1.1.1 機士
(万華鏡……?)
目に映った景色から、御堂 るい三等陸尉は、そう表現した。数秒か、数分か、数時間か。その色と光の濁流の中を、落ち続けて浮かび続けていると、頭の中に声が響いた。それと同時、視界に文字が浮かぶ。
『汝、授ける者よ。我は授けし者。何として、世を渡るのか』
意味がわからなかった。授けるとは何をだ。辛うじて、その疑問だけが浮かんだ。男のものか女のものか、生物のものか無生物のものか、判別がつかない声と文字が続く。
『汝、戸惑う者よ。人の理から外れし者。世と世を繋ぐ道しるべに踏み入った者。何故、交じ合わぬ運命へ踏み入るのか』
文字が浮かんでは消え、視覚への情報として脳に刻み込まれる。言葉が遠くから、近くから聞こえ、聴覚への情報として、脳に刻み込まれる。
『汝、流されるまま訪れた者。選ばれてはいない者。踏み入るならば覚悟せよ』
脳の処理が追いつかない。いや、そもそも、処理しようともしていない。ある意味での夢心地とでも言うべきか。御堂の思考は、入ってくる情報を愚直に取得するだけで、答えるべき答えが出力できない。
『汝、授けしものを持たぬ者。我から授けるは適する力。汝の力を彼の世へ適させる力。その力を以って、汝を授け人とする』
途端。今度は明確に落下が始まった。悲鳴をあげようとするが、喉から声が出ている感覚がまったくしない。そこで初めて御堂は、はっきりとした恐怖心を抱いた。
『汝、授け人よ。努々忘れる事なかれ。汝の成すべきを――』
次の瞬間。御堂の視覚から、一切の色と光が消え去った。
***
気がつけば、そこは愛機「ネメスィ」のコクピットの中であった。
「うあっ……?」
間抜けな声を出して、御堂は首を振った。頭に乗ったヘルメット。機体周辺の状況を搭乗者に伝える役目を持つ、ヘッドマウントディスプレイが重たい。それに写る計器、メーターの表示に不具合は見られない。バイタル表示も正常だ。二足歩行機能を支援する制御装置の値も、変なところはない。
(いったい、なにが)
目元まで顔を覆う被り物の下で、御堂の端正な顔が少し歪む。自分は白昼夢でも見ていたようだ。そう判断した。思い出せるのは、多量の色、それに光と暗転だけである。夕日が眩しいので、夢を見ていたのは、ほんの数秒だったように思える。
「作戦中に居眠りなんて……」
教官にバレたら、何を言われるか。そう考えたところで、御堂はようやく、視界に写る景色が、夢を見る前と異なっていることに気付いた。
「……?」
夢を見る前まで自分がいたのは、木々が生い茂る森林地帯だった。だが、ディスプレイに映っている木々の形状が、記憶と一致しない。機体が転倒でもして、方向が変わったか? カメラの故障か? いやしかし、どう見ても、ここは先ほどまで自分がいた場所ではない。
「どこだ、ここは……」
混乱する搭乗者に、乗機が背後からの音を知らせた。ずしりという、重たい足音だ。機体を振り返らせる。そこには、周囲の木々と、近くに立っている人間らしき影から推測するに、全高八メートルはある人影が二つあった。
木々、杉の木に似たそれらが乱立する中に立つ、その人影ならぬ機影は、御堂の機体に気付いて、動きを一旦止めた。
「人型機動兵器……AMW……?」
御堂は、自分が乗っている兵器の名称を呟く。自分が知る中で、この巨大さを持つ人型兵器の呼称はそれしかない。そのデザインはまるで、西洋の鎧をそのまま巨大化したような姿だった。黒光りする鉄染みた色合いが、赤い日を浴びて輝いている。それは、御堂の知るAMWとは離れた様相をしていた。見たことのない機種である。
しかし、それ以上に御堂の目に印象強く映ったのは、その黒鎧と自身の機体の合間にいる人間らしきシルエットだ。
瑠璃色と表現するのが相応しい長い髪が、機体のカメラからディスプレイへと送り込まれ、御堂の目に入った。女性、いや、少女だ。白い西洋風の服を着た、十代に見える子供だった。
その瑠璃色の少女に、黒い鎧が手を伸ばそうとしていた。生身の民間人に、正体不明の人型機動兵器が手を出そうとしている。これを見過ごしては、陸上自衛隊のパイロットではない。
「そこの機体!」
外部音声をオンにして、御堂は叫んだ。同時に念じる。すると、彼の乗機、白い塗装が施された機体が動く。細身に曲線を組み合わせ、人型のシルエットを成しているそれが、身じろぎする。背中に生えた一対の翼、円筒状の砲塔を起き上がらせ、その矛先を眼前の鎧二体に向けた。
「所属不明の機体へ警告する! 速やかに動力を停止し、機体から降車しろ! この地域でのAMW運用は許可されていない!」
御堂の警告に対し、鎧二体は明らかに戸惑いの動きを見せた。さらに搭乗者の声も聞こえた。だがそれは、警告を受けたことに対する反応ではなかった。
『まさか、授け人?』
『ば、馬鹿な、こいつが呼んだとでも言うのか?!』
(……授け人?)
