推測はただの希望的観測である。“こうなら良い”という願い、妄想に過ぎない。けれども、もう一つ、御堂には確信に至れる情報があった。先日、学院の通路を歩いていたときに聞いた話を思い出す。
『貴族として、講師として、教育者としての矜持は、しっかり持っている方です。だから――』
頑固者の同僚についてそう語った女性講師の言葉は、信じるに値する。だからこそ、御堂は僅かな勝機に命を賭ける気になったのだ。
相手がそんなことを考えているとは想像もしていない女エルフは、御堂を小馬鹿にするように笑う。
「これでも邪魔をするというならしかたがありません。まず、授け人を殺していただくとしましょう。お願いできますね、貴族様?」
言われ、ゲヴィターが一歩前に出る。御堂の後ろに隠れているパルーアが「ミドール……!」と小さく心配するように呟くが、御堂は後ろに回した手を大丈夫だと言う様に小さく振った。
普段身につけていた講師のローブよりも漆黒に近いそれを纏ったゲヴィターが、右腕を頭上に掲げる。その枯れ枝のように細い指には、鈍く光を反射する古めかしい銀細工の指輪が二つはまっていた。
「あれは……?!」
それを見て驚いたパルーアは、思わず自身の手を見る。そこには少し形状が違うが、同じ部類の魔道具がある。それが何を意味するのか、学院長とトルネーだけが理解していた。だから何も口を出さず、黙って推移を見守っている。
状況が段々と御堂らの方へと傾きつつあった。それに気付いていないエルフの女は、「ああ、そうです」とゲヴィターに注文をつける。
「皇女殿下は傷つけないようにしてくださいね? 丁寧に、授け人だけを殺してください」
「……わかっている」
初めて口を開いたゲヴィターの口元が、苦々しく歪んだ。それはまるで「せっかくの機会なのに、それができない」と悔しがっているようだった。故に御堂は確信する。腰に手を回し、武器を引き抜く。小さな刃物を投げるよりも先に、ゲヴィターの指がかちりと金属音を鳴らした。
直後、目映い光と雷鳴が響く。あまりの光量に、一瞬だけ目を伏せた御堂が視界を開けると、慌てる黒づくめたちと、反対に黙ったまま手を掲げているゲヴィター。そして、
「な、なぜ……?!」
困惑するエルフの女がいた。その手にあった“雷の魔術を受けて亀裂が入った”魔道具と、確かに裏切らせたはずの講師を交互に見て、何がおきたのかと理解しようとしていた。
女がその答えを得るより先に挙げていた腕を降ろした講師、ゲヴィター・ウラドク・トンペッタは御堂たちに歩み寄り、同じく混乱している皇女に向けて恭しく頭を下げて告げた。
「不安な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした、皇女殿下。貴女様の父上、皇帝陛下より我が一族が頂いた恩義を、ここへ返しに参りました」
その言葉こそが答えであった。目を丸くしたパルーアの前にいる彼は、まごうことなき帝国貴族であった。
「き、貴様ぁ!」
内通者の裏切りに、エルフの女はそれまで浮かべていた笑みを憤怒の表情に変える。御堂に向けていた短杖の矛先を、ゲヴィターの背に向けた。
その先端に風の刃が生み出され、射出して裏切り者を切り刻もうとする。だが、この隙を見逃す御堂ではない。
「ふっ!」
すでに掴んでいた武器の柄を掴み、振り抜く。弾丸のような速度で飛んだ小型の刃が、女エルフの腕を突き刺し、鮮血をあげさせた。想定外の鋭い痛みに、女は短杖を取り落とし、隙を見せる。
「ぐっ……殺しなさい! 皇女以外、裏切り者も授け人も人質も、全員殺してしまいなさい!」
喚き散らしたような号令を受けて、男たちが武器を構え、一斉に襲いかかってきた。多勢に無勢であるが、彼らが距離を詰めるよりもゲヴィターが指を鳴らす方が圧倒的に早い。
ぱちんと軽快な金属音が鳴るのと同時に、指先から白く光る雷が走り、哀れな敵兵に毒蛇のように絡みつく。