御堂はその単語に、引っ掛かるものを感じたが、今はそれよりも眼前の機動兵器を制圧することを優先した。
「二度目だ! 機体から降車し――」
『先程から、わけのわからんことを!』
『たかが一体、授け人だろうが、ここで討ち取ってくれる!』
御堂の言葉を遮った黒い鎧は、二体とも背中に腕を回して武器を引き抜いた。これには、今度は御堂が戸惑う番だった。
(何故、言葉が通じているのに、抵抗しようとしてくる?)
一瞬、相手は外国人テロリストかと思ったが、話している言葉は日本語だ。であれば、相手はこちらの言っている意味がわかっているはず。
(なのに、どうして?)
だと言うのに、二体の鎧は、武器。御堂が初めて見る型の両刃剣を構えて、こちらに殺気を向けている。
非合理的だ。そんな近接武器だけで、自衛隊の最新鋭機に対抗しようなど。自殺志願者としか思えない。
「っ、そこの女の子! 早く逃げろ!」
戦闘になっては少女の身が危ない。呆然と御堂の白い機体を見上げていた少女が、その言葉でようやく事態を飲み込んだのか、駆け出してこの場から離れていく。
相手の鎧は少女よりもネメスィの排除を優先したようだ。両方とも、御堂に剣を向けて、じりじりと距離を詰めてきている。鉄の脚が、太い木の枝を踏みつけて折った音を、機体が拾い上げる。敵の武器はあの剣だけに見える。ここは飛び道具で、一方的に攻撃するのが合理的だと御堂は判断するが、
「だが、近接戦に持ち込むしかないか」
近くにまだ人がいる可能性があるし、万が一、流れ弾が今逃げた少女へ害を及ぼしたら事である。なので、御堂は機体に搭載されたAIに命じる。
「戦闘パターンを変更。三番を参照」
《了解 コンバットマニューバ スリー》
AIが、機体を近接格闘戦に適応させたことを告げた。
「よし、行くぞ!」
白い機体の太く逞しい両腕の先端から、長さ二メートルほどの薄緑色に輝く刃が飛び出る。そして右足を引いた直後、白き巨人は、土を巻き上げながら大地を蹴った。ぐんと加速したその速度は、相手に反応と対応を許さない。腕が鋭く振るわれる。
「一つ!」
黒鎧が気付いた時には、すでに片方の鎧が右腕を失っていた。剣を握ったままの肘から先が、回転しながら地面へと落ちる。
『は、速いっ?!』
相手からすれば、白い機体が一瞬で後方に回り込んだように思えただろう。戸惑い動きを止めた黒光りする背を、御堂は睨む。もう一度、機体の動きをイメージし、念じた。白い巨人は、その妄想とも言うべきイメージを、忠実に再現した。
「二つ!」
もう一体の鎧が振り返った時には、そちらの腕も、先と同様に切り飛ばされていた。
正に、疾風の如き動きであった。これを遠目、木々の合間から見ていた少女は、そうとしか表現できない自身を恥じた。見惚れるような手際だったのである。
「まるで風と一体になったかのような……」
そう感想を漏らすのがやっとな程、あっという間に黒い鎧二体は武器を失った。
「凄まじい力の持ち主……どれほどの強者なのでしょうか」
実に興味深い。そう思い、彼女は逃げることも忘れて白い鎧に見入ったのだった。
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