紫電の蛇に絡みつかれた男は短い悲鳴を上げて、痙攣しながら床に転がる。それを踏み越えて進む敵兵も、音が鳴ったと思った瞬間、雷に貫かれ打ち崩された。
ゲヴィターは術封じの効果範囲外に指定されているため、この状況下でも自在に魔術を発動できているのだ。女エルフが魔道具を操作し、裏切り者を封じようとするが、破損によってか魔道具は上手く動作していない。
そのため、この一室は雷の魔術によって成される独壇場となっている。
(これは、凄まじいな)
魔術に疎い御堂でも、ゲヴィターの強さを理解せざるを得ない。用意していた投擲ナイフを取り出し、こちらへ向かってくる敵兵の首筋に投げつけながらも、感心せずにはいられなかった。
通常、攻撃魔術を扱うには魔素を練り上げて形をイメージし、杖から放つという行程を要する。だが、ゲヴィターの指で鈍く光る銀色の魔道具は、その内の前二つを省略する。つまり“指を打ち鳴らす”という行為のみをトリガーにして攻撃魔術を発動させられるのだ。
魔術を使うまでの隙が短ければ短いほど、優れた戦闘魔術師と呼ばれる。小さな魔道具は、その条件を無視していた。
故に、この魔道具は希少な存在である。帝国が持つ秘匿された技術でのみ製造することができ、所有できる貴族は極一部のみ。表立って所持しているのは、皇女であるパルーアだけのはずであった。
「彼奴、張り切っておるのう」
「自分の信念に反する行いをさせられ続けた鬱憤が、相当に溜まっているのでしょうな」
斬った張ったの状態を前にしても、呑気に椅子に腰掛けたままの二人。対抗策はいくつ仕込んでも困らないものじゃなと、クラメットが呟いたのを聞いて、パルーアも理解した。
(裏切ったふりをさせておいて、ここぞという場で手痛い一撃を加えさせる。そのための伏兵だったというわけね)
だが、それでもパルーアは引っ掛かる物を感じる。講師が使っている物は、自身が今も指にはめている指輪と同系統の魔道具だ。
まさか、自分の他に使い手が存在していたとは、知りもしなかった。なので、事情を知り得るであろう講師陣へ率直に訪ねた。
「あの講師は、何者なのですか? あれを所有し、使いこなせる魔術師など、もう貴族には残っていないと思っていましたのに……」
皇女の問い掛けに、学院長と講師主任はどう答えたものかと一瞬、顔を見合わせる。それから、雇っている講師全員の人となりを把握している老人がシンプルな答えを述べた。
「彼奴は魔術至上主義者で、頑固者で、考え方の少し古い、今は講師をしている、ただの貴族ですじゃ。それ以上でも、それ以下でもありませぬぞ」
そこにはどこか、誇るような声音があった。皇族である少女は、それだけで納得がいったことを示すように頷いた。「ほれ、殿下もこちらへ来ませんと危ないですぞ」とクラメットに手招きされ、パルーアはそそくさと椅子から立ち上がって部屋の端へ駆け寄る。
この間にも、ゲヴィターが雷を放ち、御堂がナイフを投げつけ、近衛騎士らは二人が討ち漏らした敵兵を斬り捨てていく。
護衛を突破できず、どんどんと数を減らしていく手下に女エルフは半狂乱で怒鳴りつける。
「ええい、たかが数人に何を手こずっているのですか!」
檄を受けても、眼前の強力な魔術師と、飛び道具を巧みに扱う授け人が強すぎた。二人を避けて目標へ向かおうとすると、今度は戦慣れした重装備の近衛騎士が待ち受けている。
突撃を躊躇うようになった手下に舌打ちして、女は御堂らに声を上げた。
「貴方方、こちらには人質がいるのをお忘れですか! 今すぐ抵抗をやめるならば、手を引かせても良いのですよ!」
「それなんじゃがのう、その手札はもう交渉には使えそうにないようじゃぞ?」
老人のどこか哀れむような言葉に、女エルフはまさかと観客席に視線を向け、愕然とした。御堂も構えを解かずにそちらを見やると、観客席の方でもちょっとした騒ぎになっているのが見えた。




